岡本おさみ氏が亡くなりました。享年73才でした。まだまだ若いと思う反面、もう70を越えていたのかとも思います。考えれば拓郎も来年には70になります。あの頃のフォークシンガーはここ数年でみんな古希を迎えるのですね。岡本おさみの存在を知ったのは吉田拓郎の「旅の宿」の作詞者としてでした。その後、このコンビで「ビートルズが教えてくれた」「ひらひら」「祭りのあと」などの名曲を聴くことができました。今思えば幸せな時代だったんですね。
「襟裳岬」(作詞:岡本おさみ 作曲:吉田拓郎)は、1974(昭和49)年に発売された森進一のシングルです。第16回日本レコード大賞を受賞しました。拓郎が作曲者として授賞式に出るのではないかとの噂があって目を凝らしてみていた記憶があります。
フォークの旗手拓郎と演歌界の第一人者森進一とのコラボは大きな話題となりました。音楽界の対極にいると思われていた二人が結びついたのですからね。私もなんで森進一が拓郎の曲を歌うのだと思ったものでした。拓郎のリクエストのようです。拓郎と森進一とはそれ以前に接点がありました。拓郎が歌手を目指して広島から上京した時に訪問したのは、ファンだった中尾ミエが所属していた渡辺プロダクションでした。その時拓郎が会ったのはチャーリー石黒だったのですが、その時にお茶を運んできたのがデビュー前の森進一だったそうです。
時代を代表する二人を結びつけたのが、岡本おさみの詞でした。『金沢事件』でマスコミにたたかれていた拓郎とある女性から訴えられた婚約不履行の裁判、そしてそれに伴う母親の自殺で苦しんでいた森進一は「日々の暮らしはいやでも やってくるけど静かに笑ってしまおう」という歌詞に自分の生活を重ねたのでした。歌詞と言えば、サビの「襟裳の春は何もない春です」は襟裳岬のあるえりも町の人々には不評でした。しかし、ヒットしたことによって襟裳の知名度がアップしたので、1997年にはえりも町に「襟裳岬」の歌碑が建てられました。
春になったら私も岡本おさみのような旅をしたいものです。まずは青森県十和田市の一軒宿「蔦温泉旅館」でのんびりして、そして北海道に行き襟裳岬まで行くんです。新幹線もできるようですが、やっぱり車で行くのが良いですかね。帰りには苫小牧発・仙台行きフェリーに乗らなければいけないですから・・・。
当ブログで紹介した岡本おさみ氏の作品
吉田拓郎
アジアの片隅で
花嫁になる君に
いつも見ていたヒロシマ
蒼い夏
リンゴ
由紀さおり・吉田拓郎
ルームライト(室内灯)
森山良子
歌ってよ夕陽の歌を
泉谷しげる
黒いカバン
Posted at 2015/12/21 18:34:37 | |
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