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Yuh_Fazioliのブログ一覧

2016年03月29日 イイね!

千葉大の対応


 中学生監禁事件に関して。

 卒業資格剥奪などと息巻いていた千葉大学だが、法学部の教授に法律的に厳しいと言わたとか。

 あまりにも当たり前の話。事前に確認ぐらいすればいいのに、まるで3つの法律に触れる提案を住民におこなった千○市生涯○習○興課みたいだ。


 この謝罪会見も気になる。

 今どきは(中低位)大学が異常に面倒見がよくなって、中学か高校みたいになっているところもあるみたいだけれど、そういうものを連想させる千葉大の対応。

 なぜ大学側が謝罪(誰に向かって?)しているのかよく分からない。在学中の学生ならまだしも。学位記を出したあとなのに、さかのぼって停学にし、卒業資格剥奪とか。

 法律の考え方を知っていれば、誰だってまずおかしいと思うだろう。

 早稲田の小保方氏に対するアマアマの対応の逆を行こうとか、そう言う意識があったかも知れないけれど、あまりに短慮で視野が狭い気がして仕方が無い。

 博士論文の不正とは全然違うレベルの話。大学が学生の生活全般を指導監督しているものであるならまだしも、大学は学問の場であろうに。
Posted at 2016/03/29 21:26:40 | コメント(0) | トラックバック(0) | ひとりごと | 日記
2016年03月27日 イイね!

PAで起きたいろいろ


 自分はたまに地元音楽ホールのイベントでPAをやることがある。

 まあ、職業でやっている訳ではないし、他に一緒にやれる人がいないのでほとんどの場合一人でやり、仕込みの時間もテストの時間もほとんどもらえないので、最小限で勘弁してもらっている。

 **

 ホールが元々生音用に(特にピアノに焦点を当てて)そこそこの長残響に設計してあるので、電気音響には向かない。ホールに設置された幕で吸音して調節するのだけれど、使いにくいので電気音響系のバンドとかの人はほとんど使わなくなった。
 まあ忙しくなったとか、人が確保できなくなったとか、いろいろあるのだろうけれど、練習だったらどこかのスタジオを使った方が遙かに便利なので、練習に使っている様子はほとんどなくなっている。

 自分もバンドの演奏のPAはお手伝い程度でしか参加したことがない。

 ただ、いろんなイベントを経験して分かったのは、素人に近いほど自分の音が聞こえないと演奏できないと言うこと。

 電気音響を使う場合、ステージには自分の音を聞くための跳ね返りのスピーカーを設置する。

 ところが地元のホールは200人規模でステージと客席は面一。演奏者用の面積を大きくとると客席が少なくなってしまう。跳ね返りスピーカーを設置しにくい。規模が大きくなるとスピーカーが足りない。
 また、狭く残響が多いのでハウリングもしやすい。なので跳ね返りのスピーカーを設置できなかったり、音量が確保できなかったりする。

 プロレベルの人だと、跳ね返りはなくてOKと言う人も多いのだが、素人になればなるほど跳ね返りで自分の音が聞こえないと演奏ができないという。丸二日間朝から夜までぶっ続けの音楽イベントをやったとき、様々なジャンル、様々なレベルの演奏者が参加した中で、この傾向は顕著だった。
 へたくそほど自分の音が聞こえないと演奏できない。

 経験や技能の差というのはこう言うところにはっきり出てくる。

 **

 落語会にお付き合いしたこともある。プロの噺家が、お弟子さんを数名連れてやって来た。
 トリの大物噺家さんは、人情噺か何か、すごく長い一席をやっていったのだけど、落語のくせにクスリとも笑うところがない。こちらは落語と言えば笑いが必ずちりばめられていると思っているので、かなりしんどいものがあった。

