最近、私はネットで発言の多いニセ科学批判の人たちに対して、かなり不信感を抱いている。
ある人は純粋に科学馬鹿すぎて、世間知らずすぎ、ものを知らなさすぎる。それが原因でトラブルを起こすこと多数。
ある人は同業の女性をひどい性差別的蔑視発言で叩いて炎上。あげくにツイッターを鍵アカウント化した。この件には上記の世間知らずの人も関わっている。
ある人は福島の事故による初期被曝の影響はなかったという自説を擁護するために、偏った翻訳をして海外の論文を紹介したり根拠が十分でない説を絶対視して紹介し、献身的に働く医者ら当事者の名誉をずたずたにするようなことを平気でしていたり。
ある人は明らかに右翼的な偏りがあり、科学的評価にもそれが及んでいるが、それ以外の発言はことごとく主観、思いこみに基づくものでとても科学に携わる人間の態度とは思われない。
ある人は、自分が知る典型的な科学でのグラフ処理が通用しない予算についてのグラフの処理を不正な操作だと主張して自分の不正なデータの見せ方の講義のネタにするなどというが、実際の所全くトンチンカンなことを言っていた。本人が極めてネトウヨ主張をしていて、ネトウヨが作った偏ったデータの切り貼りを真に受けてナチス的なものを擁護したり、政権批判的にイチャモンのレベルで新聞を叩いていたり、かなりデタラメだったりとかなりひどい。
その他、いろいろなことがあり、彼らに同調しようという気持ちは全く持っていない。全く別個に科学的評価をするだけだ。上記の人々は以前からニセ科学批判の中で目立ってきた人々だが、そうではない人達には、比較的冷静な人もいる。ネットを見渡すと現状のニセ科学批判の人々に対する論考もいくつか見られるようだ。ニセ科学批判=ネトウヨという見方に対する面白い分析をしている人もいる。
結局、目立つ彼らは「人間」だから、人間がどうしても離れることが出来ない主観、感情に基づいて行動する部分を離れることが出来ないのだよね。そもそも目立つ活動をしたがる心理についても考える必要があるだろう。
中にはお金や何らかの力関係が働いているケースもある訳だが、そういう人はこの界隈には希だろう。
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科学の立場では、データをとることが最も重要で、あとはその評価である。
研究者でなければ直接フィールドに入って研究するわけではないから、既に出ているデータをもとに考えることになる。しかしながら、このデータのとられ方に偏りがあれば、その評価も不十分なものになりうる。
Aという主張とBと言う主張がある場合、どちらもデータを出し合って議論すればよいのだが、圧倒的に資金力に差があったり、Aを都合のよいものと思う政治的力が及んでいるためにBの主張を採るものが少なくなったりすると、明確に論文の数に偏りが出る。これで対等に議論するのは難しい。
理系の研究の世界では資金力が大きくものを言う。
一方、医学系などの多くの論文に不正が見られたりするし、お金が絡んでいるものはそうなりやすい。科学を名乗りながら、その実は事実をねじ曲げることは結構行われている。それを知らなければその「科学の成果」を正しいものと思ってしまう。
ニッチ的な研究だと反論が出てこないので、そのまま通ってしまったりもする。
反論が出てこないから正しいわけではない。反論が少ないとか、反論のデータが不十分だからと言って正しいわけでもない。
科学の世界といえども人間の世界なので、全てが冷静なロジックな訳ではない。STAP細胞を押した理研の件など、その典型である訳だ。
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真実はどこにあるのかはそうそう簡単には分からない。
それを研究している人たちは真実を見いだそうとしている、と一般に性善説で捉える。だからこそ、STAP細胞なんていう荒唐無稽なものでもきちんとした最高の科学雑誌に載ればそれは相当正しそうだと研究者といえども捉えてしまう。
実際の所、論文が載ったのは共同執筆者のネームバリューで判断された部分が大きいので、如何にそういう性善説が危ういかを示す極めて象徴的なケースだったと思う。
あれがバカンティだけの共同執筆だったら、もっと冷静に精査され、絶対に載らなかっただろう。
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そんな訳なので、今あるデータや論文、支持されているものが正しいとは言いきれないし、長い目で追わないと明確なことは言えないことと言うのはたくさんある。今の時点で断言をすることは全く科学的ではないと言うことはいくらでもある。
もちろん、自明であることもいくらでもあるのだけれど、そういうことはニセ科学レベルの話だ。
