乙武洋匡さんと岡田斗司夫さんの「自己肯定感」という魔物 (いつか電池がきれるまで) <以下部分引用> 奥様は日々の乙武さんの生活のサポートをしているのだけれども、それは「やらされている」のではない。 自分がいままで得ることができなかった「自己肯定感」。 それでいいんだ、できないことがあるのが人間なんだ、というおおらかさ。 乙武さんと一緒にいることによって、それを常に身近に感じることができたのです。 ただ、この乙武さんの「自己肯定感」は、あまりにも肥大しすぎてしまって、いつのまにか「自分のやりたいことをやるのが絶対的に正しいことなのだ」というのが、乙武さんの人生観になってしまったのではないか、と僕は考えています。 そして、その「自己肯定感」に惹かれていた奥様(そして、周囲の人々)は、「この人がやりたいようにやらせてあげるのが『正しいこと』なのだ。障害があっても『挑戦』するのは良いことなのだ」という「信仰の対象」として、乙武さんを見ていたのではないかという気がするのです。 3人の子供を持つ母親で、物理的には、オムツを替えることさえ、パートナーの援助を期待できない、そのパートナーに対しても援助が要る、という状況は、かなりキツいんじゃないかと思うんですよ。 我が家だったら、「なんであなたは家事に非協力的なの!」と責められることになるでしょう。 僕は「本人にやる気があれば、できるはず」だから。 でも、乙武さんはそういう物理的なサポートが不可能であり、それを承知で結婚しているので、そこを詰問するわけにもいかない。 もともと、自己肯定感が低い人であれば、「自分のやりたいことをやるのが正義」なパートナーの「じゃあ、僕は外で自分の性欲を解消してくるね。そのほうが合理的じゃない?」という提案を受け入れてしまう可能性もあるというか、「もうほんときついから、性欲を家庭に持ち込まないで」あるいは「今の自分ではあなたを満足させられないから、好きにしていいよ」というふうに考えるようになったのかもしれません。 めちゃくちゃな話ではあるんだけれども、こういう夫婦関係って、実際に存在するんですよ。 僕はそれが正しいとは全く思わないけれど、お互いが合意のもとにやっているのであれば、外からとやかく言うのも余計なお世話なのかな、と。 こういう「自己肯定感が肥大しすぎて、プチ教祖みたいになってしまった人」って、「自己評価が低くて、自分の言いなりになってくれる人」をピンポイントで見つけるのがものすごく上手なことがあるんだよなあ。 http://fujipon.hatenablog.com/entry/2016/03/25/165736 |
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