私は橋下(あえてハシシタ)氏にとても気持ちの悪いものを感じている。彼の言動はどう見ても彼の信念の表れには見えない。借り物でその場しのぎ、人気取りにしか見えない……いや、しかし別の意味で信念の表れであるからだ。
と言うのも、彼自身に内容についての信念はない。しかし、彼の他人への態度、脅し、詭弁、豹変等は、彼自身が信念として身につけている交渉術によるものだからだ。ある意味弁護士のもっともいやらしい部分がそのまま現れている男である。
そんな人間に簡単に丸め込まれる記者はまさに不勉強だ。
以前、高橋源一郎氏が彼の言動が彼自身が以前書いた交渉術の本の内容を実践していると指摘した記事を紹介した。改めてその内容を転載しておきたい。本当によく橋下氏のやっていることの意図がよく分かる。
(以下
「“次期総理レース”先頭馬(?)の深層を解剖する!「橋下 徹」的思考について──高橋源一郎」より一部転載)
言い訳、責任転嫁、前言撤回
いまや、古本屋で1万5000円以上といわれている、この本で、まず興味深いのは、表紙にばら蒔かれた活字だ。ぱっと見て、どれがタイトルでどれが広告コピーなのかすぐにわかる人はいないのではないだろうか。
「橋下 徹
図説
心理戦で絶対負けない
交渉術
どんな相手も丸め込む
48の極意!
言い訳、責任転嫁、あり得ない比喩、
立場の入れ替え、前言撤回……
思い通りに相手を操る非情の実戦テクニック!!
自分のペースに引き込むかけひき論から、相手を説き伏せるレトリック、鉄壁の交渉話術まで、橋下流・最強の交渉術を明かす!」
しかも、この表紙には、茶髪でパーマ、薄いサングラスをかけネックレスをつけたニヤケた若者の写真(たぶん、「橋下 徹」氏)まで掲載されている。
ちなみに、わたしは、この表紙の横に『体制維新─大阪都』を置いてみた。こちらの表紙の帯は、
「革命児・橋下徹とは何者?
都構想とは何か?
すべての答えは本書にある
W選挙圧勝で大反響」
という文字+「橋下 徹」とおぼしき巨大な写真である。ところが、この「橋下 徹」は、『交渉術』の「橋下 徹」とはまるで違う。眼鏡なし+黒髪+スーツ+白いワイシャツ+ネクタイである。
わたしは、2冊の本を並べて、交互に眺めた。2枚の「橋下 徹」の写真があまりに違いすぎるではないか。「使用前」「使用後」だって、こんなには違わない。「菊地直子」の指名手配写真と、逮捕後の写真の方が、遙かに似ているのである。茶髪・サングラスが「本音」で、黒髪・スーツが「建前」……いや、そんなことはないはずだが。
しかも、この2冊をずっと交互に眺めていると、2枚の写真と、それぞれの表紙に印刷された文字がダブッて見えるようになってくる……言い訳、責任転嫁、あり得ない比喩の体制維新、どんな相手も丸め込む橋下 徹とは何者? 心理戦で絶対負けないので大反響、立場の入れ替え、前言撤回の答えは本書にある……。すいません、ちょっと真剣に本を読みすぎて、目が霞んできたみたいです。
“脅し”により相手を動かす
さて、「橋下 徹」的思考の実際について、検討してゆくことにしよう。まずは、『交渉術』からである。
最初は「“脅し”により相手を動かす」という項目を見てみよう。
というか、この項目を見ると、ふつうの善男善女はギョッとするかもしれない。「とても、わたしには他人を『脅す』ようなことはできません」と言いたくなるかも。軟弱だね。そんなことでは、タフな交渉はできないですよ。
「交渉では“脅し”という要素も非常に重要なものだ。これは何も、襟首をつかんで『殺すぞ』とすごんだり、自宅に脅迫めいた嫌がらせをする類のことではない。あくまで合法的に、相手のいちばん嫌がることにつけ込む行為のことだ」
と書いてある。
「相手のいちばんの弱みを察知しつけ込んでこそ、勝機がみえてくる」
とも。
「正々堂々」なんて言ってる場合ではないのである。そんなのは、負け犬の遠吠えだ、ということらしい。確かに、テレビで、局の女性記者の質問に、延々と反撃している様子なんか見ていると、「どうしても取材しなければならない」という記者の弱みに「つけ込んで」(このことばが大好きのようだ)、まともに答えず、相手を困らせるような反論をいつまでもやっていた。さすが、というしかない。本で書いていることを実地でもきちんと実行しているのである。ほんとうに信頼できる人だ。
詭弁こそ素晴らしい!
