今日は1月の第二月曜日なので、成人の日となっています。
1999年までは1月15日が成人の日でしたから、自分の成人式の日は昭和50年代ですから、1月15日で固定というイメージでした。
自分が20歳の時は高校を卒業して就職していた石灰石加工会社を辞めて、次の幅広い製品を扱っている電気店で務めていました。
普通の大手家電店では扱っていないジャンルの商品も扱っている変わった会社で、その中にカーオーディオもありました。
自分はカーオーディオとは直接は関係無い部署にいたのですが、個人的にカーオーディオが好きで、自分で車に取り付けていて、当時は他社との組み合わせが不可能なパイオニア製のカーコンポーネントに、自分で独自のユニットを作ってパナソニックの製品と混ぜて使える様にしていました。
その時乗っていたスバルのレオーネ4WDを手放して、中古のダイハツ・ハイゼットのバンを購入して自営業を始めたのも20歳の時で、同級生はクーペの車で女の子とドライブしている時に、自分は中古の箱バンで出張取り付けの仕事をしていました。
その後ハイゼットのバンから中古のカローラのバンに買い替えた時は、少しはカーオーディオ的な音が出せる環境が整って、音楽が聴ければよい状態から、少しでも良い音を聴きたいと変わって来ました。
22歳の時には世の中はカーオーディオが徐々にブームになって来て、パイオニア・クラリオン・パナソニック・富士通テン・サンヨーの5ブランドしかなかった日本の市場に、アルパイン・ケンウッド・ナカミチの新勢力が参入して来て、地元のカー用品店がこれまでのしがらみがあってなかなか新勢力に手が出せない事を逆手に取って、新勢力の商品を前面に出したカーオーディオ専門店をスタートさせたので、22歳の若造でも簡単にショップを開く事が出来ました。
ただそんな調子の良い事は長く続かず、新勢力の3ブランドが簡単に売れる様になればどこもこぞって新勢力3ブランドを扱いたいと言い始めて、市場規模が増えた以上の競争が生まれて来ました。
自分が20歳の頃はカーオーディオを職業にし始めた時期と、FMの放送に興味を持って来た時期でもありました。
1980年に海外では日本よりも早くコミニュティーFMが普及していて、小規模なFM局でバンドの上から下まで沢山の放送局が選べるという状態でした。
それを真似したミニFM局という、飛ぶ距離が100メートル以内という縛りの中で(実際にはほとんどが100メートル以上飛ばしていた)日本中に広まって、当時は電波に関しては郵政省が管轄していて、100メートル以内では実用にならないと、海外の様に小型のFM局を認可して欲しいと全国的に嘆願する動きがあって、自分もミニFM局を開局していたので、そんな活動に共感していました。
ただ今となっては普通の民放FMに関わる仕事をしていて、自分が関わっている放送とコミニュティーFMで聴取率を奪い合っているので、「なぜあの時にコミニティーFMの認可に嘆願したんだろう。」と後悔していて、数十年後に普通の民放FMに関わっているとは夢にも思っていませんでした。
日本は災害が多い国なので小型の放送局を増やすのは当然の事なのでしょうが、20歳の時の『将来はコミニティーFM局のオーナーになりたい』という目標から、40年経ったら全く別な所に自分が位置していて、オーディオボックスという店名から2001年にサウンドピュアディオと改名してオリジナル商品を作るとかは、20歳の自分からしていたら今こうなっているとは全く想像出来ない将来になっていました。
自分が22歳の時に宇部市にカーオーディオ専門店オーディオボックスを開店したので、今年の10月10日で小売店としては40周年となり、二回目の成人式を迎えるという事になりますね。
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世間話 | 日記
Posted at
2022/01/10 11:27:55