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イイね!
2021年10月01日

新・お客様の質問にお答えして 第11話


お客様の質問にお答えしての新シリーズも第11話となりましたが、先日専務が「前に見た話が載っている・・」と言っていて、「いやいや、最近ブログを読まれ始めた方の為にと書いてあるでしょう。」と答えました。


実際にはここ数年で大きく車が変わって来て、デッキは取付られないとか、ナビは交換出来ない事を前提に音造りの比率は年々増えて来ているので、前作の時期とは業界の流れもかなり変わりつつあります。



さて今日のご質問というか、どちらかというとご指摘になるのですが、「2001年にオーディオボックスからサウンドピュアディオに名前を変える時に、まだ電源キャパシタやロジュームメッキの端子を使って音に勢いが付いていたのは、社長が20代の時に音楽番組のDJをしていて、プロ機の音を基準に音造りと言っていた発想とは違うのではないですか?」というご指摘でした。



自分がFM山口で1年間音楽番組を担当していたのは1986年で、その2年前の1984年はヴァン・ヘイレンの名作1984が発売された年でした。


1982年にカーオーディオ専門店オーディオボックスが宇部市に誕生して、当時はカセットデッキの回転数をやや早めにして、音を上ずらしたのがいい音と言われていた時代に、回転数が正確なデッキを主に販売するという事でスタートしたお店は、1985年ぐらいからナカミチのデッキ・アンプ・スピーカーを取り扱う様になって、ただ数が売れるのは普通の国産ブランドだったので、デッキとアンプはナカミチで、スピーカーは国産という組み合わせの車に自分は乗っていて、それでデモすると成約率は高かったです。


その車でFM山口のスタジオに週1回通っていて、道中今日かける音楽をレコードからカセットテープに録音した物と、CDをそのまま再生するという2つの放送で聴きながら、イントロでここまで喋れるみたいなタイミングを計っていました。


そしてスタジオに着いてスタジオ用のモニタースピーカーで今日かけるレコードは一度針を落として聴いて、ほこりなどでパチっというノイズが入らないかリハーサルして、クリーナーでテカテカに磨いてから番組の収録を行っていました。



そして帰りに車の中で今日収録した曲をもう一度聴いてみると・・ 


あれっ? 明らかに薄い音域と濃い音域が混在していて、音楽としてはどこかおかしい? みたいな事になって、国産のスピーカーは売りやすくてもあまり販売しなくなって、JBLとBOSEとB&Wとナカミチの4銘柄のスピーカーを主力に販売する様になりました。


ただ途中でBOSEは音造りの方針が耳の錯覚を利用する様になって、その後市販のカー用スピーカーの製造をやめて、一番売れ筋だったB&Wは耐久性が求められるカー用スピーカーは儲からないとカー用の市販の販売から撤退しました。



そんなカーオーディオの激変期にナカミチというメーカーは当時東京の小平にあった本社に、100名ぐらいが入れる小さなコンサートホールを持っていて、成績優秀なお店はそこで毎年1月に著名なアーティストを呼んで行われるコンサートに招待されるという特典がありました。


今考えたらたった100人のコンサートってあまりPAに頼っていないからとても良い音で、カーオーディオの音造りの指針になり、来年もこのホールに来たいからと一生懸命に販売に励みました。



ただナカミチの製品もある程度売れる様になったら営業部の暴走が始まり、100人規模のコンサートは中止されて、とにかく販売量の多い店が勝ちみたいになって、タイヤショップやエンジンチューンのお店がアンプやチャンネルディバイダーを無調整でそのまま納車するという、ナカミチの製品を使いながらも本来の音とは違うという店が増えてしまいました。



1990年代の全半に音造りの基準が無くなってしまった自分は、当時テレビのたばこのCMで使われたいた天野清継さんと国府弘子さんの演奏を、B&Wの801型スピーカーで聴いて、それを参考に音造りを行うという方式を取り始めました。


当時は演奏している本人に会うとか、コンサートを聴きに行くとかいう発想は全く無くて、お二人の『ヘブン』、『ヘブン&ビヨンド』、『アズール』という3枚のアルバムを入れ替えて聴いて、その録音方式の違いがハッキリと分かるのが良いセッティングと思って音調整を行いました。



その頃は年に何回か秋葉原の高級ホームオーディオ店に行って、50万とか100万円する高額なオーディオアクセサリーを買って、それを801が繋がっているアンプやCDプレイヤーに取り付けて、「これがいい音なんだ。」という変な自信を持って聴いていて、その影響で電源キャパシタで音のキレを良くするとか、ロジュームメッキの端子を使って接触抵抗を少なくするなどの手法を取る様になり、それをお客様にデモすると音がスコーン!と浮き上がって、かなりの確率で受注となりました。



そんなスタイルが確立されていた2002年のある日、お客様の車の音調整をしていたら、何とも不思議な演奏のCDが入っていて、それを何度も繰り返して聴いてみて、あまりに気になるので次の日にCD屋さんで探して購入しました。


