昨年末で森昌子が芸能界を引退しました。大ファンというわけではありませんが、残念です。寂しいです。
森昌子は1971(昭和46)年に『スター誕生!』に出場し、初代グランドチャンピオンとなりました。当時私は中学生でしたが、都はるみの「涙の連絡船」を聴いて「なんて歌の上手い女の子なんだ」と思ったものでした。本名は森田昌子で、栃木県宇都宮市出身と言うことで親近感を持ちました。年齢が13歳と聞いて驚いたものでした。
「せんせい」でデビューし、「同級生」「
中学三年生」などをヒットさせお茶の間の人気者となっていきました。デビュー当時から歌唱力は抜群で、美空ひばりから「私の後継者」と言われるほどでした。しかし学園歌謡・青春歌謡を歌うアイドルから大人の演歌歌手になるには、さしもの森昌子も苦労しました。 1977(昭和52)年に、同年代のライバルである石川さゆりが「津軽海峡・冬景色」を大ヒットさせると、多くの人は日本を代表する女性演歌歌手は石川さゆりと思うようになりました。森昌子も「あなたを待って三年三月」「あの人の船行っちゃった」「なみだの桟橋」「津和野ひとり」などをヒットさせ、一流の演歌歌手になっていましたが「津軽海峡・冬景色」に匹敵する大ヒット曲がありません。80年代になってようやく昌子さんの地道な努力が報われました。1981(昭和56)年の「哀しみ本線日本海」がヒットし、そしていよいよ彼女の代表曲と言える名曲が生まれました。
「越冬つばめ」(作詞:石原信一 作曲:篠原義彦)は、1983(昭和58)年にリリースされた森昌子の41枚目のシングルです。作曲の篠原義彦とは、「夢想花」で知られる円広志の本名です。ちなみに作詞の石原信一さんは太川陽介の「
Lui-Lui」やビューティペアの「かけめぐる青春」を作詞しています。また吉田拓郎にも「遙かなる」などの詩を提供しているのです。
♪ ヒュ~ルリ~~ ヒュ~ルリララ~~ ♪
それ以降の森昌子はというと、結婚、芸能界引退、出産・育児、離婚、芸能界復帰、闘病、そして再度の引退と波瀾万丈の人生でした。残りの人生はのんびりと過ごしてほしいですね。
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流行歌研究会 | 音楽/映画/テレビ
Posted at
2020/01/19 16:41:08