
忌野清志郎が青春時代を過ごしたのは国立およびその周辺で、「多摩蘭坂」のように歌われている場所も多いです。国立市には車で通ったことはあるかもしれませんが、足を踏み入れたことはありません。当然JR国立駅に降りたこともありません。それでも国立と聞くと2つのことが頭に浮かびます。1つ目は学生時代の先輩が国立生まれでした。国立駅近くの映画館のお嬢さんでした。今あるかどうかは知りません。
2つ目は高校時代の最初の進路希望先として一橋大学と書いたことです。担任から面談の時に「どういう大学か知っているのか?難しいんだぞ。」と言われました。どんな大学か知りませんでした。その後ちょっと調べて東京の国立にあることを知ったのですが、その時は国立(こくりつ)と読んでいました。
清志郎が通ったのは都立日野高校でした。日野高校は国立市のお隣の日野市にあります。そこで生まれたのがRCサクセションでした。1972(昭和47)年発売された「
ぼくの好きな先生」のモデルがここの美術の小林先生だったのです。それから百恵さんの旦那である三浦友和は同級生でした。
「トランジスタ・ラジオ」は、1980(昭和55)年に発売されたRCサクセションの11枚目のシングルです。
RCサクセションは1970年に「宝くじは買わない」でデビューしているのですが、すぐに人気が出たわけではありません。「
ぼくの好きな先生」がラジオで流れて名前が知られ始めたもののフォークブームの中の一曲という感じでした。私は学生時代のバンド仲間が好きだったので「スローバラード」を聴いていましたし、ライブハウスに見に行ったことがあります。それでもメジャーになったとは言えませんでした。
そんなRCサクセションがテレビやラジオに取り上げられ始めたのが「
雨あがりの夜空に」(1980年)でした。そして「ボスしけてるぜ」「トランジスタ・ラジオ」と立て続けにレコードを発売します。映像で観るRCサクセションは私が知っていたものではなくパンクヘアでメイクもしていました。演奏も最初のフォーク形態は影を潜め完全にロックバンドになっていました。清志郎はザ・キング・オブ・ロックと呼ばれるようになったのです。
1980(昭和55)年は私が社会人になった年です。清志郎が有名になったのは嬉しかったのですがちょっと困ったことがあります。「トランジスタ・ラジオ」の歌い出しは「授業をサボって~」です。教員になったばかりの私は歌うことができません。RCサクセションのファンだとは言えませんでした。
Posted at 2022/05/11 07:31:15 | |
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流行歌研究会 | 音楽/映画/テレビ