今日福岡店にいたら叔父が亡くなったという電話がかかって来て、福岡かから山口県美祢市に向かうのに今日乗っていたガソリン車のNAノートだと体がきつそうだったので、娘からレヴォーグを取り上げて、アイサイトを使いまくりで高速道路を走りました。
自分が生まれ育った美祢市は石灰石の町で、高校の3年間この石灰石の採掘場の横をマラソン大会で走り、就職したらもうここを走る事は無いだろうと思っていたら、訳あって地元の石灰石加工会社に勤める事になり、その新入社員教育でもう一度走るはめになりました。
自分で言うのも何ですが、地元の工業高校では成績は良い方で、大手家電メーカーに就職するつもりで学校推薦まで決まっていたのが、突然担任の先生から「今年のN社の学校の推薦は無くなった。」と言われて、自分は「別にいいです。自分よりもK君の方が成績が悪いから、H社に変えて下さい。」と言ったら、「それは出来ない。」と言われました。
その時は全く意味が分からなかったのですが、どうも機械科にN社の取り締まり役の親戚の学生がいて、うちの学校の1名の推薦枠がその年は無くなり、機械化の生徒が逆指名で試験を受けるので、自分の推薦枠が消えて、他の推薦枠は全て決まっているから、自分はどこの電機メーカーも試験を受けられないという状態になりました。
運命を恨みましたが自分はどうにも出来なくて、自分より成績が悪かったK君はH社の試験に落ちて、「自分が受けていたら受かっていただろうに。」とふてくされていました。
ちなみにK君は町の家電屋さんに就職して、自分は電気科で成績優秀にも関わらず石灰石加工工場で働く事になり、毎日石灰石を重油バーナーで焼いて砕いて、化学変化を起こさせて材料として出荷していました。
自分は電気が好きで勉強していて、「何でこんな石灰石まみれの仕事をしないといけないんだ!」と将来が不安で半年で工場をやめて、その後家電や自動車関係の小売店を転々として、20歳で出張取り付けの仕事を始めて、22歳でカーオーディオの専門店を始めました。
現在59歳なのでお店を始めて37年となり、今年はセメントコーティングを始めてから過去最高の施工数となり、石灰石を練っても練っても直ぐに無くなってしまうという状態になっていて、あれだけ嫌だった石灰石に今では感謝しています。
今となってはあれだけ18歳の時に灰色に見えていた砕石場の石灰石の色が、何故か今日は白く見えました。
これは結局気持ちの持ち方なのでしょう。
追伸
叔父の通夜や葬儀などの移動で自分の親や叔母が移動するのに自分が足として運転しないといけなのですが、自分の親の世代が最近の免許証返納ブームに乗って運転をやめた人ばかりで、「自動軽減ブレーキがもっと早く普及していたら、こんなに大量に免許を返さなくてもいいのいに。」と思いました。
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ドライブ | 日記
Posted at
2019/07/11 21:46:02