
日本将棋連盟会長の米長邦雄氏が亡くなりました。
私が米長氏の名前を知ったのは中学校の時でした。近所の将棋好きの友人の家に行ったときに彼の色紙がありました。まったく知らない名前で、ベイチョウと読むのかなと思ったのかなと思ったくらいでした。友人が近いうちに将棋界の頂点に立つ棋士だと教えてくれました。
当時の将棋界は大山康晴が君臨していた時代でした。そこに現れたのが将棋界の若き太陽、中原誠でした。大山から次々にタイトルを奪い第一人者となるのですが、そのライバル的存在が米長邦雄だったのです。米長は1984年には史上3人目の四冠王となり「世界一将棋の強い男」と称されるようになりました。ところが名人のタイトルだけは6回挑戦(中原に5度、谷川浩司に1回)しましたが、ことごとく敗れ去ったのでした。しかし、1993年についに7回目の挑戦で宿敵中原誠から名人を奪い取ったのでした。その時には49歳になっていました。そして50歳で名人在位と言う素晴らしい記録を作ったのです。
2003年に現役棋士を引退した後は将棋連盟の会長を務めるなど棋界の発展に努めてきました。
私の好きな米長語録を紹介します。
◎兄たちは頭が悪いので東大に行った。私は頭がいいので棋士になった
◎真剣な時間があれば、その反動として遊び呆けるときが必要である。遊びは仕事の影である。
◎将棋が強くなる方法は、脳みそが汗をかくほど集中して、盤面を見つめることである。
◎自分にとって関係ない試合でも、相手にとって非常に重要な勝負の場合がある。
そういう時こそ、自分の力を出しきらなければいけない。
最後にNHK戦の「羽生善治 VS 加藤一二三」の解説です。「おお~、やった!」が強く印象に残っています。司会をしていた永井英明氏も今年亡くなりました。 合掌
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Posted at 2012/12/18 21:10:06 | |
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