バブル時代のモーターショーのパンフに、スバルが開発したF1用のエンジンが載っていた。確か、この時展示していた童夢と共同開発のジオット・キャスピタに搭載していたような気がする。
F12エンジン
1989年よりF1のエンジン規定が「自然吸気3,500cc」に統一されることが決まると、キティは水平対向12気筒 (F12) エンジンを開発。日本の富士重工業(スバル)と提携し、「スバル-モトーリ・モデルニ」として1990年よりコローニへ供給することになる。
当時スバルのモータースポーツ代表者だった高岡祥郎によれば、発端はロードカー「ジオット・キャスピタ」用に3,300ccの水平対向6気筒エンジン(のちのアルシオーネSVXに搭載)をチューンするという話だった。欧州のエンジンチューナーと接触する中で童夢の林みのるにモトーリ・モデルニを紹介され、計画が「F12エンジン開発」「F1参戦」へと膨らんでいったという。
1988年1月にスバルとのジョイントが発表され、同年のイタリアGP前にミラノでF12エンジン(開発コード"1235")が初公開された。1989年にはミナルディのマシンに搭載してテストを行ったが、ミナルディ側が採用に難色を示したため、供給先をコローニへ変更した。スバルは前線基地としてスバルテクニカヨーロッパ (STE) を設立し、コローニの株式半数を取得してチームの共同運営も行った。
1990年はコローニ・C3Bに搭載され、ベルトラン・ガショーの1台体制で参戦したが、開幕から8戦続けて予備予選落ちという惨憺たる結果が続いた。エンジン性能は最高出力600ps以上、最高回転数13,000rpmと発表されたが、「ダブルベッド」と揶揄されたサイズ(743×725×399mm)、159kgという重量は当時のF1エンジンの水準に達していなかった(高岡は剛性の弱さと5バルブの不調も指摘している)。結局、スバル本社の判断により提携が解消され、第8戦イギリスGPを最後にF1から撤退した。コローニは後半戦は市販のコスワースDFR (V8) へスイッチし、少なくとも予備予選は通過できるようになった。
WIkipedia モトーニ・モデルニ
バブルそのものだなあ。
スバルがイタリアのエンジニアと組んでエンジンをチューンしてもらう話がF1参戦に拡大。けれど、結局重くて大きなエンジンはミナルディから難色を示され、買収したチームで使うも予備予選すら通過できなかったと。
スバルというメーカーは当時かなりバブルに浮かれてしまっていたのだろうなあ。
それがアルシオーネSVXという分不相応な上級スペシャリティカーの開発にのめり込み、セールスで失敗したことともつながっている。
SVXは当時のスバルブランドに合わない背伸びしすぎた車であっただけでなく、お洒落すぎるボディにATのみの設定、240PSという当時のライバルにちょっと足りないパワーという、高度な内容なのに最高レベルを目指さないとがれない要素の集まりは、スバルの開発時のバブル感覚によるものだったのだろう。
ピアッツァオーナーから見れば、ナローで足回りがプアな不満を払拭する、ジウジアーロのボディをまとった正常進化型のスペシャリティカーではあったものの、やはり一般市場ではウケるものではなかった。同様な車を欧州老舗メーカーがつくっていれば全く違ったかも知れないが。
Posted at 2023/02/11 10:05:15 | |
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