10月10日は開業記念日となるので、1982年の開業当時の楽曲を買いに宇部駅前の大きな本屋さんに行ったら、前に行った時にあったTOTOの1982年発売の聖なる剣が売れていて、目的の場所から無くなっていました。
自分はCDは神父を通販でかって、こういうCDは店頭で買うという習慣があって、前に見た時にその場で買っておけばよかったと後悔しました。
代わりに目に入ったのがワムのベストアルバムで、これは1983年からの楽曲が入っているので、開業よりは少し後になります。
CDとDVDの2枚組で、この時期は少し遅いかもしれませんが、クラブ・トロピカーナのイントロのそのまた前の虫の鳴き声が、夏の終わりから秋にかけての涼しくなりかけた夜のイメージがあります。
4分29秒をトータルで車の中で聴いて、最初の数秒と終わりの9秒の虫の声にこの時期は
癒されます。
そのDVDの中に入っている映像特典で、マクセルのカセットテープのCM画像があって、「自分が開業した時は車のオーディオはカセットテープで聴いていたんだ!」と今更ながら驚きました!
当時は最初からレコード会社で録音したミュージックテープと、自宅のオーディオでレコードからカセットテープに録音する自作テープが当たり前で、ミュージックテープは2500円から3200円ぐらいしていたので、今の貨幣価値にすると5000円から7000円ぐらいなので、とんでもなく贅沢な品でした。
自宅録音は録音機材で音の良し悪しが決まって、安いミニコンポで録音したカセットテープのしょぼい音をイコライザーで無理やり上げるなどの努力をされていた方もあるのではないでしょうか?
話はクラブ・トロピカーナに戻って、当時出だしがクラブトロピカーナに似ているディスコの楽曲があって、ピーター・ブラウンのカム・アウト・アット・ザ・ナイトが出だしがほぼ同じで、ディスコに休憩タイムの後に1曲にカム・アウト・アット・ザ・ナイトがかかると、メジャーなクラブ・トロピ―カーナがかかったと勘違いしてダンスフロアーに出て、「あれっ?」という人を見かける事もありました。
自分はピーター・ブラウンみたいな知る人ぞ知るみたいな楽曲が好きだったので、メジャーな曲でなくてもスイスイと踊っていて、「残念でした。」みたいに横目でチラッと見ていました。
自分が開業した後は第ニ次ディスコブームで、第一ディスコブームが1977年のサタデーナイト・フィーバーの時期で、そのご少し下火となり、フラッシュ・ダンスとフットルースの影響で2次ブームとなり、1986年のユーロビートブームから火が付いて、大箱のディスコの第三次ディスコブームとなり、その後はごく一部の人が通うクラブとなり、一般大衆のディスコは音楽を聴いて懐かしむだけみたいな状態になりました。
特に1986年にユーロビートというジャンルが出来た時は一大センセーショナルで、当時はFM山口でダンスミュージックのノンストップ物を1年間DJと選曲、もちろんノンストップのタイミングの算出も自分がやっていて、当初は『ソウル&ディスコステイション』という渋めのダンスミュージックを紹介した番組も、ユーロビートの登場と共に『ディスコ・フリーク』と名前を変えて平均BPM(1分間のビート数)の高い曲ばかりを集めてリニューアルするという時流を追いかける形で、「前の渋めの方の選曲が良かった。」というお声もありましたが、時流に乗って大衆路線に走り過ぎたせいか、番組は無くなりました。
まあオープニング曲がフリーズのIO Uからマイケル・フォーチュナティーのギブ・ミー・アップに代わったぐらいですから・・
ただこの失敗は後々ビジネスに大きな影響を与えて、安直な考えは危ない、他とは違う個性と、飽きられない努力が必要だという事に気づきましたが、そこから20年後の2006年に再び大きな転機が来るとは当時は知る余地も有りませんでした。(この話は後日また)
開業してから10年ぐらいはディスコブームに便乗したビジネスで、ディスコで聴いたレコードの新鮮な音が車の中で聴こえる、から1990年代の前半はナカミチのコンサートホールで生音を聴いて、その音を基準に音造りと変わって来て、当社の創成期はダンスミュージックやディスコミュージックをいかに心地よく聴くかから、徐々に変わって来たなとこのCDを買って思い出しました。
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Posted at
2022/09/13 11:58:38