
松本隆の作詞活動50周年ということで彼の作品を紹介してきましたが、とりあえず今回が最後です。
1975年に太田裕美が歌った「
木綿のハンカチーフ」の時にはすでに作詞家松本隆は知っていたと思いますが、それほど思い入れがあったわけではありません。私が松本隆を強く意識したのは、1978年に発売された吉田拓郎のアルバム『ローリング30』においてです。このアルバムはLP2枚組+シングルという当時としては斬新なものでした。貧乏学生には簡単には手が出ない代物でしたが、私に吉田拓郎を教えてくれた従兄弟のノブオ君にテープにダビングしてもらいました。
Rolling 30 動けない花になるな
Rolling 30 転がる石になれ
1曲目の「
ローリング 30」です。ノブオ君の家で興奮して聴いていたのを憶えています。私はその時20歳でした。この年の秋というか冬に失恋しました。「
外は白い雪の夜」を聴いて大泣きしたものです。大人の拓郎に憧れました。この時は拓郎が32歳で松本隆は29歳でした。
このアルバムでは松本隆がほとんど作詞しています。しかも箱根のホテルに合宿してレコーディングまで行うという前代未聞のやり方でした。「
あゝ青春」ですでにコンビを組んだことがある2人ですが、拓郎が「松本隆を強姦した」と述べているようにかなり濃密な関係になったようです。
「虹の魚」(作詞:松本隆 作曲:吉田拓郎)は、アルバム『ローリング 30』の2枚目B面の一曲目に収録されていました。当時はそれほど良い曲とは思っていませんでしたが、年齢を重ねるにつれて気になり出すようになり好きな曲になりました。
打ちのめされ傷ついても生きるしかない
松本隆さん、まったくその通りですね。
すでに「
冷たい雨が降っている」でも書いているのですが、拓郎を夢中になって聴いた最後のアルバムになってしまいました。社会人になって拓郎とは疎遠になってしまったのです。
今はもちろん拓郎が好きです。多くのアルバムをCDで買い直しました。拓郎は現在最後のアルバムを作成しているそうです。自身の集大成と言うことでしょうか。松本隆とのコンビの曲があるのかどうかはわかりませんが、期待してしまいますね。
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流行歌研究会 | 音楽/映画/テレビ
Posted at
2021/11/29 21:21:06