2016年04月30日
ヘマふんじまった
・とあるヘマで予想通り3日ほど寝たきり状態になってた。幸いな事に後遺症は今は無く、ぎっくり腰みたいな感じって事である。今も寝返りや起きる動作が難しいが、筋トレのお陰で腕力や足の力だけでなんとかなるのが救い。これが暑い時期とかだと眠れなくて辛いのだろうが、やけに良く眠れたし、2日目からは寝ている分には痛みはほぼ無くて助かった。お陰で藤沢周平の用心棒日月抄を何回が読む事が出来たし、ラジオで地元の電鉄の音の旅をやっているのも聴けた。食事が辛い所だが、とりあえずプロテインとか手持ちのパイナップルとかで足りてる、てか食欲そんな無い。
・仕事の遅れは深刻だし、復帰しても以前ほどバリバリとはしばらく動けそうもないが、ジベ処理直前で無かっただけマシかも知れない。でも、マルチ張りとか藁運びとか、割と人力頼みの仕事が残っていたのが辛い。配布物も運べてないので、今日には持って行かねば。
・また、寝ていて戻った部分は筋肉が短くなっているというか、少し伸ばしただけで引きつるので、リハビリのストレッチが辛い。普通の動作がストレッチの過伸展な感じ。でも、動かさないとへんな形で固まってしまいそう。
・寝ている間にあった事と言えば、地震があった。この地域は東北が揺れても南西が揺れてもなんかしらの影響が伝わってくる所らしく、白馬・小谷周辺は地震の後に飛び地で揺れている。今回は安曇の方だったが、ラジオで上高地線の話やってる時に揺れてタイムリーすぎてびっくりした。
このラジオで私も知らなかった事がいくつか出ていて面白かった。まず今使っている車両は以前京王井の頭線で使われていた車両だそうだ。見た覚えがあるようなないような。次にイメージキャラクターの渕東なぎさ、これは駅名の「渕東」と「渚」から取られているという事だった。ありがちな名前なので、つい「片平なぎさ」あたりと混じっていた。そして、最後にびっくりしたのは「島々駅という駅があった!」という事である。
今、あの路線は正式には上高地線と呼ばれているが、実は地元だと「新島々線」と呼んでいる人が多い。調べたら1921年開業して32年に島々線と名付けられ、1955年に上高地線と改名したらしいが、未だ島々線の方が通りが良い。理由だが、あの線路、上高地に通じてないんだな、これが。むしろバスなどの方が上高地線があるので、新島々線というのは暗に「電車路線」という含みがあるので、簡単に使い分けができるというのがある。で、上高地線と呼んでいた頃は飛騨高山までの鉄道という壮大な構想があったらしいのだが、利用者が少なくあまりに難易度が高い山岳ルートになるため実現しなかった。その夢のあとな訳だが、終着駅より先にも何故か路線とおぼしき物が伸びていて不思議だった。
ラジオによると1985年に土砂崩れで終点の島々駅と新島々の間が分断され、それを復旧させるのを諦めて新島々終点になったと言っていたが、ウィキだと1983年の土砂崩れとある。実際に廃止になったが1985年だそうだ。そして旧島々駅が今の終点に移築されて置いてある。実際の場所はウィキに緯度経度がのっておりグーグルアースで特定出来るが、今は道路になっている脇なので、おそらく車道に売り渡したかなんかだろうと思われる。でも、その先もちょっと線路っぽい物の遺物が見られる。土砂崩れの跡や危険箇所は容易には発見出来ないので、おそらく復旧が困難で廃止したというより、新島々の方がターミナル機能を拡充しやすかったのであえて復旧しなかったという所だろう。
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Posted at
2016/04/30 21:22:52
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