先日のBMW3シリーズツーリングの作業のブログの続きになりますが、月曜日の夕方にベーシックパッケージの作業が終わって納車させて頂いた時に、お客様から「予想していたよりも音が良かった!」という感想を頂きましました。
前のBMWでは輸入ブランドのトレードインスピーカーを使われていたそうで、それよりも約3割安い価格で、それで音質は以前よりも大幅アップでしたから、「コストパフォーマンスが高い!」と喜ばれていました。
苦労した甲斐がありましたが、自分的にも以前先代の3シリーズツーリングに乗っていた時には表現出来なかったレベルの音が表現出来て・・
同時に5シリーズのセダンも持っていて、そのデモカーでも表現出来なかった音が表現出来たので、「この違いは何なんだろう?」と、後からその当時を思い出して検証していました。
時系列で辿って行ったら、当時のピュアコンが第3世代のピュアコンで、今のピュアコンは第5世代に変わっていて、ドアのスピーカー位置の改善以上に、この世代交代を2回繰り返した差が出ているなと思い起こしました。
ピュアコンが誕生したのは1992年の10月頃で、8月の終わりぐらいから9月にかけてはまだ形をどうするかと規格を練っていて、その前の大きなボックスに左右のパーツのツイーター用とミッド用が合わせて入っていた『オリジナル・ネットワーク』のいちいち中を開けてハンダを溶いてパーツを差し替える作業の面倒さと、この作業を行っているうちに前の音を忘れてしまったり、中のコイルはじわじわとほどいて音を変えていたので、ほどき過ぎるとまた大きな巻きからほどき始めないと行けなくて、あるていどまとまった音に辿り着くのに1週間もかかるという効率の悪さで、更に思い切ってコイルをほどけないので寸止め的にまだ良い巻きがありそうなのに手前の無難な所で止めてしまうみたいな、どこか中途半端な状態で、自分自身にも不満がありましたが、時間が無いからの一言で終わらせていました。
それをローパス回路とハイパス回路とアッテネーター回路を自由に組み合わせる方式を考え付いて、今まで考えられなかったハイスピードでパーツの組み合わせを変える事が出来、寸止め的な音調整をしなくて済む様になりました。
そのピュアコンの第一世代を作っていた時は電池で動くハンディーテスターでコイルやコンデンサの測定を行っていて、価格が安い分測定精度も低いものでした。
それを1998年に工場の品質管理や大学の研究室で使うレベルの数十万円する測定機に買い替えた時が第2世代のピュアコンとなって、左右のペアリングの合わせ方が正確になりました。
そして第3世代となったきっかけは2006年の海の日の前日に、三味線奏者の上妻宏光さんの追っかけを当時自分はしていて、三味線なのに三味線ではない、琵琶とも琴ともエレキギターとも分からない摩訶不思議なサウンドの虜になっていて、1年でコンサート会場を10会場廻ると言いながら、9カ月で10会場目を達成していました。
ファンクラブにも入っていて、今だとあり得ないのですが、当時はコンサート後に握手会があって、毎回ほんの少し話が出来て、顔を覚えてもらうぐらいの関係になっていました。
2006年の7月19日には会場にデモカーで行っていて、握手会の最後に並んで、「上妻さん、お願いがあります。自分の車のオーディオの音を聴いてもらえませんか?」とお願いしました。
上妻さんは、「少し待って下さい。」と言われて、当時の事務所の社長さんに相談されて、社長さんが「聴いてあげなさい。」と言われて、デモカーを聴いて頂く事になりました。
でも当時は元の音に似ている所とそうでない所が混在していて、100%上妻さんがこれが生音!というレベルではありませんでした。
自分は助手席でイコライザーのリモコンを握りしめて、「足りないとか、出過ぎている音域があったら教えて下さい。上げ下げしますから。」と言ったのですが、上妻さんは「上げる下げるの問題ではない様な・・」と言われてその日の試聴は終わりました。
後で検証してみると上げる下げるの問題ではないと言われたのが、レベルの上下が合っていないのではなくて、音色の音色が違う問いう意味で、周波数によって明るい音域と暗い音域が混在していて、スペアナで測定していくらフラットでも、生の演奏とは違っていたのでした。
当時上妻さんはアルバムに1曲だけボーカル物があるというレコーディングをされていたので、10回も上妻さんにお会いして生声を聞いていると、本人の声と違うというのが分かって、会場によってはPA無しの生音で三味線を聴く事も出来ていました。
2006年の秋には初めてサウンドピュアディオがスポンサーでFM福岡でアーティストさんの特別番組を制作を行うという事をスタートさせて、その1人目のアーティストさんが上妻宏光さんで、それと同時にピュアコンは生音・生声を基準に第3世代へと変わり、イベントでDEENのボーカル・池森修一さんにその音を聴いて頂いて、お付き合いが始まりました。
