今日7月29日はアマチュア無線の日です。
太平洋戦争が勃発して日本でアマチュア無線が禁止されていたのが、1952年に再開されて、アマチュア無線の普及とPRのために翌年に制定されたそうです。
自分が初めてアマチュア無線を知ったのは小学6年の時で、5年性まで通っていた小さな小学校が閉校となり、バスに乗って遠くの大きな小学校まで通う様になった時に、理科の先生の車に145メガのアマチュア無線機が付いていて、それをよく覗き込んでいたら、「無線に興味があるかね?」と聞かれて、「はい!」と答えて、それから何度も見ていたら、「免許の取り方を教えてあげよう。」と言われました。
その方法は夏休みの1週間、萩市にある遠洋魚業に出る船に乗る無線技師を養成する学校に通って、講習を受けた後に最終日に試験を受けて、合格すればアマチュア無線の免許がもらえるというものでした。
当時住んでいた美祢市から毎日萩市まで通うのは不可能で、母方の祖父のいとこの家に住んで、そこから1週間学校に通いました。
アマチュア無線の4級は四者択一式で小学生でも簡単に合格出来るという話もありますが、当時は筆記式で答えを何も書かれていない空欄に書かないといけなくて、かなり難しいものでした。
一緒に行っていた同級生は不合格で、自分だけ合格して、同級生はいとこがいる親戚の家から通っていたので海に行ったり花火をしたりしていたのが、祖父のいとこの家は子供がいなかったので、遊ぶ事もなく、ひらすら無線工学と電波法の勉強ばかりをしていました。
そのせいあって自分は合格して、かなり勉強が出来ていた同級生は落ちて、それで周りから天才少年と言われて、ちょっと・・いやだいぶん調子に乗って、学校の勉強をしなかったら、父親が先生に呼ばれて叱られて、アマチュア無線の免許は取れたものの、無線機を買って開局する事が出来ませんでした。
それから中学校に入って、アマチュア無線の試験も四者択一になって合格率も上がって、1学年上の上級生が数人免許を取って、それで開局するというので運良く一緒に無線機を買ってもらって開局出来ました。
しかし開局したら無線ばかりして勉強せず、アンテナを自分で組み立てて遠くに電波を飛ばそうと努力して、その時にコイル巻き・ハンダ付け・インピーダンスの整合成を体に叩き込みました。
高校生になったら電波を飛ばす技術だけでななく、電波の強さだけでなくマイクと無線機の間に回路を入れて、音質を改善する事で相手に聞きやすくなるという技術を磨きました。
親からは「ハンダ付けして、グルグルコイルを巻いて、この子は一体大きくなったらどんな仕事をするんだろう?」と言っていましたが、今年60歳になってもいまだにハンダ付けとコイル巻きをしています。
自分の誕生日は6月2日で、その前の日の6月1日は電波の日で、学生の時は「なぜ母親は1日早く産んでくれなかったんだ!」と思っていましたが、今の仕事はオーディオの方に転向しているので、それは感じなくなりました。
社会人になってしばらくしたら車で移動しながら景色が変わる中で良い音で音楽が聴けるカーオーディオ にはまって、段々アマチュア無線から離れて行って、気が付いたら37年もアマチュア無線をやめていました。
ところが昨年の千葉の台風の被害をテレビで見て、通信手段が立たれているのを知って、「これは何か通信手段を持っていないと怖い!」と思って、JH4EFTというコールサイを復活させました。
今朝のテレビでも大雨の被害の報道をしていましたが・・
携帯電話はつながらなくなっているそうです。
自分の家から市の防災無線がある所まではかなり距離があり、歩いて行く間に被害に遭いそうなので、アマチュア無線は心強い通信手段です。
現在は災害とかの関係か許認可が緩くなって、免許が無くても5ワット送信出来るデジタル簡易無線もあるので、何かの時のために無線機を持っておいて、日頃からの趣味の交信で、どの設備ならどこまで届くと知っておくと良いと思います。
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ドライブ | 日記
Posted at
2020/07/29 19:49:17