2012年06月19日
・先日ラジオで国交省がサブ軽自動車サイズの車の規格を許可して試乗会をやったとかなんとか言っていた。エンジンが「原付からバイク並」で「全部EVだった」とか訳分からん原稿だったけど、まあ大体の予想は付く。ついでに、その目的も分かる。表向きはタウンコミューター規格を立ち上げようという事らしいが、実際には軽自動車潰しだろう。正確には、税金の値上げの足がかりじゃないかな?個人的にはタウンコミューターを各会社が真面目に開発してくれんならある程度は仕方ないと思うけど、多分そんな物は出来ないだろう。そもそも、最高速50kmで1人乗りの原付エンジンったら、そんなんミニカーでいい訳で、国交省の許可とかいらん事言うなと(まあミニカーは最高速は表向き30kmだし、選択肢がないので免許の教科書でしか見てないだろうけど)。
・マイクロカーは実際には海外では普及しているそうな。日本だと軽自動車がそれに該当していたが、高性能化・肥大化し、今や登録車より軽自動車の方が優勢という状況にあり、海外(特にアメリカ)から非関税障壁だとかイチャモン付けられている。あっちのマイクロカーは安全性とか性能とかは二の次の、4輪カウル付きのバイク程度の認識だから、車と同じ土俵では考えてないと思う。当然ながら路上のコンパチビリティーに関してもリスクがあるのは当然だ。しかし日本の役人はそういう割り切りは出来ないから、多分最高速に関して難しい事になるんじゃないかな?また高齢者の足という側面を強調していたが、個人的には反対。老人はシニアカーに乗るか、遠出は公共交通機関がタクシーチケットの補助で対応すべきだ。普通車に乗れない老人にマイクロカーを与えても高速を逆走したりコンビニ駐車場から突っ込むのがオチだ。路上のコンパチビリティーはドライバーにこそ求められる。
・最近よく感じるのは、「公道」というのは、限りなく平和で公平な唯一の社会、ではないだろうか?一般社会では強い物・強欲な物が人を押しのけて先に行くのが当たり前なのだが、こと公道に関しては昭和の軽トラの前でもベンツが無理矢理割り込むのは希だし、高級SUVに道を譲らないのだって自由だ(こっちに義務がないケースでは)。湾岸ミッドナイトだと押しのけると最後には生き残れないと書いてあるが、そもそも下道では押しのけるなんてムリなのだ(かと言ってヘンな運転している人が生き残らないかどうかは分からない。自損してくれと思う事はあるけど、巻き込まれる方は災難だし)。で、そういう一種独特の社会である公道で最悪なのは、流れやルールが見えない痴呆老人であり、それがマイクロカー導入でどうこうなる訳じゃない。
・もちろんマイクロカーそのものには賛成だが、一人乗りだったりドアが無かったりすると、結論としては「ジャイロキャノピーがキャビーナでよくね?」という事になる。二輪の方が機動性はあるし専有面積もコストも燃費もよいので、タウンコミューターとしては優れている。無理矢理トレッドとホイールベースを小さくしタイヤを小さくすると重心が上がってエルクテストのスマートだかAクラスのような問題になるし、それで重心を下げると視認性が悪い問題が出てくる。まあ、この規格の発案はどうもEV導入のとっかかりという面も強いようなので、EV普及にマイクロカーというのも分かるが、軽自動車のEVも市販されてるしミニカーにはずっと前からEVはあるので、やっぱり一番は税制優遇の撤廃が絡んでくるような。
・話し変わって軽トラのサスについて思う事。硬すぎる。というか、以前から350kg積みの車に1t積めるサスってどうなのよ?と思っていたのだが、よく考えて見ると軽トラって構内作業車として公道以外でも使われるので、メーカーも「田圃で米を1t積んだら壊れた」と言われた時に「公道以外は知りません」とは言えないんだろう。では、現実的にはどうしたら安全なサスの軽トラが出来るのか?当然考えるのは可変サスだ。しかしダンパーを可変にする車は多いが、スプリングを可変にした車ってのは滅多に無い(U61Vはリアがバリアブルっぽい。まあ、軽自動車のリアはバリアブルは多い印象)。さらにサンバー以外はリーフリジッドという弱点がある。もしコイル式だったら、そもそも不等巻スプリングを使うって手が使えるのに(まあフロント不等ピッチは一つの手だろう)。