 ま、それはともかく、この噺家さん、200名のホールをみて、

「私、マイクなしでやります。これぐらいの広さなら自分の声だけで充分届かせて見せます」

といってマイクでの拡声を拒否。マイクを下げさせられた。

 ところが、いざはじまってみると聞こえるのは前の方だけで、後の方では何を言っているのかさっぱり分からない。

 残響が強い空間というのは、生音系楽器演奏には向いても会議やスピーチ等には全く向かない。
 噺家がプライドを前面に出して客のことを置いてきぼりにしたと言う、まああっては困るけれどありがちな話。

 結局マイクで少しアシストしたのだったと思うが、よく覚えていない。

 **

 邦楽の演奏会に何故か駆り出されてお手伝いさせられたこともある。

 私の方はボランティアで、誰もいないというのでやむを得ず来ているのに、金で雇っている下働きのように扱われてえらい不愉快な思いをした。
 間に入っている人が気が利かない人、どころか事実で無いことを平気で言いふらす問題のある人で(当時はそんなことは知らなかったけど)、当然音響・照明スタッフがお願いしてきてもらっているボランティアだなんてことは全然伝えもしない。だからそう言うことになる。

 ま、それはそれとして。

 ホールがホールなのでマイクで拾う必要もないぐらいに琴も尺八も充分響いている。

 ところが、あの手の人はオープンエアの空間とか1000人規模のホールとかでしかやっていないから、電気音響のアシストをガンガン効かすのになれきっていて、ここでも大きな音に拡声しないと気が済まないらしい。

 生音重視のホールなのだから、ホールの響きを使って生音を聞かせてくれれば良いのだが、もっともっとと音量を要求されて、せっかく響きが利用できるホールなのに、スピーカー音そのものの音ばかり聞かされるという、なんでこのホールでやってんだかわからないことになってしまった。

 そもそも邦楽は日本のすかすかな建物や野外空間で演奏するので、響きを利用した演奏なんかやらないのが普通だろう。西洋音楽が残響を前提にしているのと大きく違う。

 だったら、音響のアシストもいらないはずだが、そうはならないらしい。

 実はこのホールではできないはずの営利のコンサートであったりして、二度とこのホールでやる事はなかったけれど。
 だいたい、どういう名目でコンサートができたのかよく分からない。一人は地元の人だけれど、他は外の人で、地元団体ではなく、定期利用サークルでもないので、そのままでは使用する権利のない人たちだ。
 無許可の有料コンサート(公民館なのでチャリティ名目以外では有料コンサートはできない)であったことがばれたことがあり、もう二度とホールを使う事はなかったけれど、それを「住民団体が私物化していて、邦楽だから差別してホールを使わせない」などとふれて回られるというとんでもないことをされた。

 ついでに、この人は、私が深く関わった、子どもたちを100名以上集めてのストーリー仕立ての音楽系イベントに手を上げて参加してきたのだけれど、その後、無許可でそのイベントの名前を使ってホールを借りていたことがあった。

 要は倫理観がおかしい人だから、なんどでも自分のために嘘をつくのだろう。

 **

 ハンドフルートという、両手を組んでオカリナのような楽器として演奏する方法がある。
 そのハンドフルートとキーボードのチャイルドフッドというDUOがいる。テレビにも何度か出ているのでみたことがある人もいるかも知れない。その二人組のピアノ/キーボード担当が昔から地元のいくつかの合唱団の伴奏をしていることもあってよく知っている。

 で、そんな彼らの演奏の音響も何度かやった。
 ハンドフルートは結構大きな音が出るが、楽器に比べれば決して大きな音ではないので拡声を要求され、とある理由で跳ね返りスピーカーとの間でハウリングが起きると言う大失敗をしたことがある。
 全部一人でやって仕込みの時間も充分もらえないからああいう事故やミスも起きるのだけれど、さすがにプロで、全く動じず演奏を続けた。えらいものだった。

 彼らの演奏には何度か音響で参加したけれど、最初にやったときは事務所の人に洞窟のようなリバーブをと要求されえらい深いリバーブをかけさせられた。二度目の時には事務所が変わっていて、その関係者(マネージャーではなかったようで、一体どういうポジションの人か不明)が本番最中にリバーブをかけ過ぎみたいなことを言ってきた。そんなこと、リハで言ってくれ。今更ころっとかえるわけにはいかない。

