今日はFMの日だそうです。
なぜFMのひになったかというと、Fはアルフェベットで6番目で、Mは13番目だからだそうです。
自分がFM放送を始めて知ったのは小学6年生の時で、6月2日の誕生日にソニーのラジカセを買ってもらうのに、誕生日に間に合わないといけないから5月のうちに買ってもらっていました。
それまでは父のAMだけのラジオで歌謡曲やポップスのベストテン番組を聞いていて、それが音楽や放送や電波に興味を持ったきっかけでした。
たまたま5月の末頃はFM福岡が開局前のテスト放送で、一日中音楽だけを流していました。
山口県にはNHK・FMしかなく、当時のNHKのFMはクラッシックと能と朗読と民謡など、ほぼ小学生が聞いても楽しいものではありませんでした。
そこに一日中歌謡曲や洋楽を流している局があって、その後それがFM福岡と分かって、山口県美祢市まで北九州市の皿倉山からの電波が良く届かず、天候によってはノイズが大きく、そのノイズ以上に強く電波を受ける方法を知るために電子工学や無線工学を学ぶ様になりました。
そういう意味ではFM放送は自分のビジネスの原点で、音質的に劣るAM放送から、遠くだが音質に優れたFM放送を綺麗な音で聴こうという努力が学校での勉強を超えて努力していました。
AMはアンプリチュード・モジュレーションの略で振幅変調という電波の強さの強弱で音を作っていて、FMはフレケンシー・モジュレーションと読み、周波数変調という周波数の変化を直接音に変換するために高音質でラジオが聞けるという仕組みを、小学6年生の時の夏休みに萩市で行われた日本アマチュア無線連盟主催の技術講習会で知る事になりました。
これから先は『今のサウンドピュアディオ出来るまでの40年史+12』の初めの頃に書き込んでいるので省略しますが、その後いろんな意味でフレケンシー・モジュレーションに関わる事になりました。
現在は福岡市中央区地行にある『クロスFMサウンドピュアディオスタジオ』と・・
山口市緑町にある『FMYサウンドピュアディオスタジオ』の2つのFM局のスタジオのネーミングライツスポンサーになって、小学生の時にFMラジオの素晴らしい音を聴いて感動したという子は多くいても、ここまでFMに熱中出来た人はいなかったでしょう。
そういえば今はFMYサウンドピュアディオスタジオになっている場所がFM山口第一スタジオと呼ばれている時に、1年間音楽番組のDJをやっていたという話はもう何回も読まれていると思うので、今日はまだ書いた事が無い話で、以前大和良子さんが朝の番組を持たれている時に水曜日にゲストで出演する予定だったのを、自分が一日間違えて木曜日と思い込んで専務と車で移動していたら、「今日のゲストはサウンドピュアディオの井川社長です。」と大和さんが言っているではありませんか!
慌ててコースを変えて専務の山陽道の周防灘パーキングエリアに置き去りにして山口市に行き、専務は後で息子に迎えに行ってもらって、自分はまあまあ時間に余裕を持ってスタジオ入りした事があります。
間違いはその1回ぐらいですが、何故か最近その事を思い出して、夢の中でクロスFMの立山律子さんが、「今日はサウンドピュアディオの井川社長がみえる予定ですが、まだ来られていませんね?」と放送の中で言われていて、自分は福岡店にいて「やってしまった!」というところで目が覚めました。
クロスFMへの出演は明日の13時30分からで、13時過ぎに小倉のスタジオに行けば間に合うのですが、嫌な夢を見てしまい明日は1時間ぐらい前から着くつもりで行きます。
あっ!他には福岡でスタジオ入りの前に都市高速にのったら事故渋滞で進まなくて収録を遅らせてもらった事があり、これが生放送でなくて良かった!とギリギリ助かった事もありました。
いつの間にかFM放送は聴く側から作る側になっていましたが、放送関係は時間が命なので、とにかく早めに行ってどこかで時間をつぶすというのが必要です。
そういえば自分の本業の事で、最近新車がディスプレイオーディオという状態になって、CD・DVDプレイヤーが付かない車が増えて来て、テレビ受信にも制約があってスマートフォンかラジオしか聴かなくなったという方が増えて来ました。
その中で「FMラジオを聴いている事が多いので、パーソナリティーの方の声が本人らしく聞こえる様な音にして下さい。」というご要望の方もおられる様になりました。
デジタル・デジタルと言われて、一時期はFMラジオは過去のメディア的な扱いになった時期もありますが、今再びFMラジオが見直されて来て、そんな時期のFMの日は感慨深いものがあります。
Posted at 2023/06/13 10:52:04 |
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