この所、日本人の自画自賛傾向を気にする議論を目にするようになってきた。
安倍政権やネトウヨの歴史を歪めても戦前日本や江戸時代を美化する傾向とそれに同調するマスコミへの反動かも知れない。
たとえば
1年ぶりに日本に帰ってきて「危ういな…」と思ったこと=三浦茜
2015年12月22日
http://www.mag2.com/p/money/6806
先日Twitterで話題になった、
東浩紀氏の「日本衰退の事実に気付かず日本を礼賛している若者が多い事は残念」
http://togetter.com/li/914555
とかも。
広告代理店戦略にのせられた異様な【お・も・て・な・し】文化礼賛も、国内外から批判がある。
http://toyokeizai.net/articles/-/57728
http://toyokeizai.net/articles/-/70079
クールジャパン戦略も国内外から批判を浴びている。自らクールという思い上がりやだささも、搾取の上に成り立っている構造を放置して利用しようとすることも。
自信を持つことは悪いことではないし、自分の国の良さに気付くことも大切なことだろう。しかし、それは対応する事実があってこそだ。偽りに自信を持ってもむなしいだけだ。
問題点を克服してこそ次の繁栄も期待できるというもの。
アメリカは経済戦争で日本に負けたが、変化によって日本を打ち負かした。
日本は一度自信を持ったやり方にしがみつき、ライバルの研究をおろそかにし、過去の成功体験に縛られ続けた。このあたりは大戦中の日本にも似ている。一方のアメリカはよく日本を研究した。特に零戦を研究し弱点を突く一方強力なグラマンを開発し圧倒したことはよく知られる。
過当競争に陥っていたD-RAM生産を官僚主導で日本のお家芸として再編して立ち上げたエルピーダメモリーなんかバカじゃないかとおもったが、案の定倒産。結局海外に買われてしまった。日本の通産省官僚ってここまで世界が見えてないのかと思った。
D-RAMにさっさと見切りをつけ高付加価値のMPUに主軸を置いたIntelとの違いはよく語られるところだ。
現在も使われるx86系プロセッサの祖先に当たるi8080プロセッサはスカウトされた日本人(嶋正利)が開発に関与しているが、あくまでインテルでの開発であり、日本からは生まれなかった。嶋はその後ザイログ社設立に関わる(ザイログz80系は現在も組み込み用途で使われる)などした。
日本メーカーはインテルやモトローラ製品のセカンドソースや機能強化製品を売ったが、独自の製品を作り市場を制覇することはできなかった(国産のTron計画は日米通商摩擦のなか、外圧でつぶされたが、初期B-Tronはインテルプロセッサで動いており、当時すでにCPUはIntelの牙城であった。なお、潰す側には孫正義が関わっていた)
転換を図れないまま20年以上が過ぎた。人件費を切り詰めて国内をますます衰退させ、タコが自分の足を喰う状況を作りながら、円安誘導による為替差益で利益が出たと言ったところで仕方がない。円高になれば元の木阿弥である。
人口が減る社会なら、それに対応した構造変化をしない限り、どうにもならない。
それでアニメや観光が出てきたり、インバウンド期待がある訳だが、日本礼賛を押しつけてはうまく行くはずもない。
あるものを食いつぶす発想は、労働者搾取で利益を出そうという発想と根本的には変わらない。
日本が経済大国となった当時の強みはほとんど後発国に持って行かれている。
何か新しいものを作り上げていかないと衰退するだけだ。
工業の転換と言っても武器産業に転換する訳にもいかないのだが、安倍政権ではそれも推し進めている。
Posted at 2015/12/22 17:00:21 | |
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