 このDUOが1500人クラスの地方の音楽ホールで演奏するとき、手伝いを頼まれたことがあるのだけれど、このときは地元の音響さんたちがセッティングした所に、最近契約したばかりのレコード会社のエンジニアがあとから乗り込んできて、PAブースを占拠してしまった。全く聞いてない話である。
 地元の音響さんたちは楽器の音を鳴るべくピュアにアシストする方向でセッティングを作っていたのだが、そのエンジニアは自分が好きなように音を作りまくり、原音と全く不自然な違う音にして悦に入っている。ピアノが電子楽器のよう……。

 レコーディングエンジニアなんてそんな人が多いのだろうか。
 自分の作品を作っているという気持ちが相当前に出ていて、演奏は単なる音源、ぐらいの感覚なのかも知れない。

 地元の音響さんたちはさぞや不愉快な思いだったことだろう。

 ちなみに、事務所から多少の日当は出たのだけれど、高速代とガソリン代でほとんど消えてしまった。まあ勉強になったからいいけれど。

 なお、市主催のコンサートで、バブル時に作った千葉の地方都市にまったく不釣り合いな、水田の間の道を進むと突如現れる大ホールが会場。
 当然さほど名のとおっていないハンドフルートDUOのチケットが1500枚も地元で売れるはずもない。
 苦労してなんとか格好をつけていたようだ。

 まあ、地方都市にありがちなこと。巨大な音楽ホールを作るなんて身の丈に合わないことをやると、ずっとツケを払い続けることになる。作ってしまった以上、稼働率が低ければ問題になる。直営コンサートを組むけれど、遠くからでも人が来る有名な人ばかり呼べるとは限らない。
 千葉市だと、お笑い芸人のライブをやったりなんかもしている。

 バブルの影響は大きく、気が大きくなって日本中で大音楽ホールを作ってしまい、どこも苦労しているようだ。

 **

 今回このエントリーを書こうと思ったのは、音響のエンジニアが職業難聴になっていることが多いという話を聞いたからだ。

 特にロック系のコンサートは、大音量が当たり前で、お客も一時的、ないしは恒常的な感音性難聴になることがよくある。音響スタッフは日常であるから、聴細胞の感覚毛をすり減らして難聴になってしまう。

 おかげで、音響スタッフが自分で気付かないうちに、やたらに音量が上がってしまっていることが多いらしい。

 実際、なんでここまで音量を上げるのか疑問に思うことがある。

 逆に、そう言うやり方をするのが音響だと思われてしまうと、ホールの響きを活かして電気的な拡声を最低限に抑えるなんてやり方は理解されない。

 どこぞの邦楽グループのように、大音量でないと満足しなくなってしまう。

 私は極力爆音には関わらないようにして来たし、そう言うオペレートはしないようにして来た。

 どうしてもそういうことに関わらねばならないときは、音を小さくする耳栓でもするつもりでいる。
 


Posted at 2016/03/27 19:32:29 | コメント(0) | トラックバック(0) | 音楽 | 日記
2016年03月27日 イイね!

不治の病と生来の障害と乙武氏


 昔、ちょっとした癒し系イラストを描いていた頃、筋ジストロフィーの方からイラストの依頼を頂いたことがある。

 以前書いたイラストと似たイメージでここをこうして、という注文で、「恋人」のために描いて欲しいという。
 筋ジスでもう先が長くないことが分かっている方で、すこしでも役に立てるのであればと言うことで依頼を受けて描いてみた。
 対価は一切なし。
 それからそう時間が経たないうちにその方は亡くなられたとのことで、主治医だった方や家族の方などがその方のHPの保存をすることにした等とHPに掲載された。
 さらにその後、主治医の方がその筋ジスの方に関する本を書かれるとのことで、イラストを載せていいかと問われ、了承した。これももちろん対価はなしで、出版社から献本を4冊頂いた。

