今日7月23日は自分の娘の誕生日です。
子供は上から長男・次男・長女の3人で、長女が生まれてからは妻が長女を寝かせ付けて、自分が長男と次男を寝かせ付ける役となり、井川家は男部屋と女部屋に分かれていました。
その頃は現在は山陽小野田市有帆にある倉庫が店舗の時で、その2階部分に住んでいて、4歳の長男と2歳の次男を寝かせ付けながらピュアコンの試作品を作っていました。
まだピュアコンが出来る前はノーマルのネットワークを使っていたので他とは差別化が出来ておらず、量販店と競争しながら同じネットワークで音を鳴らしていました。
長女が生まれる前は夜遅くまで作業場で試作品を作っていたのが、男の子2人を寝かせないといけないので、枕元にハンダ小手と測定器とヤスリがあって、機械巻されたコイルをじわじわほどいていって、よさそうな巻き数でエナメルをやすりで削って通電する様にして、半田小手でジリジリと煙を出しながら固めて、その煙を不思議そうに見つめる長男と次男に「熱いから近づかないで!」と遠ざけていて、ハンダの煙とエナメルの粉で男の2人は小さい時に喘息気味だったと思います。
それが10月ぐらいにはかなり良い製品が出来る様になって、最初の頃はお客様から値段を取らずにこっそりと付けていて、段々実績が出来て来たら部品代の1部として4000円・6000円・8000円と2000円刻みで上げて行き、今の形で今の価格になりました。
最初のモデルはMDF板が下に敷いてなかったのと、途中で1度べニア板にやプラスチック板を使った時期を通り過ぎて、一番音が滑らかに聴こえるMDF板に辿り着きました。
初期のピュアコンはコイルが外付けでなく内蔵タイプで、これを外付けする事によってセッティング時間が大幅に短縮して、その前は中を開けてハンダを溶いてコイルを交換していました。
もう一つ最初のピュアコンはパーツが床面に付いていて、現在のピュアコンは逆にパーツが上にコウモリの様にぶら下がっていて、これと厚いMDFで車の金属からコイルを離して理想的な動作が出来る様にしてあるので、市販の透明なアクリルでパーツが見えるネットワークではどうしても出せない音が表現が出来る様になっています。
毎年7月23日の娘の誕生日が来る度に、「あの頃はまだピュアコンが無かったから、量販店と差が出しにくかった。」と当時を思い出しています。
Posted at 2025/07/23 17:08:20 |
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