そのFM福岡が2008年には新社屋となり、FM福岡で制作した番組をFM山口でも放送するという、2局放送のスタイルも確立されました。
その年に何回かのサウンドピュアディオプレゼンツの番組は、2017年に「音解」をレギュラー番組化して、自分が面識があるアーティストさんとその友達という人脈から、全くこれまでお付き合いが無かったアーティストさんの番組を作って、全く知らなかったボーカリストさんの声を1年に数十人も聴く事が出来て、2018年の3月に同じ週に斉藤和義さんとスキマスイッチの大橋卓也さんの声を聞く事が出来た時に、「今のピュアコンの精度では表現出来る音に限界がある!2桁のノーマルピュアコンを3桁にして、3桁のJU60用を4桁にアップさせる!」という英断に出ました。
この測定精度を10倍に上げて表記の桁数を上げるとパーツの買い方がこれまでと同じでは問題が出て来て、例えばコンデンサを大量に買い付けてコストを下げるという事が出来なくなりました。
それはコンデンサは工場で作る季節によって微妙に静電容量に差が出ていて、冬場に仕入れると比較的低い値が出やすく、夏場に仕入れると高い値の物が多く入っていて、春や秋がちょうどの数字が多いという傾向が見えて来て、しかも値がピッタリの物は測定器メーカーが高い価格で買っているらしく、その買い付けの時期はなかなかピッタリの物が手に入らないなど、精度を上げれば上げるほど買いのタイミングを図る必要が出て来て、少量を何回かに分けて買うという手法に変えて来ました。
そうこうしていたら自動車メーカーがオーディオレス車を減らして来て、プレミアムサウンド車やディスプレイオーディオ車を増やして来て、ソース側での制約が多くなって、これまでのピュアコンでは「前の車に比べてベーシックパッケージを付けても音の変化が少ない。」というお客様の不満が出て来ました。
そこで第5世代のピュアコンの開発にかからざるを得なくなり、もう既に技術的には限界に来ているのに、そこで音質を上げた手法とは・・
見た目は全く変わっていないのが、これまで中身を作るのにスピーカーを直列に接続している部分は音の変化が激しいから井川がハンダ付けを行っていて、並列に繋がっている部分は社員がハンダ付けしていた部分を、直列部分・並列部分全て井川がハンダ付けを行う事でやや音質をアップさせて、ピュアコンの入出力のオスメスギボシのハンダ付けが社員だったのも全て井川がハンダ付けに変えたらさらに音質が上がりました。
もう一つコイルで20マイクロ以下の巻きの少ない物は井川が一から手作業で巻き上げて、輸入物の高い銅線を使い、白いボビンも特注で作って、その部分の音質アップでもディスプレイオーディオ車でも良い音を表現出来る様になりました。
そんな訳で先日の3シリーズは、当社がデモカーで3シリーズと5シリーズを持っていた時よりも2世代進んだピュアコンで、同じ様なスピーカーレイアウトもかなり音が滑らかで浮き出しの良いサウンドに仕上がっていました。
後2つ音質が上がった理由があって、第5世代になってブラックボックス内のコンデンサをハンダ付けの時に、以前は2・3本の放熱クリップを付けて熱が伝わらない無い様にしていたのが、タコクリップと呼ぶ8本クリップから、イカクリップと呼ぶ10本クリップにして、今は付くだけ何本でも付けるに変えて、それが音の滑らかさに繋がっています。
ただこのクリップのバネがかなり強くて、10本以上付け外しをしていると指が疲れて、今では普通はあまり使わない左指で付け外しをする習慣をつけて、右指を守っています。
もう一つは多くのマッチングが取れた様に感じる値の組み合わせの中から本当に合っている組み合わせを探すスピードで、長年やめていた無線の実験を2019年の11月から再開して、周波数を同調させるとか、インピーダンスの整合性を上げるという、中学・高校で夢中になっていた時の感覚がよみがえって、当時はまだ開発されていなかった同調の取り方を知る事で、結果としてオーディオの同調にプラスになって、これらがトータルで第5世代のピュアコンの誕生に貢献しています。
古い話ですが、自分が高校生の時に見たブルース・リーの『燃えよドラゴン』の最後の方のシーンで、悪の組織のボスを追い詰めた時に鏡張りの部屋に入り、合わせ鏡でいくつものボスの姿が写り、どれが本物が迷うという有名なシーンがあります。
ピュアコンの多くの組み合わせから本当に合う1つを選ぶ時に、必ずこのシーンが頭の中に浮かびます。
結局は鏡をパンチで日々を入れて見えなくして、最後に本当のボスを見つけるのですが、何回も組み合わせを変えて、これでもない、あれでもないと変えている時は、エジソンがフィラメントの開発時に「フィラメントに適さない材質を見つけたと思っている。」と言った言葉を思い出しながら、本当に合う一品を見つけています。
「自分は失敗したのではなく、適さない材質を見つけただけだ!」というエジソンの言葉も、自分の仕事を進める上での根底になっています。