この『交渉術』では「48の極意」を教えてくれることになっているが、全体を、5つの章にわけている。その第2章が「相手を言いくるめる詭弁の極意」だ。なんと、詭弁だけで9つもパートがあるのである。いままで詭弁という単語は不当に貶められてきた。とにかくある種の論理があって一応筋が通っていれば全体としておかしくたってかまわない、というような思考方法は、くだらないとか、そんな論理を採用するなんて人間としてどうよ、と思われてきた。それに対して、「橋下 徹」的思考は、詭弁こそ素晴らしい、詭弁最高! というのである。まことに革命児にふさわしい考え方ではありませんか。
それはたとえば「一度オーケーしたことを覆す技術」(そういえば、「脱原発」と強力に主張していたと思ったら、いきなり「再稼働」に賛成して、びっくりさせたが、そういう技術だったのだ)である。
「交渉において非常に重要なのが、こちらが一度はオーケーした内容を、ノーへとひっくり返していく過程ではないだろうか。まさに詭弁を弄してでも黒いものを白いと言わせる技術である」
こういうことを書いていると、おそらく、みなさんは、ここに書かれているのは、弁護士の技術ではないかと思われるだろう。ところが、いま、我々の眼前にいるのは、市長であり、政治家ではないのかと。大丈夫。このことにこそ、「橋下 徹」的思考の秘密がある、とわたしは睨んでいるのである。2冊を並べて眺めると、目まいがしてくる、『交渉術』と『体制維新』。警察だって気づかないであろうまったく似ていない2枚の写真。そこには、弁護士の技術をそのまま(けれども秘密の中に)政治の技術にしてしまおう、という「橋下 徹」的思考の本質があるのではないか。
だいたい、弁護士の場合の「交渉」とは、紛争が発生した場合、誰かの代理人となり、別の誰か(紛争当事者)と交渉する、ということだ。だが、政治家の「交渉」とは、何なのか。
ひとつは、明らかに、目に見える政治的目標を達成するために、他の政治家や政治団体等々と、打々発止のやり取りをすることであろう。だが、政治家には、もうひとつ、大きな「交渉」相手が存在している。「選挙民」だ。政治家は、「選挙民」と「交渉」をする。どういう場面でか。もちろん、「選挙」である。「選挙」での勝利という究極の目標に向かって、「選挙民」との「交渉」を持続する人のことを、我々は政治家と呼ぶのである。この場合、「わたしは、あなたたち選挙民と交渉していますよ」というバカな政治家はいませんね。黙って、秘密の中に交渉する。当該交渉相手の「選挙民」すら、交渉中であることを知らずに。それが、すぐれた「政治家」というものだろう。
「橋下 徹」的思考は、この2種類の「交渉」を、悟られることなく絶妙にミックスすることによって成り立っているのである。
自身のミスから窮地に陥ったら
『交渉術』において、とりわけ「橋下 徹」的思考が活躍するのは、後半の第4章「相手をたたみ込む話術のポイント」だ。「言い訳、うそ、責任転嫁……」という、「橋下 徹」的思考の最高の武器の使い方の実践的テクニックを、ここで我々は知ることができる。
たとえば「自身のミスから、窮地に陥ってしまった状況では」「正直に自分の過ちを認めたところで、何のプラスにもならない」。こういう時には「相手に合わせた大義名分あるうそを上手に使う」べきなのである。
あるいは、また、「知らぬ存ぜぬの有効な使い方」も知らなければならない。
「こちら側が相手方に迷惑をかけている立場の場合、依頼会社の一部の社員が以前に悪態をついていたりすると、それだけで不利な要素を背負い込むことになってしまう。そんなとき、やむをえない手段として、『知らない』『聞いていない』という言葉を使うことになる。特にこちらの不手際で相手方が感情を害してしまったときなどは多用する」
なるほど。つい最近も、大阪維新の会の「家庭教育支援条例案」というものが流出して、話題になったばかりだ。その条例案では、児童虐待や子どもの非行などが「発達障害」と関係があるとして、その原因を「親の愛情不足」とするものだったが、猛烈な反発にあい、あえなく撤回することになったのである。ところが、その件に関して、「橋下 徹」市長は、直接には聞いていない(すなわち「議論の素材」だと「報告を受けた」)と答えたのだ。部下たちが勝手にやっていたことで、ぼくは知りませんでした、というのである。
