
RCサクセションを初めて知ったのはが1972年に発売された3枚目のシングル「
ぼくの好きな先生」です。フォークブームの中で知っただけでそれほど好きというわけではありませんでした。高校時代にもほとんど聴きませんでした。学生時代のバンド仲間がRCの大ファンだったことから無理矢理聞かされました。初期のRCサクセション『初期のRCサクセション』『楽しい夕に』『シングル・マン』といった初期のアルバムです。「
スローバラード」には痺れました。
その頃ライブハウスで一度だけRCサクセションを観ました。迫力ある演奏に圧倒されました。しかし、世間的にはまだマイナーな存在でした。事務所とのいざこざもあって清志郎もバンドを止めようと思っていたようです。RCの暗黒時代です。
それでも清志郎は音楽をあきらめませんでした。1978年頃には髪を切り、化粧をし、ド派手な衣装でステージに立つようになります。音楽的にはチャボ(仲井戸麗一)などの加入によってロック色を強めていきます。そのころからライブハウスでの評判も高まっていきます。そして1980年4月5日に久保講堂で『Live!! RCサクセション』が行われたのです。
チャボがMCで観客を煽りに煽ります。演奏が始まり清志郎が登場すると観客は熱狂的に迎え入れました。「よォーこそ」(作詞/作曲:忌野清志郎)では観客は全員総立ちだったそうです。
このライブは録音されアルバム「RHAPSODY」として発売されました。現在では完全版「RHAPSODY NAKED」で聴くことができますし、「RHAPSODY 〜the video〜」では映像も観られます。
久保講堂コンサートのあと、RCサクセションはどこでも多くの観客を集めるようになります。そして1981年12月24日には『日本武道館』でもコンサートを実現させています。「よォーこそ」はコンサートの始めの定番曲ですが、メンバー紹介も兼ねています。この時はギターの仲井戸麗市(チャボ)、ベースの小林和生(リンコ・ワッショー)、ドラムの新井田耕造、キーボードのGee2woの順に紹介されます。そして「おいらキヨシロー」と自己紹介すると観客の熱狂は頂点に達するのでした。
武道館コンサートの成功によりRCサクセションは日本を代表するロックバンドとなり、忌野清志郎は『ザ・キング・オブ・ロック』と呼ばれるようになるのでした。
Posted at 2022/06/18 16:00:04 | |
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