12/2に
リハビリカンファレンスという、多職種で状況を確認し計画を共有するものに出席を求められた。
リハビリ担当が本人を歩行器、杖、自立で歩かせて状態を見せ、現状の報告と今後の軽い見通しを述べた。
残りは看護師が生活全般について、ソーシャルワーカーが今後のことなどについて話をした。
母の状態はすでに杖無しで歩き始めていて、状態は非常によく、今から介護保険の再認定を求めて1ヶ月後に見に来てもらったときにはかなり普通に生活できているはずなので、今の要支援1もなくなるかもしれないとまで言われた。
おおよそあと2,3週間と言われて、年内ぐらいに退院とのことだった。
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ところがその後問い合わせても退院時期がちっとも分からない。確認すると言ったまま1週間。
その間に、母親の依存癖からどんどん上げ膳据え膳の病院生活にしがみ付こうとして、認知能力も低下しているのが見て取れた。
リハビリで体を動かして状態が改善していっても、精神的にはどんどんダメな方向に行っている。母の場合、入院生活はこれが恐い。
再度問い合わせると相変わらず明確な話がなく、医師は管理していない、看護師はもともとその役ではないという状態。漫然とリハビリを進めているらしい。
リハビリの方に問い合わせるといい、暫く待っていると、まだ状態はよくないので退院は難しいような言い方をしたかと思えば、ある程度日常生活はできるので家族が状態を見てよいと思えば退院できるとも。
で、翌日病院に出向き、また状態の確認と今後について話し合ってきた。
今から退院に向けてのリハビリや生活内容に切り替えていき、1/8に退院することになった。
ここまで目標が決まらない状態で漫然とリハビリを続けていたので、お尻が決まったことはよかった。
しかし、私が午前から平日に休みがある2月の可能性を言うと、驚いたことに1/15の週までには退院して欲しいと言いだしたのだ。
大腿骨頸部骨折では90日まで入院できる。11/6に入院し、11月下旬からリハビリに入ったので、1ヶ月を過ぎたぐらい。それを筋などの損傷の場合の60日を目処に退院と言い出したことになる。平均的にはそのあたりらしいので、それ自体は問題ではないのだが。
そもそもあと2〜3週間とは何だったのか。
当時は転院を求めていたときだったのだが、これは受け入れ側から1週間近く放置された後断られている。
そのとき転院関係の対応をしている入院病院のソーシャルワーカーは
「あとリハビリ期間がわずかですから、受け入れてもらえる病院を探すのは難しい」
と。11月最終週に転院のことをやっていたが、当時はリハビリに入って1週間ちょっとだった。
この時点であと2〜3週間(12月半ばまで)と何度も強調していたのだから、転院先にもその程度かもう少し短い計画を伝えていた可能性がある。そのために断られた可能性を疑わざるを得ない。
しかしその後は問い合わせても全く退院見通しについて触れなくなった。そのまま漫然とリハビリを続けていたわけである。
しびれを切らして問い合わせを重ねてようやく現状の確認をする事ができ、退院予定日が決まったのである。
そこで出てきた退院の期限はこれまで聞いていた目処より1ヶ月も長かった。
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回復期病棟に移って60日で退院というのは本来90日のはずなのでソーシャルワーカーの勘違いかもしれないが、ここまでで退院して欲しいと言った。もし、そういう期限があるのなら先に説明しておくべきであるし、そこまでのリハビリ計画を示すべきであるが、家族にはリハビリ計画の内容は全く知らされていない。本人もその日のリハビリ予定をプリントアウトで知らされるだけであるらしい。
リハビリ期間60日を限度としていながら転院の希望を伝えたときには30日程度の過小の見通しを家族と転院先に伝え、実際にはそれは計画に入っておらず漫然とリハビリを行っていた。
最初からしっかりとした計画が立てられておらず、転院を阻むために過小のリハビリ日数を伝えた可能性がある。
やはりここは信頼できない。
追記:
退院後のヘルパーのチラシを渡された。
介護保険が使えないもので、以前にお介護保険が使える事業所は潰れてしまって頼む先がないので自費のヘルパーを使うといいと言われていた。そのチラシである。
こんなことだけやたらに早い。
まずは地域のケアマネージャーに相談であるのに。
Posted at 2024/12/27 22:38:39 | |
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