男性保育士の女児担当外しは性差別?
熊谷俊人・千葉市長の発言で議論
保育士の働き方をめぐる千葉市の熊谷俊人市長の発言をきっかけに、男性保育士が女児の世話をすることへの是非について、ネット上で議論になっている。
議論の対象となっているのは、千葉市が1月18日に策定した「男性保育士活躍推進プラン」。2017年度からの10年間で、現在はいない男性保育所長を5人に増やすほか、女性保育士と同じように園児の世話ができるようにしたり、男性用のトイレや更衣室を整備したりすることを掲げている。
熊谷市長は1月19日、自身の公式Twitterを通じて「女性活躍を推進する一方、本来のダイバーシティー(多様性)を考えると男性活躍を推進する必要があります」とプランの意義を強調した上で、「更衣室が無い、女児の保護者の『うちの子を着替えさせないで』要望が通ってきた等の課題が背景にあります。女性(保育士に対しての発言)なら社会問題になる事案です」などと訴えた。
http://www.huffingtonpost.jp/2017/01/23/childcare_n_14325636.html |
かなり難しい問題。
男性保育士に対する感覚ははっきりと【男性性】への警戒によるもの。保育士そのものが問題のある行動をするわけでなくても、【男性一般】は女性に対しても子供に対しても危険な存在であることは、女性(ないし男性も含め)が身を以て知っていることではないか。
女児を男性保育士に任せるのが駄目なら男児を女性保育士に任せるのはおかしいのではないかという反論はナンセンス。女性保育士によってもそういうリスクはあるにしろ(現在数で圧倒する女性保育士によるものによって総件数では男性保育士によるものを上回っているというが、確率的に男性に小児愛傾向が高い以上、男性保育士が増えれば件数でも上回る可能性は当然ある)、男性性そのものへの警戒感に対してこの反論に何の説得力もない。
多くの男性保育士にとっては大変気の毒ではあるのだけれど、女性と全く対等に働くことは難しい特殊な職業と考えた方がよいのだろう。
男女差は厳然と存在するものであり、男性という特性を前に、単なる性差別だと思うのは、大いに間違っていると思う。それを背負わされる男性保育士にはたまらない話だが。
ちなみに、自分は男性、女性両方の痴漢に遭ったことがある。女性が性犯罪を犯さない存在だという認識は全くない。一方で、男児であっても男性の痴漢の対象になることをよく知っている。このあたりは統計通りだ。
自分は男性性があまり強くない(一般男性の感覚に理解できない部分がある)ので、「男性」とくくられるとしんどく感じることも多い。
保育士を目指す男性については、20年以上前に、自分の知っている限りでは小児性愛傾向ではなく、性自認が女性に近い人であるようだった。
そういう事情も汲むと、とても気の毒なのだけれど。
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一方、多くの男性保育士は一般男性と特性が違うという前提を元に、男性保育士の雇用機会を増やしたいという観点で議論をすることは無意味ではないと思う。
男性保育士の性自認や性対象の傾向は取り上げていくべき問題であろう。
性が多様である現実を無視して、男女二元論に堕ちてはどうしようもない。
ただ、職業が保育士であるから女性性が強い男性とは言い切れない。それを客観的に示すすべも現在はない。
たとえば、男性美容師や理容師には女性性が強い人が多いが、絶対ではない。職業で区切るのは誤りだろう。
あくまで個人のレベルの問題で、それを社会的に認められるかどうかと言うことだ。
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男性医師は平気なのに男性保育士否定はおかしいという意見は散見されるが、それは医師という職業が性別を超越して存在しているはずという期待の一方で、女性医師の少なさも大いに関係していたはずだ。
医師の側の意識はともかく女性医師を希望する女性のニーズは明確にある。病院の医師シフト表に、わざわざ女性医師を明確に示しているものを見かける。
女子校の健診で男性医師に対して女生徒に忌避姿勢が存在することは珍しくない。
患者本人だけの問題ではない。うちのマンションで医院を開いている住民がいる。同じ住民で、奥さんがこの医師にかかったことについてその旦那さんは随分意識していた。女児がかかることには気にかけていなかったが。
男性にとっても女性医師を選びたいニーズはあるだろう。
女性医師の方が患者の生存率が高いというレポートもある。男性医師がそれを否定したそうなツイートをしていたが。
人々の男性性、女性性に対する感覚が、単なる文化的・社会的に作られたジェンダー、後付けのものだけと言うことはあり得ない。そもそも社会形成には、チンパンジーが男性中心の暴力的な社会を作り、ボノボが女性中心の愛の世界を作るが如く、遺伝子的な基盤は存在するだろう。それを無視する一部の主張はあまりに稚拙だ。男女のジェンダーが逆転している社会が一部存在する(これについては後に否定するものも出ているらしい)ことは、頻度の低さが人類全体の傾向をあらわしているとも言えるし、その集団に遺伝的浮動、ビン首効果によって遺伝的基盤の違いが存在する可能性がある。ごく少数の反例を全体に当てはめるのは無謀すぎる。今でもそんな古典的ジェンダー論を主張する者がいるかどうかは知らないが。
ちなみに、類人猿の研究者は、チンパンジーの雌にだけは生まれたくないという。それぐらいチンパンジーの雌は悲惨だ。
Posted at 2017/01/29 11:28:20 | |
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