
数日前から、マンション駐車場に異常にうるさい爆音車がいると思っていた。
今日、資源ゴミを捨てに出た際、そのうるさい車に遭遇。何と、ランボルギーニ・
ガヤルドディアブロ。しかも黄色。
まさか私のピアッツァの黄色に対抗しようとしたわけでもあるまいが(ピアッツァじゃ相手にならないって)、とにかくびっくり。
リアにはアフターパーツらしき(純正かも)マフラーが2本そそり立っていた。ナンバープレートがマフラーに隠れて見えない。
遠くてよくわからなかったが、サングラスをかけた女性?が運転しているようだった。
取りあえずマフラーは何とかして欲しい、何とかなるものなら。あれでは他の住民からクレーム殺到だ。
しかし、このような車を目にしてしまうと、SVXもピアッツァもあまりに可愛すぎる(もともと女性的で尖ったところがないデザインである)。圧倒的な存在感。パワーもデザインもサイズも全く異次元・異世界のものだ。それはエキゾチックカーだけに許されたもの。
ランボルギーニ社自体、トラクター製造で財を築いた社長がフェラーリに満足できず、フェラーリを超える車を作ることを目的に起こしたメーカーという。
レースを目指すことなく、ロードカーとしてひたすら高性能であることを目指したエキゾチックカー。一般市販を目指した車では絶対にあり得ない仕様とデザインが採用されるあまりに特殊な車。
このような車には、国産メーカーによる量産車では絶対に達し得ないものがある。NSXですらそうだろう。同じマンションにNSXもいるが、やはりあれはスポーツカーであり量産車である。いわゆるエキゾチックカーの範疇ではないのだ。GT-Rはメーカーがスーパーカーを称しているが、そうは思えない。
このカテゴリーは、欧州の階級社会の存在と切り離せない。金に糸目をつけない購買層があって成立する。
存在そのものに価値を見いだすのがエキゾチックカー。
性能は全く違うが、同じカテゴリーと言えるのが、光岡自動車のオロチだろう。圧倒的な存在感を持つエキゾチックカー。
それにしても、うちのマンションではポルシェカレラ4やらフェラーリやらマセラティやらNSXやらベンツSLやら恐ろしい価格の車がよくある。フェラーリは商売ものとしてあったものだが、あとはオーナーの持ち物のようだ。
そんななかでもランボルギーニは別格の存在。
自分は車が好きだが、こういうエキゾチックカーを志向しているのだろうか? ふと考えてしまった。
よほど財産に余裕があるのなら持っていてもいいが、日常的に乗れるものではないから、自分の所有物として持つことはよほどの資産家になってもないような気がする。
こういう車を持つことで得られるものは一体何なのだろう。他人からの羨望と嫉妬の入り交じった視線と圧倒的な満足感だろうか。
ステータスを持ち物によって表現することは虚ろだと思っているから、自分はそういうものは志向しないように思う。
自分の場合、あくまで「粋」な車を持つことに価値を見いだしているような気がする。
Posted at 2010/05/09 11:57:42 | |
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