それが上妻宏光さんのロック調の楽曲で、三味線に聴こえるがエレキギターの様な・・ いや琵琶かか琴の様な・・ と摩訶不思議なサウンドに一度で虜になってしまいました。


それから上妻宏光さんのロック調の楽曲とボーカルが入っている楽曲を調整CDとして使う様になって、2004年に初めてコンサートを聴きに行きました。


場所は建て替える前のZepp福岡で、1曲目から「あれっ? 何か違う?」と思って、当時は会場でCDを買うかファンクラブに入っていたら終了後の握手会に並ぶ事が出来て、自分はCDを買って列に並んで、「井川と申します。ラジオ番組で上妻さんの曲をかけています。」と、当時会社のPR番組に出ていた時は必ず上妻宏光さんの楽曲をかけている事を伝えました。


「ありがとうございます。」と答えられた上妻さんの生声は、自分の車で聴く音とはどこかズレていて、その日の帰りは「カーオーディオとコンサートの音や本人の声とは違うから。」と自分で自分を慰めて帰ったのを今でも覚えています。


翌2005年は一度も上妻さんのコンサートは聴きに行かず、半分以上現実逃避していて、2006年には佐賀市でコンサートが行われるという事で、発売日に会場にチケットを買いに行ったら運良く最前列が手に入って、真ん前の席で生演奏を聴いたら、帰りの車で「もうこれはまずい! 何か変えないと絶対にまずい!」と思いながら上妻さんの楽曲を聴きながら帰りました。


それからが大変で、とにかく上妻宏光さのコンサートに1年で10会場行って、コンサートの音を聴くだけでなく、全ての会場で握手会に参加して上妻さんの生声を聞いて、それを車の中で表現するんだ!と、土日に仕事を抜ける事もあって、9カ月で10会場廻るという、目標よりも早く達成しました。



それと時を同じくしてクロスFMのイベントでDEENのボーカルの池森秀一さんと知り合って、イベントの次の日に福岡店の来られたいという事で、当時乗っていたエスティマで泊まられていたホテルに迎えに行きました。


道中DEENさんのCDを再生しながら走っていたのですが、途中で池森さんがCDに合わせてちょっと歌われました。


その生声とドアから出ている中音域に差があるというのが直ぐに分かって、福岡店を訪問された後にエスティマのドアの内張を外して、何度防振材を貼ってもさっき聞いたあの声にならなくてガッカリしていました。


それもそのはず、それまでの防振マットでは中音から高音の手前辺りの周波数には効き目がなくて、貼れば貼るほど低音の量が増えてブーミーな音になるだけで、「これは金属を使って高い周波数を減衰させないと意味が無い!」と気付きました。



それだけでなく福岡店に来られた池森さんからは、「ここのスピーカー音悪いね。これはモニタースピーカーの音とは言わないよ。本物のスタジオモニターの音を聴かせてあげるから、東京に出ておいで。」と言われました。


その頃はJBLやB&Wのスピーカーは段々レコーディオングスタジオで使われなくなって来て、スタジオ専業の小さな会社のスピーカーが段々増えて来ていて、東京に行ってから池森さんから聴かせて頂いたスピーカーはこれまで全く知らなかった銘柄で、それ以上に自分が高級ホームオーディオ店で何十万も出して買ったアクセサリーの数々が本当の音から店の中の音を遠ざけている事に気付いて、帰ってからそれらのアクセサリーを全て外しました。



そんな訳でFM山口でDJをしていた時代の後にナカミチの本社のホールで生音を聴いて、その後それらが無くなってある意味迷走していたところから、2人のアーティストの出会いから現在の音造りの方向に来ていて、正確な音の基準を無くして良い音は再生出来ないという事を知って、メーカーに頼るのではなく、自社で音楽業界や放送業界とつながるための費用を使って正確な音楽を再生する様に努力しています。



これ以外には2000年代の前半に歌手のファンクラブに入っておられるお客様が3人同時期にシステムを購入されて、「どこか違う?」というふうに言われていました。


一人はHYさんのファンの方で、もう一人は石井竜也さんのファンの方で、3人目はCHAGE&ASKAのファンの方で、HYさんと石井竜也さんのファンの方は本人に直接会って生の声を知っておられる方でした。


お客様が本人の生声知っておられるのに自分が知らないと、これが本来の音ですとは言えず、ラジオ番組の制作を通じて、HYのボーカルの新里英之さんと仲宗根泉さんと、米米クラブのボーカル・石井竜也さんと、CHAGAさんのラジオ番組のスポンサーとなって、複数回お会いして生声がイメージ出来るまでになって、音造りにはお客様には納得し頂いています。



そんなこんなで80年代から2000年代の中盤ぐらいまでのお話を一気に書き込みましたが、今考えたら1980年代はメーカーが音の良いコンサートを開いてくれていて、リスクが少なくて良かったなと思いながらも、満島ひかりさんのUQモバイルのCMの「リスクを取らない事が最もリスクだ!」という台詞がしみじみと心に響く今日この頃でした。



文字だけ長文のブログを最後までお読みいただいて、ありがとうございました。

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Posted at 2021/10/01 11:40:38

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