昨日福岡のサンパレスに山下達郎さんのコンサートを聴きに行った話を書き込みましたが、大事な部分を書き忘れていたので続きを書き込みます。
自分は90年代の始めに調整用CDとして山下達郎さんの楽曲を使っていて、車の中ではCDに合わせてよく歌っていました。
カラオケでもよく歌っていて大好きだったのですが、調整時もついつい口ずさんでしまい完全に自己満足の状態で、良い結果が出せず調整用CDから外しました。
その後はギター・天野清継さん&ピアノ・国分弘子さんのCDを調整用CDとして使用して、録音方式が違う三部作をCDを交換して再生して、その差がきちんと出ている調整が良いというこれまた自己満足な調整をしていました。
この三部作の使用をやめたのは、お客様から「調整用CDでいい音で聴こえても自分のCDでよく聴こえない。」というクレームがあったからで、「多くの人が聴いているCDでいい音を出さないといけない。」と思って、1997年に再び山下達郎さんの楽曲を調整用CDとして使用する様になりました。
その頃はユーザーイベントを年に1回行っていて、その時のトークセミナーの内容は山下達郎さんのサンデーソングブックの中で話されたレコーディオングに関する話を集めた受け売りで、そのくせコンサートには一度も聴きに行っていなくて、音が分かったつもりでいました。
ただし、山下達郎さんは自分の理想のメンバーが集まらないからと一時期コンサートを行っておられなくて、聴きに行きたくてもコンサートが行われていないという状態もありました。
そのうちコンサートを再開される様になって、そこからは毎年聴きに行く様になりました。
その前に他のアーティストさんのコンサートに行く様になって、運良く何人かのアーティストさんとは直にお会いする事が出来て、生声や生音を知る様になって、カーオーディオでの電源キャパシタやヘッドキャパシタの使用をやめるきっかけになって、ケーブルのロジュームメッキの使用もやめる様になりました。
そして山下達郎さんのコンサートでバラードやアカペラや、時にはPA無しの生声を聴いた時に、「自分はこれまで何をして来たのだろう?」と90年代にサンデーソングブックを聞いて仕入れたレコーディングの話をユーザーイベントで得意に話していた自分が情けなくなりました。
それでも後から考えたら他の店よりは90年代でもまともな音を作っていたと思って、他所が100歩生音からずれていたら、自分は20歩ずれていたぐらいの違いだから20歩100歩だと思っていました。
90年代にあるメーカーがオーディオ評論家の先生を連れて来てセミナーをしたいというのでお客様を集めたら、評論家の先生の話を誰一人として信用せずに反応が悪く、「ここのお客さんはノリが悪いですね。」と嫌味を言われた事があります。
ノリが悪いのではなくて、当時のお客様でB&Wのミキサーの上に乗せるタイプのモニタースピーカーをお持ちの方が多くて、造作した音に対して誰もなびかなかっただけで、評論家の先生はカンカンに怒っていて、その後そのメーカーにも評論家にも冷遇される状態になりました。
それって運が悪かったのか?
いえいえ、変なしがらみが出来ずに、結果としては良い方向に進む事が出来ました。
自分はいいお客様に恵まれて、ファンクラブに入っておられる方から多くのアーティストさんと会える用にセッティングして頂いて、生の声を聞けて自分という存在を知って頂ける様になりました。
ただこれまで唯一会いたくても会えなかったのが山下達郎さんで、どうしても達郎さんに会える人脈が見つかっていません。
いつかは山下達郎さんに会って生の声を直に聞いて、デモカーの音を聴いて評価して頂いて・・ というのが自分の今後のというか、人生の最大の目標となっています。
Posted at 2017/06/29 21:54:34 |
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