21日と23日、地元のホールを含む公民館利用団体によるお祭り(発表会?)である「コアフェスタ」が開催された。
自分はスタッフから外れていたのだが、午前中に様子を見に行ったらそのまま捕捉されて裏方の仕事を手伝うことになった。
といってもいくらかの力仕事ぐらいで、1時間ほどで一度自宅へ向かった。
その帰り道は、14時に通過する駅伝の準備で沿道にコーンが建てられていたが、路面にはかなり多くの新聞紙の切れ端が貼りついている。2日前のマリーンズ祝勝パレードのときの紙吹雪の残骸である。
当日パレードを見に来た人やスタッフが取れるところは取ったはずだが、取りこぼしがあるのと、街路樹(もともとパレードの紙吹雪を意識して街が設計されたため、美浜プロムナードには立木が少ないのだが)にくっついていたもの、住戸のバルコニーや庇の上に残っていたものが風で再度飛んで路面に落ちてきたのだ。
おまけに、拾いにくい非常に小さく切り刻まれたものもある。
しかし、これから駅伝が通るというのに一面の紙吹雪はいただけない。
とりあえず拾い歩いてみた。乾いているものはいいが、濡れているものは濡れ落ち葉状態でなかなか取れない。しかしそれはまだマシな方で、濡れたものが乾くと、糊で貼ったかの如くに貼りついていて極めて剥がしにくい。
それでも取っているとやがて片手では持ちきれない量に。やむをえず抱え込みながら取っていると、年配の女性や男性が一緒になって拾い始める。結構集まり、それをもっていってくれた。
ここまでほとんどの人はスルーだった。親子連れで子供が気にしても親が先を促したりも。
やがて駅伝観戦で人が出てくるが、落ちている新聞を気にする人は少ない。
「まだ落ちてる」
「ああ、こないだのね」
という声が聞こえたりもする。
まれに拾って私に渡してくれる人がいる。私が袋をもっていないのに気付き驚いている人も。私は通りすがりに過ぎないが、何かのスタッフだと思ったのだろう。
胸に濡れた新聞紙を抱えていると、犬の散歩をさせている人が見かねたのか
「大きいビニール袋ありますよ」
と袋を一つくれた。犬のウンチ用にもっているものだが、結構大きい。
この袋で、何度も圧縮して目一杯になった。他の人がもっていってくれた分も合わせると二袋分はあった。
なんとか大部分を回収できたが、まだ庇に残っているものがある。まだ落ちてくるだろう。
私が通りかかる前にも拾っていた人はいたのかも知れないが、風で飛ばされたものが次々と落ちてきて、広い範囲にかなりの量が落ちていた。
それにしても、2005年の時にも取りこぼしがあったが、その反省が生かされていないようだ。今回ははっきり言えば行政主導のパレードで、準備期間が短かったこともあり紙吹雪の裁断は業者にも依頼したらしい。
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そういえば2005年パレードの時、自分はスタッフではなかったが自主的に遠くに飛んだ紙吹雪を回収していた。しかし取り切れないので本部に行き住民側のリーダー格に「遠くに飛んだものがあるので回収するために人を出して欲しい」と伝えた。それを聞き行こうとした人がいたがリーダー格の人物が「そんなの取りに行かなくていい」と制止した。この人物たちはその後何度もロッテがらみことでで裏工作をしたり反対するものを脅したり、そのほか強引なことをやって問題になった。こうした熱狂的ファンに街が振り回された。筋を通さない彼らに対して声を上げた私もかなり不愉快な思いをさせられた。
表向きは住民が運動をしたことになっている「バレンタイン通りへの改称」はひどかった。当時誰一人そんな運動をした人間はいなかった(ファンクラブ内でもそんな話は一度も出たことはなかったとのことだ)が、とあるマリーンズファンクラブの人物が記者に喋ったことが「近く地元住民らが千葉市に改称を要望する」という記事となり、当時の千葉市長(在任中に収賄で逮捕された人物)がそれに乗った。千葉市で急遽通り改称のしくみを作り、行政主導で商店会(ほとんどが外部のテナント)を訪ねて要望書を書かせた。メインストリートの改称が住民のほとんどが知らない間に進行していることに異を唱える声を恫喝交え強引にかき消しにかかったのが熱狂的な一部のファン達だ。我々は「きちんと意思表明をして筋を通すべきだ」と言ったが、彼らは最初から最後まで一度も改称をしたいと自分たちで表明をすることはなかった。行政がやっていることに棚ぼた的に従ったに過ぎない。
その後自治会連合会で意見をまとめることになったが、賛否があり住民の関心が低かったこともあり判断を保留。結局改称を主導した千葉市の判断で「住民の要望に基づき」改称となった。本来要望側が負担すべき改称にかかる費用(通りのサインの掛け替えで300万円とも伝わったが実費不明)を「今回に限り」千葉市が負担した。
無理を通して道理を引っ込ます熱狂的ファンに辟易し、以来私はマリンスタジアムに足を一度も運んでいない。
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2009年には行きすぎた行動をしたロッテの応援団体が一般ファンから退場要求され、連鎖的に関係団体が解散に追い込まれる事件があった。
赤字を理由にあまりに高額すぎるバレンタイン監督との契約の延長をしなかった球団フロントに対して、一部の「熱狂的なロッテファン」が抗議の意味で目に余る行動を行った。西岡剛選手は「死刑」などの横断幕を掲げたことに対して「子供の夢を壊すやり方はしないで欲しい」と訴えたが、当の応援団は次の試合で西岡選手の応援を拒否。相手球団が凡退したときの「アウトコール」を打席中に行うにいたる。さらに一般ファンから自然発生した「剛」コールを応援団が邪魔し、最終打者となった堀幸一選手の打席では一般ファンが応援団を無視して「幸一」コール。試合後に一般ファンが応援団に「帰れ」コールを行う事態になった。
結局一部の「熱狂的なロッテファン」にはおごりと自己中心さがあったのだろう。抗議行動にしても、一般ファンを敵に回す行動にしても、あまりに幼く自己中心的すぎる。それは私の街で起きたいくつかのロッテがらみの事件とも共通する。
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2010年は、バレンタイン監督から西村監督になり、応援団も公設のものとなってファンと球団との関係が再定義された。その年に日本一となったのは意味のあることだと思う。
Posted at 2010/11/23 20:03:23 | |
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