素晴らしすぎる返答といわねばならない。わたしも、なにかヤバそうなことは、とりあえず書いておいて、不評だった場合には、「なぜ発表されたのか、その事情は知らない。確かに、書いたのは事実だが、たたき台として書いただけで、ほんとうにそう思って書いたわけではない。この原稿が雑誌に出た経緯について、編集者を調査したい」といおうと思います。
それから、一見どうでもよさそうなことだが、意外と重要らしいのが「声の音量も相手に負けない」ことだ。
「相手方が感情的になって、言葉の応酬が続くときは、何か言われたら、必ず言い返すことが大切。論理的な返答でもいいし、相手がカチンとくるようなことでもかまわない。けっして、“ふん”と黙ってしまわないことだ。声の音量に関しても同じで、相手方に負けてはならない。どんなに大きな声を出してきても常にそれを上回る音量を出すことが大事だ」
これは「電話でのやり取り」についてのアドヴァイスである。だが、これこそ、「橋下 徹」的思考の精髄というべきかもしれない。いままでのどんな弁論術に声の音量を重視したものがあったろうか。まさしく、電話こそ、「声」だけを相手に、「声」だけを武器にするメディアである。電話を制する者は、どんなメディアをも制するのではないか。確かに、テレビを見る限り、相手がなにかを言うと、「橋下 徹」は、それに反論するとき、相手の声を上回る音量を使用している。2台ラジオがあって(テレビでもいいけど)、別々の番組を放送しているとすると、誰だって、音量の大きい方に耳をかたむけてしまうだろう。「正しい」方を選んで聴く人なんかいないのではないだろうか。これもまたぜひ採用すべき方法にちがいない。
議論で負けた場合の武器
ここまで、我々は、「橋下 徹」的思考、というか、「橋下 徹」的ことばづかいを学んできた。脅し、詭弁、言い訳、「知りません」、「聞いていません」、デカい声、といった、様々なテクニックを教えていただいた。たぶん、これだけのテクニックを使えば、どんな相手だって粉砕することは可能だろう。だが、それでも、負ける時はあるのである。この世には、脅し、詭弁、言い訳、「知りません」、「聞いていません」、デカい声が通用しない相手だって存在するのだ。たぶんだけど、ソクラテスとか、マルチン・ルッターとか、チェ・ゲバラとか、坂本龍馬とか(「維新」の大先輩だ)が出てきたら、「橋下 徹」的思考でも太刀打ちできないかもしれない。なにしろ、実績も違うしね。だが、そこで、尻尾を巻いて逃げ出しては、「橋下 徹」的思考とはいえない。なにしろ、絶対負けないことが、「橋下 徹」的思考の存在理由なのだ。というわけで、議論で負けた場合の武器も、ちゃんと貯蔵してあるんです。ひとことでいうなら、「交渉の流れが不利になってきたら、不毛な議論をふっかけて煙に巻く」作戦である。
「交渉の途中で、自分の発言の不当性や矛盾に気づくことがたまにある」
さて、みなさんはどうするだろう。わたしは謝りますが。「間違っていることがわかったら、すぐに謝りなさい」と父親がずっと言っていたからだ。「真実は必ず最後には顕れるのだから」と。だが、「橋下 徹」的思考は、そんな、わたしの父親のような考えを「甘ちゃん」と、このようにせせら笑うであろう。
「心のなかでは、“しまった”と思っているのだが、そこはポーカーフェイスで押し通す。どんな不当なことでも、矛盾していることでも、自分に不利益になることは知らないふりを決め込むことだ。相手方に指摘されるまではほうっておく。運悪く相手方に気づかれてしまったら、仕方がない。こんなとき私がよく使うテクニックがある。相手方に無益で感情的な論争をわざとふっかけるのだ」
ツイッター上で、次から次へと、相手かまわず「罵倒」しているのも、別にほんとうに感情的になっているのではなく実は戦術だったのだ。なんて理知的なのだろう。さすが、である。
まことに、「橋下 徹」的思考とは、「勝ち」に徹する思考といってもいいだろう。中身は問題ではない。脱原発だろうが原発推進だろうがどっちだっていいじゃないか。弁護人は、たまたま頼まれた方の味方をするだけなのだ。どちらが正しいとか、何が正しいとか、そんなことはどうだっていいのである。勝てば官軍、それが、この思考の本質だ。そして、それこそが「橋下 徹」的思考を最強にしている。守るべき正義などないこと以上に強い思想は、存在しないのである。