・台風で山羊を小屋に入れているが、山羊小屋は夏場になって結構尿がたまって酷くなってきた。夏の方が乾燥しそうなんだけど、逆に夏の方が湿っているのはなぜか?考えられるのは青草を摂取するので山羊の尿が増える可能性だ。青草の水分量はラフに7~8割で、一日に5kgは食べるので4リットルは水分を採る計算になる。他におから(こっちも水分は8割ぐらい)を3~5kgは与えているし、水分そのものでも6リッターぐらいは与えている。お乳が4リッターぐらい搾れ、呼吸で多少は消費するにせよ、10リッター程度は尿が出る計算になる。
青草に切り替わる直後は糞も柔らかくなり、水分コントロールに苦労したようだが、現在は糞の状態は良好なので、逆に尿としてハッキリ捨てているのだろうと思う。あと、個体差はあって、尿がとても多い個体とそうでもないのもいるし、排泄の癖でも違いがあると思う。
ある考察では山羊の床面積を一頭で3㎡としていた。経験値であり、一つの参考ではあるが、餌によってそれは大きく変わってくるだろうと思う(もちろん、山羊のサイズや性別、泌乳の有無や季節もある)。
では現実問題として、この尿にはどう対応したらいいだろうか?家畜農家だと豚では尿が多いらしくて尿だけタンクに落ちる仕組みになっているらしい。ただ、山羊小屋でそれをするのはなかなか面倒だ。また肥育牛は少ないからか敷き藁でボロ出しで対応、馬もそうだな。酪農農家だと糞に水分が多いようで、スラリーは副発酵資料(籾殻とか)と混ぜて切り返して堆肥化している。そう、意外と液体そのものを扱う必要はなさそうなのだし、副資料があるとどうとでもなってしまいそう。まあ、籾殻はバイオトイレとかにも使えるし、うちでも大量にストックがある。でも、酪農の場合、敷き藁として使っている訳ではないんだよなぁ。
また、うちでも藁を敷いてあげるのだが、山羊はそれらを蹴り出してしまって、素のパレットの上にいることに半日でなってしまう。山羊がバカというか、彼らには飼い主の親切が分からないというか(そして藁は扱いがめんどい)・・・まあ、小屋の床の立ち上がりを四方に取って、蹴り出されないようにする事も出来るかも知れないが、うちは小屋の中でも綱で結んでおかないと雌同士でもケンカするので、小屋の中で自由に動けるのは子山羊だけだ(子山羊部屋では子山羊はパレットの上に集まるので、比較的汚れない)。
・炭焼きに関して、普通の穴焼き(消し炭)と蒸し焼き(窯)での違いに関して、図書館で「穴の数が違う」という事を知った。活性炭は強制的にその穴の数を増やして表面積を増やしているが、普通の炭でもそうなんだそうな。踏んで砕けてしまうとは言え、活性炭も粉末だったりするので、やっぱり意味があるのだろうとは思う。でも白炭ほど温度を上げてもまた穴は減るそうで、600度から800度が一番表面積が増えるそうな。ちなみに消し炭の温度は別の本だと300度近辺だそうなので、かなり低温という事になる。
ただ、平焼きの消し炭は確かに低温で焼いているような物なのでボソボソしているが、クリーンバーンしている無煙炭焼きはもっと高温で燃えている気がする。少なくとも最後の段階では300度より遥かに高い温度で燃えていて、だからこそ煙も出ないし、かすめただけで火傷する。難しいのは、窯焼きなどでは煙の色で温度を判断しており(練成する時は炎も直視出来るだろうけど)、青紫の煙が出れば目的の温度らしいのだが、野焼きではその温度まで上がらないからか拡散するからか「青紫」の煙にはならないし、クリーンバーン中も煙はほぼ無色だ。
Posted at 2012/06/19 20:47:38 | |
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2012年06月15日
・今日、黒シャツにネクタイの女性がお店にいたので思った
「なんで女が男装するのはカッコイイのに、男が女装するのは間抜けなんだろう?」
Posted at 2012/06/15 20:43:19 | |
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2012年06月10日
・久々に弟が帰省したので飲みに出かける。そこでアニメ周辺の話題になり、ラノベ原作についていくつか話していて
弟「左手にさ、ほら、なんか特殊なのが宿ってさ」
私「寄生獣か!」
弟と私「それは右手だ!」