 **

 その時、とても不思議に感じたのは、筋ジスの方の感覚である。何か、他人は自分のために何かをしてくれて当然という感覚を何度も感じた。話の流れ自体、イラストを描いてもらえて当然のようなものになっていた。
 筋ジストロフィーは筋肉が萎縮し、体を動かすこともできなくなり、多くが若くして亡くなる。
 ご本人も、現在の医療では逃れられない運命を受け入れながら、生きていた。
 子供時代に発症し、社会経験もなく、ある頃からはずっとベッドの上だけの生活で介助なしには何もできない生活だ。
 その生活の中で、つねに他者から与えられることが当たり前になっていたのはおそらく間違いないだろう。
 普通の人よりあるかにはやく確実に死が訪れるが故、介助なくしてはいきられない病を持っているが故に、他者との関係が対等ではないものになるのはやむを得ないのかも知れない。

 **

 なんでこんなことを思い出したかというと、乙武氏の件があるからだ。
 彼は生まれつきの障害を持ち、生きてきた。その中でかなりの奔放さがあったように思われる。
 健常者から障害者になったわけではなく、生まれつきの障害で、失うことを経験したわけではない。
 両親の成育の結果なり両親から引き継いだなりの性格・前向きさを持って生きてきた。しかしそこはつねに介助をする人がいることが前提で、それが故の特殊な他人とのあり方の感覚ができていたことは多分あるのだろう。

 乙武氏には、介助なしには生きられないとは言え、現実には死を直視する必要が全くない。彼にとっては一生介助者がつき続けるのが当然なのだ。
 どの程度までかはともかく、自ら志願してくるものも何人もいただろう。
 その中での、常に誰かに世話をされることが当たり前の中で生きてきた彼の、他人との関係性は、常人のそれとは随分違っていても何ら不思議はないだろうと、私は思う。

 奥さんとの関係性も、普通の夫婦という感覚ではまず読み解けないだろうと思う。
Posted at 2016/03/27 14:07:33 | コメント(0) | トラックバック(0) | ひとりごと | 日記
2016年03月26日 イイね!

乙武氏は依存関係を利用しているのか?


 不倫問題が取り上げられ、意外にバッシングが少ないと思っていたら、奥様が謝罪に出てきたことで炎上している。

 なぜ奥様が謝罪をするのかについては、既に政治家としての危機管理である云々と分析するものが後を絶たないが、非常に面白い分析があった。私はこの可能性を強く見ている。




乙武洋匡さんと岡田斗司夫さんの「自己肯定感」という魔物
(いつか電池がきれるまで)

<以下部分引用>

 奥様は日々の乙武さんの生活のサポートをしているのだけれども、それは「やらされている」のではない。
 自分がいままで得ることができなかった「自己肯定感」。
 それでいいんだ、できないことがあるのが人間なんだ、というおおらかさ。
 乙武さんと一緒にいることによって、それを常に身近に感じることができたのです。


 ただ、この乙武さんの「自己肯定感」は、あまりにも肥大しすぎてしまって、いつのまにか「自分のやりたいことをやるのが絶対的に正しいことなのだ」というのが、乙武さんの人生観になってしまったのではないか、と僕は考えています。
 そして、その「自己肯定感」に惹かれていた奥様(そして、周囲の人々)は、「この人がやりたいようにやらせてあげるのが『正しいこと』なのだ。障害があっても『挑戦』するのは良いことなのだ」という「信仰の対象」として、乙武さんを見ていたのではないかという気がするのです。


