昨日スズキ自動車で長年社長を務められた、鈴木修さんが死去されたというニュースがありました。
自分が幼稚園の時は家に車がなくて、小学校に上がってから井川家には中古のスズライト・フロンテがやって来ました。
オースチンミニみたいなスタイルのフロンテは、これまで家族で移動=バスかタクシーという概念を変えて、凄く楽しかったのを思い出します。
そのスズライト・フロンテの写真を見たくて、スズキの100年史の本を買って読みました。
井川家の2台目の車はガラッとデザインが変わってフロンテのエステートで、当時はフロンテのバンの事を全てエステートと呼ぶのだろうと思っていたら、100年史を買ってこれが乗用車登録の今でいうワゴンになる事が分かって、安いバンを買うと見せかけて、父は母を煙に巻いて乗用車登録の車を買ったのでは?と思いました。
その後は4ナンバーの貨物車のバンしか父は買っておらず、当時の父のこだわりだったのでしょう。
そんな感じで自分は幼い頃にスズキ車が家にあったので、何となくスズキ車に親しみを感じていて、最近ではクロスビーを日常の足として使っていましたが、1年も経たないうちに代車として持って行かれました。
実は自分は以前からエスクードが気に入っていて、何度も欲しいと思っていたのが、今は日本で新車で販売していないぐらいの不人気車で、エスクードがやや小ぶりになって名前が変わったフロンクスが気になって、発売前の選考展示に行ってダイジェストカタログをもらいに行って・・
モーターファン別冊のフロンクスの全ても買いました。
何と予定台数の9倍の受注数だそうで、ヒットの兆しがあるそんな今、鈴木修さんの訃報を聞く事となりました。
昭和40年代はスズキとホンダはバイク屋が作った車と揶揄されましたが、そのバイク屋が作った車がシェアで2位と3位で、タイムマシーンに乗って昭和40年代に行って、「将来スズキがシェア2位になります。」と言ったら、みんなが「このホラ吹きが!」とまともに話を聞いてもらえないでしょう。
そんな一つの時代を作った鈴木修さんは、1980年代の初めに、当時日本ではあまり知られていんかったマイケル・ジャクソンを原付のCMに起用して、『今夜はドントストップ』と『オフ・ザ・ウォール』がテレビから流れて来ました。
その後『スリラー』が大ヒットしたした事で誰もが知る存在になりましたが、他の役員は「黒人をCMに使うのは?」と反対したと言われています。
そんな『小さな車、大き未来』のキャッチフレーズを実際ものとした、偉大な鈴木修さんのご冥福を心からお祈りいたします。
ブログ一覧 |
ドライブ | 日記
Posted at
2024/12/28 16:56:13