答えは「とある魔術の禁書目録」でした。中二病乙。
Posted at 2012/06/10 16:50:25 | |
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2012年06月09日
・ニコ動ニュースのお城でBLの帯がツボだった。「いいのか?お前の城門から大事な天守が丸見えだぜ」とか、もう日本終わったというか始まったというか、ホモ脳って今度偉い人が言い出しそうな気がする。日本の腐女子がホモ脳を輸出して日本を活気づければいいと思うの。というか、私の知っている女子って今考えると結構ホモ脳だった気がする。女性でアニメファンとなると、圧倒的に多い男子向けのアニメを違った確度から楽しんでいたというか。レンタルビデオ店の同僚は「トルーパーで人生踏み外した」とか言ってたし、いとこは「ダンテが責めでバージルが受け」とか意味不明な事をほざいていた。
・ブドウは順調に成育中だが、今日は雨なのでお休みで山羊の世話だけ。カッパ着れば作業出来ない事はないけど、かならず体調にマイナスが付くので休める時に休んどく。他の都県だと「そんな余裕こいてたら農作業が間に合わない」となるが、長野県だと晴天率が高いので、そこまでシビアではない。とは言え梅雨に入ったそうで、ここからは天気が特に気になる。とくにウチは草生栽培で刈り取りも頑張らないので、園内の湿度が高く病気が発生するリスクは高いし(とは言えナギナタガヤ区は土がかなり乾燥して推移している印象だった。ベッチは水分が多いかな?)。ただ、夏場は逆に乾燥が怖い訳で、どっちを優先するかという気がしないでもない。まあ、収穫時期はベッチもナギナタガヤも枯れているんだけど。
・草生栽培と湿度の関係は複雑だと思われる。問題になるのは降雨時の湿度で、風通しが良くさっと乾いて欲しい訳だが(濡れていると病原菌が活動出来るので)、草生栽培すると棚と地面とのクリアランスが減るので、風通しは基本的に悪くなる。また巨大な園も同じ傾向があるが、棚下短梢平行整枝の場合は梅雨の前半は枝が棚を埋めている割合は半分程度なので、風通しはかなり良いのではないかと思う。ナイアなんかはかなり苦しいし、それがナイアはバンプに弱いというのの原因の一つかも知れない。一方で土壌湿度に関しては草生の方が団粒構造で表面水を帯水させないので湿度が上がりづらいと言われている。ただ、蒸散作用によりその水を長く発散させ続けるし、植物体の中にも水を含むので、ある程度の湿度を保つのは間違いない。その程度の湿度が病気にマイナスかどうかがむしろ問題だろうか。
・そう考えると草生栽培をさせつつ、全体的な水分調整は暗渠によりコントロールというのが露地栽培の現実的な対応のように思われる。草生であろうとなかろうと、地表面側の水分が多ければ害が多いし、その範囲を適正にして草を生やす事が重要じゃなかろうか?実際には水分が多いと草はものすごい伸びて管理が厄介になるのだが、今年暗渠いれた所はかなり改善されていた(過湿に強い草が優先しなかった)。一方新しく借りて水が出る場所の草は徒長してえらい事になった。
・この地域は元から降水量が少ないので、そういうコントロールはいままで積極的には行われてこなかった。今でも暗渠の設置をやっているブドウ園は少ない(というか、明言している人を見たことがない)。でも、今後はゲリラ豪雨的な物は増えるし、技術指導としてそういうのをやっていくべきではないかとも思う。びっくりするのは、ワイン産地のヨーロッパなど、はるかに乾燥した地域でも、暗渠(兼潅水だろう)の設置は非常に頑張っている事で、ドイツのモーゼルのような狂った急傾斜は別だが、サンテミリオンとかソーテルヌとかで何百キロとか言う話しを聞く。ただ、その暗渠の構造がどういう物なのかは分からない。
・そう言えば昨年のデラは残念なできばえだったが、一昨年のデラは小粒だったが、数少ない完熟した物は恐ろしく甘かった。痛いほど甘く、糖度系で24度を超えていた。あの年は山の木がリーフロールするほどの乾燥した年で、そうなると土中水分も上がらないので光合成も活発にならず、結果あまり美味しくはならないはずだが、それでもこれまで食べた事がない位甘かった。翌年が光合成不足で酸っぱかったのと対照的だ。一方巨峰園は水田の横で漏水があったためか、途中でかなり味がぼけて風味が悪かった(元が水田で重粘土質なのもあろう)。
