最近コンビニで『モーターファン別冊 80年代日産車のすべて』という本を見つけました。
もっとも輝いていた10年!と表紙に書いてあって、確かにあの頃の日産は勢いがありました。
自分は1960年生まれなのでこの頃は20代で、20歳で自営業を始めるは、20代後半には不動産投資をして毎月銀行の支払いに追われて欲しい車は買う事が出来ず、「いいなー!」と思って自動車雑誌で見るだけでした。
当時日産車の中でも欲しくても買えなかったのが、大ヒットしたS13シルビアの一世代前の不人気のS12シルビアのハッチバックでした。
あの頃は人が乗っていない車に乗りたくて、大堂のヒット車には興味がありませんでした。
もう1台欲しかった日産車というか、日産がノックダウン生産で販売していたフルクスワーゲンのサンタナです。
こちらもあまり売れなくてマイナー車で、輸入ブランドというイメージもあって、ディラーでカタログを貰って来て、家で「いいなー!」と思って見ていました。
それから20年経ったある日、その憧れのサンタナに出会って、お客様が動かなくなるまでオーディオをシステムアップされ続けていました。
今度は買えなかった車ではなくて買わなかった車で、日産の初代プレーリーと三菱の初代シャリオの2台のどちらかを買うか散々迷って、結局三菱シャリオの方を書いました。
ただその後90年代になってM11型プレーリーをベースにモデルチェンジとビッグマイナーチェンジの中間ぐらいだったプレーリージョイという車を買ったので、結果的にはプレーリーのオーナーにはなったのですが、ランサーベースのシャリオはなかなか面白い車でした。
80年代の日産はトヨタが作っている車の対抗車は必ず発売するという勢いがありましたが、それと同時にトヨタが作っていないジャンルの車も作っていたので、プレーリーとかはそのいい例で、他には限定車のBe1とかパオとかエスカルゴとかありました。
しかしトヨタに対抗意識がありすぎて、後で無くなるチェリー店(後にパルサー店)を作って、販売チャンネルに合わせて車種を増やし過ぎて、ブルーバードとサニーの中間のバイオレット・オースター・スタンザという三子車もあって、それがバイオレットリベルタ・リベルタビラ・オースターJXなどと車名を変えて、一時期のマツダが販売チャンネルうを増やした時みたいにイメージが薄くなり、パルサー店は無くなって日産店に統合されて、ブルーバードの下の三兄弟車も無くなりました。
そのパルサー店の看板車種の1500ccのFF車のパルサーを買った事があって、これは中古車の4ドアを初期モデルの末期に買って乗っていて、その後結婚した妻が2ドアクーペを新車で買って乗っていて、同じ車に乗っていたというのもあるのか、何だかの縁があって結婚する事になりました。
その頃はトラッド・サニーとか910ブルーバードとか超人気車もありましたが、あえて王道のヒット車を避けていたので、結局妻と結婚する事になったのかな?と思いながらこの本を読んでいました。
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ドライブ | 日記
Posted at
2018/09/07 19:27:07