昨日11月1日は遂に井川がパーソナリティーで喋る『ディスコ・フリーク・アゲイン』の第一回目の放送がオンエアーされました。
FM山口の本社スタジオで現FMYサウンドピュアディオスタジオで事前収録された番組で、FM山口の開局40周年の記念番組だったので、当時の楽曲を選んで、トークの内容も開局時のディスコの話でした。
40年ぶりの個人喋りだったので最初は調子がイマイチで、収録が終わった後に番組宣伝を2パターン収録して、1パターンは池田桂子さんの一人喋りで、2パターン目は井川が少し喋っていて、この時は声の調子がDJ発声で、店頭でたまたま番宣が流れても自分の声と気が付かな方が多いです。
番組の最後の方では池田桂子さんとの開局当時の懐かし話があって、こちらもけっこう面白かったという事を聞いています。
番組は全般的にFM山口の40周年記念番組とあって局側がかなり力が入っていて、まず番組宣伝の数が多いのと、番組の中でも専用のジングルや効果音を駆使されていて、同じ曲でも1分間のビート数のBPMが高くなったのではないか?と思うぐらいテンションが上がる仕上がりになっています。
思い起こせば自分は小学4年生で初めてラジオを聞き始めて、中学生の時は電波を聞くだけでなくアマチュア無線で飛ばす方に興味が出て、そのアマチュア無線をされる方で何人か放送局に勤めておらえっる方がおられて、それで何回か放送局のスタジオに入る事があって、そこからが自分がラジオで喋る方向に行くきっかけになっています。
FM山口が開局して少し経って番組を持つ事になった時に、社内に1級の資格を持った無線の大先輩の方がおられれ、送信に関する技術を担当されていたので、電波管理局の開局の申請に携わられておられたのでしょう。
FM山口が開局した時は25歳で、ディスコ・フリークが終了した時は26歳で、当時は自分の番組のスポンサーになってもらえる会社を探していて、安定してお金を出してもらえるスポンサーが見つからず、よいよ最終回になった日に「今日で最終回となります。」と言って番組が終わったので、きちんとリスナーにさよならが出来なかったのが長年頭の中に残っていて、そのうちそのうちと思っていたらとうとう39年後にリバイバル番組が出来る事になりました。
ただ自分は当時若くて放送業界の常識が分かっておらず、番組のスポンサーは広告代理店を使って募集するもので、パーソナリティーが直接募集する番組は嫌われるという事があって、自分でも今は代理店経由でなくてパーソナリティーが直接売り込む番組は関わらない様にしています。
若さゆえの勢いで作った番組でしたが、現在の『ディスコ・フリーク・アゲイン』は別に他にスポンサーを探す訳ではありませんが、広告代理店経由の番組で、『サウンドピュアディオプレゼンツ 音解(オトトキ)』も全て代理店経由の番組なので、その辺りが長年番組を安定して続けられる秘訣ではないかと考えています。
このラジオの話は自分が1リスナーの話もあれば、今回の様に制作側の目線の話の日もあります。
『ディスコ・フリーク・アゲイン』はFM山口で土曜日の18時から、後8日・15日・22日の3回放送があります。
ラジコのタイムフリー機能や、県外でも聞けるラジコプレミアムなどの方法で是非お聞き下さい。
Posted at 2025/11/02 16:33:51 |
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