2016年12月11日
高校3年の頃、学校で受験対策の講習と称した放課後の勉強会があった。
受験に使うので生物に出てみたけれど、想定レベルが低すぎる。
おまけに教員が
「うろこのあるグループをあげよ」
というので
「鳥類」
と言ったら思いっきり怪訝な顔をされた。しかたなく
「ハ虫類」
と言い直したのだけど。
https://ja.wikipedia.org/…/%E9%B3%A5%E9%A1%9E%E3%81%AE%E4%B…
それ以来その講習には出なかった。
普段の授業でも時折その教員の想定を超える応答をし、生物のテストではロクに勉強をしなくても常にトップを取っていたので、その教員には随分嫌われていた。
学校なんてこの程度のものだと思っていた。
この教員に限らず、学校教員の知識教養レベルはあまり高くないことが多い。それでいて絶対的な立場にあるためにプライドが高い。自分を超えた生徒を認めにくい傾向がある。
そう言う話と、小学校の教育が必ずしも学問一辺倒ではなく社会生活に適応するための指導を行うことは、微妙な重なりをもっているが、教員のプライドのために一定のやり方しか認めないと言うことではないことは言及しておく。
Posted at 2016/12/11 08:04:15 | |
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教育・子育て | 日記
2016年06月05日
いまはセンター試験受験料が18000円もするのか。
河合塾のマーク模試で5250~6390円。センターは3倍も取り、採点結果を教えてくれるわけでもない。
私学だと受験料は大きな収入源。受験者数は収入に直結する。
センター受験者数は55万人。100億円も集めて一体どこに消えるのだろう。
**
財務諸表を見てみると、H26年度は2.14億円の利益があって、積み立てている。
http://www.dnc.ac.jp/sp/albums/abm.php…
同年度13.7億円の積立金がある。13年間の積立額。
役員報酬は一人当たり約1600万円。めちゃめちゃでかいわけではない。3人の常勤役員のうち一人は文科省の出向。
一般職員の給与平均は629万円。
剰余金に対する国庫納付金の割合は約1.5割。非常に少ない。
支出では監督者等経費、要するに試験をする際の費用がかなり大きい。
試験監督は20時間で手取り35000円という数字があった。1時間あたり1750円。大学職員が臨時手当として得る。公立高校等が会場のケースもある。
細かなところは分からないので、どこかに受注業務で関係者が利益をあげるしくみはあるかも知れない。
額の大きい業務費は以下。
外部委託費 1,413,443,968
賃借料 1,698,543,164
旅費交通費 702,805,098
材料消耗品費 250,575,042
諸謝金 716,493,097
支払手数料 111,467,951
監督者等経費 2,526,078,420
印刷費 2,145,043,897
年にたった一度の業務しかないのに、109名の常勤職員が必要なのかとか、そういうツッコミどころはある。試験に関する研究をしていることになっているが、その他の職員は何をしているのかとか。
Posted at 2016/06/05 10:36:13 | |
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教育・子育て | 日記
2016年05月09日
データえっせい
2015年5月2日土曜日
大学生のバイト目的の変化
http://tmaita77.blogspot.jp/2015/05/blog-post.html?spref=tw
からの引用。
日本はここまで来たかという感じのデータ。
教育費高騰、親の収入の減少で仕送りも減り、バイトしないとやっていけない状況。
豊かな家庭ではなかなか分からないだろうけれど。
世界の標準は、大学の学費は無償や返済の必要がない奨学金によってまかなわれる。際限なく値上げを続け、奨学金といってもほとんどが貸し付け型の事実上の学生ローン。こんな教育行政が貧しい国はOECD諸国にない。
大学教育を受けられるのは、限られた豊かな層だけになろうとしている。
教育を国民を操縦し、都合よく国家のためのコマとして利用する手段とする現政権、国民を国家の下に置き、基本的人権を否定しようとしている日本を支配しようとしている右派勢力。
政権は大学を国家の道具としてコントロールしようとし、大学の自治もアカデミズムも強い制限を受けようとしている。
行き先は無教養な烏合の衆を権力でコントロールし利用する国家主義国家のように思えてならない。
Posted at 2016/05/09 07:17:26 | |
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教育・子育て | 日記
2016年05月09日
最近は水素水と称するものが一つの市場となってきたらしい。
政府が推進する水素社会の派生なのか?
ほとんど水に溶けない、保持することも難しい水素水なんて嘘八百と言っていいけど、最近では大手企業まで絡んできた。売れるなら何でも乗ってしまえと言う上からの命令で、嫌でも製品を作らされる人たちがいる。
日本を代表する某家電メーカーも昔からマイナスイオンだのナノだの平気でやって来たし。
それに簡単に踊らされてしまう人の方を何とかしないとどうにもならないというのはまさに正論。
けれど、実際に中レベルの学校で理科教育の現場に立ってみれば分かる。理科は全く科学ではない。
授業に興味を待たせること(理科教育の中身ではなく)が授業の目的になっていて、論理ではなく単純な知識の暗記と手続きを教え込んで、形の上で何とか合格点を取らすのが当たり前になっていて、それ以上踏み込むのが大変に難しいという現実がある。
これでは科学リテラシーなんて、大半の人間にとって身につける機会などあるわけがないのである。
上位の学校に行くとこれまた受験一色になっていてどうにもならない。
中高の教育段階で科学リテラシーを身につけられるのは、本当に偶然よい教師に巡り会えた生徒か、自分でたぐっていった人間だけなのかもしれない。
**
今の高校生物は最新の生物学を少しでも読み解けるよう高度な知識伝達に振ってしまい、以前の良さだった、実験の論理を重視する部分が抜け落ちてしまった感がある。
この教科書をやっていても、科学リテラシーからは遠い。現場を考えると、自然科学教育としては前進したのか後退したのか判断に苦しむ。
このレベルの知識は必要なのだけれど、それ以前の部分がまるで育ってないのに、無理に押しつけてもどうにもならない。
多くの生徒は付いていけないので、教科書のやりやすいところだけをやっておしまいになっているのが現実。4単位の生物に週4時間充てている学校は少ないだろう。
科学の芽のある生徒には、教員次第でかなりのレベルまで持って行ける可能性はあるのだけれど。以前と違って、本質に突っ込むことがそのまま教科書の内容の方向なので、生徒が『関係ないことをやっている』などと不平を言うことがない。
実際の所、どこまで活かされているやら。
Posted at 2016/05/09 06:38:46 | |
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教育・子育て | 日記
2016年05月02日
最近ふと思うこと。
100のうち1しか知らないことでも自信満々に語れるって言うのは、一種の才能かも知れない。
教員とか政治家とかプレゼンターには。
知っていればいるほど、既存知識100のうち1しか喋れないことが苦しくなる。分かりやすく説明しようとするほど「嘘、誤魔化し」が入ることを、どうフォローしたらいいかと考えたりする。教科書の内容が先端科学から大きくずれていれば、大いに悩む。
最初から知らなければいくらでも自信満々に語れてしまう。知らないというのは、逆に強い。
教員の場合、残り99を「教えるのに関係ない」と知ろうとしないのが経験上結構多い。その代わりに分かりやすい教え方を求める傾向が強い。
自分は教員には向いていないと思う一端でもある。
Posted at 2016/05/02 15:56:42 | |
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