福島の初期被曝の影響については初期被曝のデータそのものが政治的権力によってとられないように圧力がかけられたので推定するしかなく、影響の出方も、チェルノブイリと同じように起こるとは限らない。当時とは精度も違うし、環境も違う。日本の環境は随分有利にはたらいとように思われるけれど、それだけでは放射線に過敏な体質を持つ人も影響を受けていないと言うことにはならない。
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で、今日はこんなネタで界隈が吹き上がっていた。
これをみてニセ科学批判界隈と福島応援団でツイートが飛び交っている。
しかし、番組のタイトルはそもそも「ビキニ事件63年目の真実~フクシマの未来予想図」であって、フクシマ以下を切り出すのはミスリード、印象操作。
番組の内容に関しては
http://www.tv-asahi.co.jp/announcer/personal/men/yamaguchi/index_top.html
ここに語られているが、これを見る限り、ビキニ事件を直接フクシマの未来だとするような印象は持てない。界隈が吹き上がっているような内容ではない可能性がある。
確かにタイトルに「フクシマの未来予想図」などといれるのはあまり感心しない。商業マスコミ的な精神の表れかも知れない。
しかしながら、これだけで番組の内容を決めつけ、放送中止を要求とかと吹き上がっているのを見ると、この人達の科学性なんて何もないじゃないかと思うのだ。この界隈は妙な党派制を感じてならない。
科学は、データを元に論理で結論を出す手法だ。
しかし彼らは単に印象だけでものを言っている。全く科学的態度ではない。
こういう例は、ニセ科学批判や福島応援団VS脱原発みたいな対立の中で沢山見られた。もう相手の主張なんかまるで見ていなくて、印象だけで色分けしてぶったたくみたいなことが繰り返されてきた。ニセ科学批判サイドのどうみても科学的でない主張を指摘すると、脱原発と認定され総攻撃を受けるみたいな状況にもなっていた。
だから、社会調査をつごうよく我田引水して平気な某御用若手社会学者みたいなものが無批判にニセ科学批判サイド(かなり強い党派制がみられるようになっていった)にもてはやされたり、何の根拠にもならない統計上の誤差をその党派に属するものが「政策の効果だ」とツイートすればこれまた無批判にニセ科学批判の中に広まっていくようなばかげたことが起こってきた。
彼らは党派制を持つことによって本来あるべき科学的態度が相当に失われていた。その影響は今も色濃い。レッテル貼りに基づく攻撃はいつでも発動可能な状態になっていることが今回のことを見てもよく分かる。
どんな番組なのかの確かなことは番組に関わっている人間しか現時点ではわからないはずだ。どんなに想像をたくましくしても、それは想像でしかない。しかし、その想像を根拠に叩きまくっている。
まあ、これが人間というものなのだ。科学に携わる人間といえども結局は主観でものをいい、集団を作り、仲間意識を持ちその防衛をもっとも重視するようなことになってしまうのだ。
科学の立場で見れば、実にバカバカしい。
しかし、人間とはそんなものなのだ。
科学のトレーニングを行った科学者ですらこうなのだから、そうでない人間はごく当たり前に主観で動き、損得ばかりでものを考え、徒党を組み、その維持に嬉々とし、ボスが固定化して階級が発生し、内部闘争を起こすわけだ。
そういう目で見ると、人間社会というのは実に分かりやすい。人間の本質であって、結局は野生そのものだ。
私が多くのデータを示し、真実を見抜き、あってはならない主張に反論し、あるべきこと、正しいことを主張し続けても、悪だくみをする連中によって排除されることが繰り返されてきたのも同じこと。
【追記】
テレビ朝日は番組タイトルから【フクシマの未来予想図】を削除した模様。
番組に関心を向けさせるための釣り文句に過ぎなかった可能性大だが、少々浅はかに過ぎたと思われる。
しかし、そう言う部分と、中身も見ずに番組の放映に圧力をかけることとは別の話だ。新聞だのテレビ番組だのでは見出し、タイトルは必ずしも中身と一致しないということがある。新聞みだしに関してはレイアウトを担当する整理記者が見出しをつけるので、記事執筆記者本人によるものではなく、注意が必要なのである。テレビ番組の場合も似た事情がありそうだ。
そう言うことも含めて情報リテラシーを持つべきであり、今回の件で吹き上がった方面の人々の瞬間湯沸かし器ぶりは批判されるべきだろう。
まあ、
およそ科学を生業とする人間の態度ではない。
【追記】
更にこんなことまで言っている。
創造力たくましすぎるというか、もはや妄想のレベル。
何か確証があって言っているのだろうか。
何でも決めつけて自分たちでガソリンかけあって炎上させていて、もはやネトウヨと同じレベル。
と言うか、ツイートのの中身から見て反リベラルっぽい感じだから同根なのかもしれない。
これが今話題の似非科学批判=ネトウヨと言うヤツなのかな。