・水に関しては未だに決定打が見つかっていない。水源はいくつかあるが、管理組織(水組合)が複雑で使っていいのか分からないというか、まず駄目だけど見つからなければOKという所らしい。あまり良くない言い方だが、実際問題河川の水というのは所有者は書いてないけど、特定の河川や水路は全て誰かが造っていて、権利者が存在する。そして、その権利はかなり上流まで敷衍されているので、聞いた事がない地区にまで権利承諾が必要なんだそーな。一度大きな川に注ぎ込んでいるような場合でも、イチャモンが付かないとも限らない。実際にはブドウ園で水をどばどば使うという事はないし、水田とはニーズがずれているんだけどね。まあ、自由落下する水を使おうと思ったら水源はもっと少ないし、そのうち一つは芝生管理での除草剤が心配される。やっぱり貯水しかないか。
・そう言えば先日突然、県の農業改良普及センターから電話があって、新規就農者に連絡して回っていると言う。就農したという情報が行って、突然訪ねてきたいという事で、まあ形式上お世話になったから仕方ないかと思って、時間を割いて園に案内したのだが、ぶっちゃけ改良普及センターのイベントへの参加のお誘いのために大急ぎで連絡が来た感じで、そのイベントがまた農繁期に飲み会という巫山戯た内容だったので、農業への行政の取り組みの不満をぶちまける結果となった。新規就農者こそ労力や資金に余裕がないし、バックアップも一度もされてないのに、飲み会に来て講演聞いて友達作りましょうとかアホかと。そんな暇あったら、県の研究機関が仕事している証拠をHPにアップしろと。これで私も結果の一つにカウントされているかと思うと腹が立つ。あと、新規就農者への補助金について大きな政策が一つあったのだが、私は150万もらっても民主党には二度と投票しないので、どうかなー(自民党がいいって訳じゃないのは、今読んでいる本でよく分かっているが)。
Posted at 2012/06/09 14:34:05 | |
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2012年06月03日
・先日もだれか捕まったのだが、オウム事件については今頃という感じと逃亡者の悲哀のような物を感じる。指名手配犯の写真とかって最近あまり見ないし、場末の温泉で見たりすると何年前から同じなんだろう?こんなの効果あるんだろうか?と思ったりしていたのだが、まあ探してはいたんだなと。刑事もある意味こんなのを探して何十年とかやってたりするんだろうし。
・もちろん犯人にはそれなりの罪状がある訳で、かわいそうと思ったら責められそうだし、社会的な制裁を受けずに逃げてきたという部分は同情の余地はないのだが、オウムの指名手配犯はなんか微妙である。普通テロリストが潜伏していると言った場合、再びテロを起こすかも知れないという危険性について危惧すべきなんだろうが、オウムの場合結局そういう事は無かった。最も大きかったのは麻原がさっさと見つかって指導者がいなくなったら、結局何をやりたいという目的が無かったという独裁的なテロ集団だったというのが大きいだろう。これが国家転覆にもっと理論的な背骨を持つ組織だったら(例えばアルカイダとか)だったら、二次、三次のサリン事件は起きていたかも知れない。その点、オウムは麻原をトップとする神秘主義集団で、テロリストのような増殖性や多頭性が無い。そういう社会的な危険性が低かった。
・そうなると必罰というか国家による復讐のような側面を感じる。もちろん遺族や被害者にもそういう気持ちはあるだろうが、日本だとどうも犯罪被害者って放置され気味なのに、オウム事件だけ特に念入りに公安が働いているような所を見ると、これは国家によるテロリスト(?)への見せしめを含めた復讐なんじゃないかと。しかし、それは見ていてあまり気持ちよい物ではない。いや、法的に裁かれるんだから、かなり甘いのだろうけど、かつての連合赤軍など明確な意図を持ったテロリスト達が北朝鮮とかに渡りなんか堂々と取引とかしていたのに比べると、そういうバックボーンがない組織は哀れな物だなぁと。
