
訃報ブログです。作詞家のなかにし礼さんが亡くなりました。80歳でした。謹んでお悔やみ申し上げます。
昭和を代表する作詞家でした。なかにしさんが作詞を始めたのは60年代初期でした。シャンソンの訳詞や加藤登紀子に曲を提供したりしていたようです。私がなかにし礼さんを知るようになったのは、黛ジュンのファンになってからです。デビュー曲の「恋のハレルヤ」、そして「霧のかなたに」「乙女の祈り」「天使の誘惑」「
夕月」までなかにし礼さんが作詞をしています。「
天使の誘惑」はレコード大賞を受賞していますね。
このブログでは「
石狩挽歌」(北原ミレイ)、「
まつり」(北島三郎)、「
夜と朝のあいだに」(ピーター)、「
五月のバラ」(尾崎紀世彦)、「
グッド・バイ・マイ・ラブ」(アン・ルイス)、「
さくらの唄」(美空ひばり)、「
私が死んだら」(弘田三枝子)、「
あなたならどうする」(いしだあゆみ)を紹介しています。さらにハイ・ファイ・セットの「
メモランダム」や「
フィーリング」もなかにし礼さんの作詞なんです。
今日紹介するのはこの曲です。知らない人がほとんどでしょうね。私もすっかり忘れていました。
「悲しみのアリア」(作詞:なかにし礼 作曲:筒美京平)は、1970(昭和45)年に発売された石田ゆりのデビュー曲です。石田ゆりちゃんを憶えている人はいますか?石田ゆり子でも石田えりでもありませんよ。
石田ゆりはいしだあゆみの妹さんということで注目されました。私も可愛いなと思ったのですが、すぐに芸能界から消えてしまいました。18歳でデビューし19歳で結婚してしまいました。その相手がなかにし礼さんだったのです。当時中学生だった私は「石田えりちゃんがなかにし礼の毒牙にかかった!」と憤慨したものでした。
昨日の中村泰士さんに続き、昭和歌謡の巨匠が旅立ってしまいました。この曲の作曲者である筒美京平さんがなくなったのもつい先日のことでした。クリスマスなのに昭和のオヤジは淋しくなるばかりです。
ブログ一覧 |
流行歌研究会 | 音楽/映画/テレビ
Posted at
2020/12/25 10:00:02