毎週月曜日から木曜日の13時から17時まで、福岡のクロスFMでDAY+という番組を放送しています。
北九州の以前本社スタジオと言われていた、北九州ダイハツ販売スタジオから放送されています。
週4回の生放送で投稿も多い人気番組で、今日のテーマは『親エピソード』でした。
リスナーの投稿を聴きながら自分も親の事を思い出していて、自分の父親はかなり前に他界していますが、サラリーマンをしながら農業と林業をしていて、ほぼ休む事無く毎日働いていました。
元々井川家は瀬戸内海の方の出で、山口県の美祢市には1軒しかない名字です。(伊川と書く家はありますが)
先祖は瀬戸内海の方で塩田の事業をしていたらしく、塩田が競争が激しくなって来たので、その中の一人が美祢市に住まいを移して、そこで雑木ばかりの山を切り開いで林業を始めて、林業は収入になるまでに数十年かかるので、日々の生活のために農業をしていて、祖父の代までは農業と林業だけの完全に自営業で、父の代になって初めてサラリーマンもする様になりました。
祖父は自分は小さい頃に山に連れて行って、「この山はお前がお嫁さんをもらう頃にお金になるから。」と膝に乗せて言っていたのを思い出します。
井川家には家訓という文字に書いた物は無いのですが、口伝えで基本方針があって、祖父は戦時中に周りの農家が闇の米や味噌・醤油などでぼろ儲けをした時に、「井川の家はそういう事はしない!」と言っていて、そのせいで自分が子供の頃は周りの農家に比べて裕福な生活ではありませんでした。
他には独自の時間感覚があって、目先の儲けよりも林業の様に数十年の時間をかけてある時期に確実に利益を得るという考えで、もう一つ1日を有効に使うという、見えない1日の時計と20年30年の時計があると感じていました。
特に自分の父親は会社員・農業・林業の3つの仕事をしていたので、休みの日の1日の使い方はかなり厳密な計画を立てて有効に使っていました。
それでも自分が高校生の時に昇格して、会社の仕事が忙しくなったので、自分が農業のトラクターやコンバインを動かす様になって、土日は農業をするというのが当たり前になりました。
そのせいか自分も1日を有効に使うという考えが知らないうちに身に付いて、もう一つの数十年のスパンで物事を見るという考えも知らない間に付いて、ピュアコンが今年の秋で30周年になりZSPとベーシックは既に20年を越えてのロングランヒットで、井川家の見えない2つの時計のおかげで今があると考えています。
もう一つ祖父のぼろい儲けに手を出さないという考えも知らないうちに身に付いていて、自分が二十歳ぐらいの時に免許の無い人にハイパワーの無線機を販売してぼろい儲けをした人が沢山いて、高級車を買ったりしても、「そういう事をしてまでもうけたくない。」という考えでいました。
それが何年か後にはあまりに不正な無線機で妨害を与える人が増えたからと、最初は無線機を買って使った人が罰せられるだけだったのが、販売する方まで罰せられる様に法律が変わり、そういうぼろ儲けは無くなりました。
そういう不正な無線が増えた事で自分は無線の世界から完全に足を洗って、オーディオの販売やFMの放送に関わる事に力を注いでいて、1990年代の大きなウーファーを付けてドカドカ鳴らす『音圧ブーム』の時には「音圧ブームには一切乗らない!」と、音質向上一本でにわかなブームの儲け話には一切乗りませんでした。
そんな訳で井川家の『1日を有効に使う・数十年の長い期間で物を見る・ぼろい儲けに手を出さない』の3大家訓的な考え方で何とかお店をオープンさせて今年の10月10日で40周年を迎える事が出来ます。
ただ親や先祖に申し訳ないのが、自分の代で農業と林業をやめてしまい、井川家の家業をオーディオに変えてしまった事で、先祖を振り返ると塩田をやる人が増えて競争過剰になって家業を変えた事もあって、輸入木材に押されて儲からなくなって家業を変えたのも仕方ないかも?と、ご先祖様に心の中で言い訳をしています。
あっ!スタートはDAY+の親エピソードでしたが、いつの間にか先祖エピソードに変わっていました。
Posted at 2022/06/08 17:35:38 |
トラックバック(0) |
世間話 | 日記