最近は夜テレビを観ずにNHK・FMを聞いてから寝る様にしていましたが、火曜日の夜にあまりに番組が好みでは無かったのでNHKの総合テレビを観たら、『船を編む ~私、辞書をつくります~』という夜ドラをやっていました。
キャストが池田エライザと野田洋次郎さんで、辞書を作るという内容にも引かれてついつい最後まで観てしまいました。
気になったのは言葉は本来の意味から段々変わって来ていて、本来ネガティブな意味の事が違った意味に取られて、日常的につかっているという部分で、確かに自分の仕事上でも本来の意味から変わって使われている言葉が沢山あるなと思いながら見ていました。
例えば自分でもよく使うのが『こだわりの逸品』で、自分が作るのはこだわりの逸品で、本来の音楽を知ろうとせずに自分独自の音を追求するは『独りよがり』と火曜日の夜までは思っていました。
ところが本来のこだわりの意味は、心が何かにとらわれていて、自由に考える事が出来なくなるという意味が1番に来ていて、これはネガティブな意味で独りよがりと同じ意味に思えてきました。
更に気にしなくてもいいようなことを気にするとか、他人からの働きかけをこばむとか、なんくせをつけるなどの自分がこれまで思っていたこだわりとは違う意味で恥ずかしくなりました。
他に現在は意味が変わってオーディオ業界で使われている言葉が『敷居が高い』という言葉です。
これはオーディオ業界では「あそこの店は高そうだから敷居が高い。」と普通に使われています。
この敷居が高いは行きにくい事の例えですが、本来は「その家の人に不義理をして行き難い。」という意味で、その店に対して不義理をしていないのに敷居が高いという意味はどこかで間違われた事が広く知られて、もうそれが当たり前になってしまった例です。
他には『二匹目のドジョウを狙う』ということわざがあって、今某知事が出直し選挙で上手く再選したから、他の某市長も出直し選挙に出るたいですが、これを自分は正に2匹目のドジョウを狙うという『一人目がちょろい事をしたから、次も同じ手で上手くやる。」という楽をする意味かと思っていたら、実際には柳の下にという言葉が前に付いて、そんなに上手く行くはずがないというネガティブなのが本来の意味だそうです。
そんな事を考えさせてくれた昨夜の『船を編む』は2回目の放送で、内容が興味深いのでこれからは毎週観ようと思っています。
追伸
そういえばこの番組を観ていて野田洋次郎さんの声をこの番組以外でも聞くなと思ったら、NHKの朝の連続テレビ小説の『あんぱん』はRADWIMPSの楽曲がオープニング曲で、月曜から金曜日の朝は無意識のうちに聞いていたのでした。
Posted at 2025/07/10 16:01:02 |
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