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2022年05月26日 イイね!

大瀧詠一の福生ライフ始まる

大瀧詠一の福生ライフ始まる 毎月のように甲府詣でをしていた時期がありました。行きも帰りも雁坂トンネルを利用することが多かったのですが、時間に余裕がある時には帰りは下道で東京を通ることもありました。米軍横田基地に面する国道16号を初めて走ったときは感動しました。福生ベースサイドストリートと呼ばれるようです。
 大瀧詠一が福生に住み始めたのは1973年1月だそうです。福生を愛した大瀧詠一はいつしか福生の仙人と呼ばれるまでになりました。

 「福生ストラット(パートII)」(作詞/作曲:大瀧詠一)は、1975(昭和50)年に発売された大瀧詠一の2枚目のアルバム『NIAGARA MOON(ナイアガラ・ムーン)』に収録されています。
 大瀧詠一は福生のアメリカンハウスに『福生45スタジオ』を設立しナイアガラ・レーベルを主宰します。そして『NIAGARA MOON』や『GO! GO! NIAGARA』といったアルバムを発売する傍ら、ラジオ番組『ゴー・ゴー・ナイアガラ』ではDJをしていました。一部の若者には熱狂的に受け入れられましたが、一般的にはまだマイナーな存在でした。私も学生時代には名前は知っていましたが、それほど夢中になってアルバムを聴いたわけではありません。ただバンド仲間が酒を呑んだ時に「ふっさ、ふっさ、ふっさ…」とこの曲を歌っていたのを憶えています。

 はっぴいえんどからナイヤガラ・レーベルでの活動が世間に受け入れられたのは1980年代でした。盟友松本隆と組んで曲を作り始めます。まずは太田裕美に提供した「さらばモスクワ鉄道」がヒットします。そして名盤『A LONG VACATION 』が発売されます。すると作曲依頼が殺到し「風立ちぬ」(松田聖子)、「冬のリヴィエラ」(森進一)、「快盗ルビイ」(小泉今日子)、「熱き心に」(小林旭)、「夢で逢えたら」(吉田美奈子、シリア・ポール)などをヒットさせ一躍人気作曲家となりました。
 
Posted at 2022/05/27 05:26:46 | コメント(2) | トラックバック(0) | 流行歌研究会 | 音楽/映画/テレビ

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