・確かに北朝鮮はごらんの通りだし、暴力で何かを解決しようという考えを取れば、いつかこうなる物かも知れない。でも、国家というのは合法的に自己の為に暴力を正当化する唯一の存在であり、つまる所国家はさらなる暴力からの攻撃に倫理的に抗弁しようがない。というか、実際には国家側が暴力を使う事が多いというか。また追い込まれて暴力以外の手段が無いのではないかというケースもままある。戦後日本は一見平和だったように見えるが、実際には様々な矛盾を反共の砦として米国の意向で無理矢理押し込めてきている。いつも若者はそういう何かにいらだって反乱してきており、それを上手く取れ込めない国は定期的に政権崩壊してきている(アラブの春とか)。
・つまり、一見するとカルト集団の残党狩りなんだけど、本質的には国権のみせびらかしであり、このどうしようもない国(国民の、とは言わない)の傲岸さを垣間見るような気さえする。いや、そりゃ、お仕事しない警察より犯人逮捕した方がいいけどさー、政治家には及び腰だったりねつ造ばっかりしている検察とか、最初のサリン事件の時の誤認逮捕でみすみす地下鉄事件を起こさせてたりするのを見ると、権力の中央と本質って物がなんなのか分かる気がする。
・話し飛んで、今朝ははじめてフレッシュプリキュアを見た。ニコ動で時々話題になっていて、「プリキュアって多分色々あったと思うんだけど、なんで今更?」と思ったが、もちろん初代とマックスハートの一部しか知らないので、その差は分からなかった。でも、ドラゴンボール的だった戦闘シーンが一応それなりの趣向になっているのは進歩だろうし、最後のリレーで「ご都合主義でナオがトップで万歳?」「いや、二着でそれでも頑張ったと思うマイルドビター?」と思ったら、転倒でドベで号泣という予想の斜め上の展開にびっくりした。脚本頑張ってるナー。そういえばNHKラジオも脚本家の人が来て面白い話しをしていた。考えて見るとアニメ業界って不思議な所で、学歴が関係ないというかルートが確立されていないような感じだ。アニメ学園とかあったけど、本当にアニメに関わる仕事がしたければ、かなり社会的・経済的に厳しいのを覚悟した若い人しかやれないという所で、「アニメが好き」という人は多いけど、「作りたい」というののハードルの高さが、逆に日本での成長産業なのかも知れない。実際には制作サイドに正当に利益が分配されているか怪しいけど。ま、プリキュアとか、子供に安心してみせられて大人も納得というのはすごいよな。もう少し高年齢向けの子供番組って商品の番宣というか、ほんと脚本馬鹿になってるなーという台詞ばっかりだしな。とは言えCMスポンサーはマックとか、よく洗脳先を分かってるとも感じた。
・そう、上で国家と国民を分けたのは、今の日本は国民国家というか民主主義国家なのだけれど、本当に国民が主権を持っているのか甚だ疑問だからだ。そこらへんは国家の品格の前半に詳しいが、民主主義ってのは絵空事であり、実際に選挙があるとしてもその際の第一権力はマスコミであり、マスコミが信に足らない事はネット民などは良く知っている。そのマスコミはマックの下なので、じゃあマクドナルドが日本の主権者かと言われると、そっちも教祖はいるけど主権じゃないわな、とは思う。ただ、マスコミの一番のお仕事は洗脳と衆愚化なので、安ければ良いとか電力が足りないとか友達は大切とか様々なメッセージのいちいちを疑っておかないといけない。個人的に外国資本が入ってる番組はかなりその手のメッセージを強く持っているように感じる(とくに西友・ウォルマートやマック、P&Gやコーラ)。
・一方で高い塔はいずれ倒れる物である。バビロンの塔はいずれ倒れる、東京スカイツリーもいつかは崩さなければならなくなる。そして、国家組織も比喩的にバビロンの塔だったのだろう。今、世界は、戦争という暴力的な手段ではなく、また壊滅的な結末を避けながら、安全に塔を崩す時期に来ているのではないだろうか?どうも昨今の世界を見ていると、リセットボタンの押し方を考えているような印象を受ける。例えば拡大主義で景気よくやっているように見える中国だが、賃金の急上昇で産業が逃げ出し汚職で国民(そんなんいない?)の暴動頻発、一気に高齢化が進んでおり、一瞬で今の繁栄が砂上の楼閣と消える危機にある。まあ、あの国は、本当に戦争でリセットしかねねえ所が怖いけど。
Posted at 2012/06/03 22:34:26 | |
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