 3人の子供を持つ母親で、物理的には、オムツを替えることさえ、パートナーの援助を期待できない、そのパートナーに対しても援助が要る、という状況は、かなりキツいんじゃないかと思うんですよ。
 我が家だったら、「なんであなたは家事に非協力的なの!」と責められることになるでしょう。
 僕は「本人にやる気があれば、できるはず」だから。
 でも、乙武さんはそういう物理的なサポートが不可能であり、それを承知で結婚しているので、そこを詰問するわけにもいかない。
 もともと、自己肯定感が低い人であれば、「自分のやりたいことをやるのが正義」なパートナーの「じゃあ、僕は外で自分の性欲を解消してくるね。そのほうが合理的じゃない?」という提案を受け入れてしまう可能性もあるというか、「もうほんときついから、性欲を家庭に持ち込まないで」あるいは「今の自分ではあなたを満足させられないから、好きにしていいよ」というふうに考えるようになったのかもしれません。
 めちゃくちゃな話ではあるんだけれども、こういう夫婦関係って、実際に存在するんですよ。
 僕はそれが正しいとは全く思わないけれど、お互いが合意のもとにやっているのであれば、外からとやかく言うのも余計なお世話なのかな、と。
 こういう「自己肯定感が肥大しすぎて、プチ教祖みたいになってしまった人」って、「自己評価が低くて、自分の言いなりになってくれる人」をピンポイントで見つけるのがものすごく上手なことがあるんだよなあ。

http://fujipon.hatenablog.com/entry/2016/03/25/165736


 これはなかなかよい分析。

 乙武氏の奥様が自己肯定感の低い方なら、ありうる話。
 この中でも指摘されているけれど、ある種の自己肯定感の高い人は、自己肯定感の低い人をうまくピックアップして隷属させることに長けていることがある。
 弱みを利用して相手を依存させるのである。
 一旦依存関係になると、依存する側は、常識的にあり得ないレベルまで必死で許容することが起こる。

 そう言う手口はよく見かける。

 心理的に問題を抱える生徒が、男性教員に依存する様なことも起きやすい。教員側がこれを利用してしまうようなことは実際起きる。男女関係になりやすいパターンだ。

 某ヤンキー先生など、自分の生徒を妊娠させたのち退学させ、結婚に至っているが、そういう疑いは濃厚だ。

 自己肯定感の低い人は、自分が頼れる相手を常に追い求めている。
 宗教にはまりやすいのも、この手の人たちだ。

 自分はその手の人に、自分の足で立てるよう厳しめに接してしまうので、依存関係に陥らせることはまずないが、悲しいことに、その手の人たちは、他に依存できる人を求めて離れてしまうことが多く、なにがしか別の関係でつながりがない限り支援自体が継続できず、結局何の解決にもならない。
 

 
Posted at 2016/03/26 10:19:04 | コメント(0) | トラックバック(0) | 心理 | 日記
2016年03月25日 イイね!

【アニメ】僕だけがいない街 最終回


 原作は読んでいないが、およそ原作の流れは知っている。

 で、アニメ版は展開が異なっていた。

 で、細かいところは置いておいて、感想。

 最後に愛梨が出てきてよかった。

 これに尽きる。



 まあ、出会ったからと言って愛梨自身はまったく別の世界線でのことは知らないので、どうなるかは分からないけれど。原作はその後を示唆して終わったようだけれど。

 **

 自分の人生は、常におかしなことに巻き込まれ続け、それを如何に何とかするかということにばかりエネルギーを振り向け続けざるを得なかったけれど、結局経験値は上がっても大切なものがいつも自分の手の中からこぼれ落ちてきた。

 だからこそ、せめてお話しの中だけでもハッピーエンドに浸りたい、と思ってしまう。

 今も、巻き込まれた理不尽と戦っている。解決したところで自分が得るところはあまりない。

 ご褒美はないのだろうか、これだけやって来て。自分ではなく他の人々が利益を得る解決に導いてきても。

 

プロフィール

「@こるり うっすらでも色がついていたら陰性ですので。ともかくお大事に。」
何シテル?   03/15 17:11
愛車 黄色いピアッツァのHP http://piazza.ciao.jp/piazza_web/index.html ↑プロバイダーを変更して再開! ...
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