本屋さんに行くとオーディオ雑誌を置いてある場所に『無線と実験』という本があります。
名前は無線と書いてあるのに、オーディオ総合月刊誌と書かれていて、中は真空管オーディオやレコードプレイヤーに関する記事ばかりで、どこにも無線に関する記事はありません。
1924年に出来た本で97周年ですから、戦前のラジオ放送を聴くために自作のラジオを作る事から始まったからタイトルに無線となっているのではないでしょうか?
自分が小学校6年生の時に、夏休みの中ほどの10日ぐらいを萩市の通称『電波学校』と呼ばれていた専門学校に親戚の家から通っていた事があって、一般向けにアマチュア無線の講習会の中で、講師の先生が「昔にAM放送でNHKがステレオ放送の実験を行って、第一放送と第二放送を右チャンネルと左チャンネルに分けて、2台のラジオで受信して、ラジオ2台の間に音が浮いてきたから驚いた!」という話をされていた事があるので、その様な実験の事が書かれていたから無線という名前が残っているのかな、と思っていました。
この頃に自分の母親が無線の本を買ってくれたのですが、これがこの『無線と実験』で、50年前には既に無線の話題は載っていなくて、載っていたのがFM方の受信に関する事だけで、ほぼ無線の知識にはプラスになりませんでした。
小学6年生の時に当時の通称電波学校で習った知識でアマチュア無線技士の資格が取れて、中学高校と6年間は無線の実験に明け暮れて、メーターを1つ上げるのにあーでもない、こーでもないと苦労して、そんな小さな改善を5カ所10カ所と積み上げて、最後には大きな成果を上げるという実験で、インピーダンスを合わせる・効率を良くする・波長を同調させるなどの組み合わせが無意識のうちに体の中にリズムとして取り込まれて、それがオーディオで他の人の出来ないセッティングが出来る様になった根源となっています。
ところが1980年代に違法な無線が流行して来て、難しい試験を受けて合格しないと出力の高い電波が出せないのが、無免許で使ってはいけない周波数で勝手に高出力の電波を出すグループが増えて、自分の様に難しい勉強をして免許を取った人間も『無線=ガラの悪い人の趣味』というレッテルを貼られる様になったので、無線の世界からはキッカリ足を洗って、無線機もアンテナも全て手放して、37年間無線とは無関係な生活をしていました。
再び始めたのは2年半前の千葉県の台風の被害をテレビで見てからで、当初は非常時の緊急通信用と思って買ったのが、中学・高校の無線の実験を思い出して、ついついい手を出したら、当時は無かった波長の同調の方法が開発してあって、「これは面白い!」と再び無線の実験を始めました。
この新しい同調の方式を自分の知識として取り込む事によって、ピュアコンのパーツの種類が増えて、これまで表現出来なかった音が表現出来る様になったので、仕事的にもプラスになりました。
そんな無線の実験の画像を何枚か掲載します。
土曜日の夜に仕事が終わって山陽小野田市の竜王山に行くと、先に無線仲間が駐車場に着いていて、自分のアウディーの太いタイヤで金具を踏みつけて、伸縮ポールを取り付けてアンテナを取り付けます。
アンテナに繋ぐケーブルはこれまで5種類使って、最初は3Dのノーマルタイプから始まり、5Dのノーマルタイプに変えて、今年からは5Dの高級タイプ(左)、8Dの高級タイプ(中)、10Dの高級タイプ(右)と性能を上げて実験していました。
初期の3Dのノーマルタイプと10Dの高級タイプを比べると、全く交信出来なかった所と交信出来るぐらいの差が出ました。
ケーブルの性能ってバカに出来ないですよね。
でも自分が高校生の時はお金が無いから、テレビ用の5Cのインピーダンス75Ωの物をインピーダンス変換して、5Dの50Ωの物の代わりに使っていたという悲しい話がありました。
少ない小遣いで何とか交信を楽しもうと、なけなしのお金で苦労していたのが、まさか今のピュアコンのインピーダンス変換技術につながるとは・・
まあ、高校の最後の方は土木作業員のバイトである程度高額な材料も買える様になっていました。
それが60を過ぎたら大人買で、一番太い10Dの高級タイプを買って使ったら、サイズが太くて硬いので、車内に引き込むのが大変なので、セパレートタイプの無線機のディスプレイ部分とマイクとスピーカーを車内に置いて、本体は延長ケーブルで外に出しました。
オーディオだと車内で使うのは5Dタイプが限界でしょうね。
ただしオーディオで使う周波数は無線の千分の1なので、5Dサイズでも十分に高性能ですけど、こういう実験は今でもワクワクしますし、たまにはオーディオに変換出来る技術もあるからなかなか辞められません。
Posted at 2022/02/17 18:07:22 |
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