
1964(昭和39)年は、東京オリンピックの年です。東洋の魔女の女子バレーボール、すごかったですね。大松監督の「俺についてこい」は流行語になりました。
男子体操の金メダルにも感動しました。個人総合優勝の遠藤幸雄選手は神様のような存在です。つり輪の早田卓次選手、跳馬の山下治広も覚えています。ただ、演技はリアルタイムで観たかと言われると自信がありません。
レスリングでも5人が金メダルを獲得しています。フリースタイルの上武洋次郎はメキシコでも優勝しています。群馬県の邑楽町出身で足利在住です。私のちょっとした知り合いなんです。
子供の頃は日本贔屓はあまりありませんでしたから、外国人選手も記憶に残っています。競泳のドン・ショランダー、陸上男子100mのボブ・ヘイズ、体操女子のベラ・チャスラフスカはよく覚えています。でも、一番印象的な選手はマラソンのアベベです。3位になった円谷幸吉は正直なところあまり記憶にないのです。
東京オリンピックで初めて採用された柔道は軽量級中谷雄英、中量級岡野功優勝、重量級猪熊功が金メダルを獲得しました。しかし、神永昭夫がオランダのアントン・ヘーシンクに敗れてしまいました。日本柔道の敗退と衝撃を持って受け止められました。
この年に流行ったのは、坂本九「明日があるさ」、村田英雄「皆の衆」、都はるみ「アンコ椿は恋の花」、ペギー葉山「
学生時代」、青山和子「愛と死をみつめて」、岸洋子「夜明けのうた」、水前寺清子「涙を抱いた渡り鳥」、井沢八郎「あゝ上野駅」、ザ・ピーナッツ「ウナ・セラ・ディ東京」などです。そしてこの曲も大ヒットしました。
「柔」(作詞:関沢新一 作曲:古賀政男)は、1964(昭和39)年11月20日にリリースされた美空ひばりのシングルです。大ヒットしましたが、オリンピックで初めて柔道が採用されたことが影響したことは間違いありません。特に冒頭の♪勝つと思うな、思えば負けよ♪という歌詞は多くの日本人をなるほどと思わせたものでした。その年、そして翌年の紅白でもこの曲で紅組のトリを務めました。昭和40年のレコード大賞も受賞しました。美空ひばりが柔道着で歌う姿は格好良かったです。
神永昭夫さんの名誉の為に述べておきますが、上村さんは立派なお方です。柔道界への功績は計り知れません。1976(昭和51)年のモントリオールオリンピックでは神永さんの教え子である上村春樹選手が無差別級で金メダルを獲得しています。吉田秀彦や古賀稔彦を金メダルに導いたのも神永さんだったのです。
3年後にはまた東京オリンピックがあります。どんな選手が活躍するのでしょうか。それまで生きていられるのかな?
Posted at 2017/12/01 21:28:13 | |
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