Twitterで話題になっていた件。
田原総一朗の政財界「ここだけの話」
共産党が仕掛けた野党共闘の勝算
http://www.nikkeibp.co.jp/atcl/column/15/100463/102000035/?P=2
もっとも民主党はこないだまで政権政党だった。本来なら自民党に代わって政権を狙わなければならない政党のはずだ。しかし、その民主党が安保関連法案について、ついに対案を出さなかった。対案を出さずに、「反対だ、廃案にすべきだ」とだけ主張しているだけだった。 |
対案要求病とでも言えるようなもの。
提案されているのは現在の法律を改正しようという話(1つは新設)。ならば当然その中身を検討し、ダメならダメだというだけの話。
法律を変更する必要がないと言っている民主党が、なぜ法律を変更するための対案を出さねばならないのだ。
全く意味が分からない。
改正を前提に議論をすり替えている。田原総一郎の頭の中は少なくともそうなのだろう。
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似たような話はいくらでもある。
弱者搾取を前提とした提案で、現実的には諸条件から不可能なものに対して、理由を説明して案は不可能であるとしたところ、某元新聞記者から対案を出せと要求されたことがある。
当の元新聞記者は中身を検討せずに安易に褒め称えていた。内容が不可能と知らされたら、例え不可能な案でも案を出すだけ批判をするだけよりマシ、対案がないなら批判をするなと言わんばかりのことを言い始めた。要するに自分の不明を認めずに相手に非を転嫁したのである。
対案要求というのは、かくも都合よく使われている。一種の詭弁である。
なお、私は対案がなければ批判をしてはならない理由はないとした上で、きちんと現実に可能な対案も提示しておいた。これに対してはコメントはなかった。
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対案とは本来は、ある目的に対して、もっともよい方法を探るためにある。
この場合、目的は共有されており、その方法論に差異がある場合に比較検討でき、よりよい方法をとることができる。
ところが、目的そのものに問題があると批判されている際に、批判をするなら対案を出せ、出せないなら反対するなと主張することがある。
問題は目的であって、対案を出せというのは議論のすり替えでしかない。
これは、対案を出せない側に問題があるかのような印象を与える効果があるので好んで使われることがある詭弁である。
このような議論のすり替えには充分注意する必要がある。
冒頭で取り上げた田原総一郎の記事は、まさに議論をすり替え、安保法案の目的自体を是とするよう意識づけ、反対するものを貶める効果を持つことになる。
これをプロパガンダと見るものもいる。
Posted at 2015/12/30 14:53:08 | |
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