ちょっと興味深く読んだTwitterの投稿。
読みやすくまとめてみる。
仕事を奪うのは、本当に人工知能(AI)なのか?
AIが仕事を奪い、失業者で溢れかえる時代が来る、創造性のない人間は低賃金に甘んじなければならない・・・と言われている。しかしこれは、AIをスケープゴートにしてるだけではないか。雇用を奪い、多くの人々から収入を奪っているものの正体は、違うのではないか。
産業革命では、機械が発達、大量生産が可能になり、手工業で生きてきた人たちから仕事を奪った。機械を憎み、打ち壊すラッダイト運動というのが起きたが、事態は改善しなかった。5、6才の子供が14時間労働を強いられ、平均寿命は非常に低かった。生きるか死ぬかのギリギリの生活を強いられた。
原因を指摘したのがマルクス。人間から雇用と収入を奪ったのは機械ではなく、「資本」だと喝破した。資本家は、大型の機械を購入する資金がある。機械で大量生産。商品を安く売って手工業を破壊、あふれた失業者を雇い安い労働力を確保。コスト圧縮で増えた利益は資本家が独り占め。
犯人は機械ではなく資本だと気づいた労働者は、一斉に働かないことにより資本家の利益を破壊する「スト」という手法を開発、資本家を困らせることに成功。資本家はロビー活動により、ストを違法とし、重罪にすることで取り締まろうとしたが、労働者の反乱は治まらなかった。
ロシアに革命が起き、ソ連が生まれると、資本家は恐怖。共産主義国になれば、全財産を没収されるから。ソ連成立で勢いがついた共産主義は次々に革命を各国で起こし、共産主義化した。第二次大戦後の「ドミノ理論」では、放置しておけば、世界中が共産主義化するだろう、と予測もされていたほど。
資本主義国の雄、アメリカでさえ共産主義運動は盛んで、取締りに苦慮していた。共産主義化を食い止めなければ、資本家は生きていけなくなる。資本主義の体裁を守りつつ、労働者の不満を和らげることができ、共産主義化を食い止められる、新たな社会デザインが求められていた。
そのモデルになったのが、ロバート・オウエン、ヘンリー・フォード、ケインズの三人。この三人は、資本主義でありながら、労働者を満足させる独特な提案をした人物たちだった。共産主義化を食い止め、資本主義を維持するのに格好のモデルとなった。
オウエンは、弱肉強食が当然、労働者を搾取するのが当然の産業革命において、給与を十分に高くし、労働時間を短くし、生協の起源となる、品質が高く安い食材などを販売するなど、労働環境を大幅改善。それでいながら世界一高品質の糸を紡ぐことで経営的にも大成功を収めた人物。
ヘンリー・フォードは、従業員に高い給料を支払い、八時間労働、週休2日制と、現代につながる労働環境を整備。それにより、世界一高品質の自動車を生産、自社の従業員が自動車を購入して乗り回すという、当時の自動車の高級さから考えると有り得ないことを実現した。
オウエンもフォードも、当時としてはかなりの「変わり者」であり、労働者から搾取し、自分たちの利益を最大化することに熱心な資本家たちから、必ずしも受けいれられていたわけではない。事実、アメリカでさえ、「怒りの葡萄」に描かれるように、庶民はまだまだ低賃金にあえいでいた。
オウエンやフォードなどの、「変わり者」だが、確かに実現した実例に、理論的補強をしたのがケインズ。「穴を掘って埋める」だけの、何の役にも立たないことであっても、労働者にしっかり報酬を支払えば、消費をすることでお金が社会を巡り、経済がよくなるということを理論的に示した。
オウエン、フォード、ケインズの三人の提示したモデルなら、資本主義でありながら、労働者は十分な報酬を得て満足できる社会が作れる。共産主義でなくとも、労働者が幸せに生きていける社会が実現できる、と考えられた。共産主義になるくらいなら、と、資本家もこの社会モデルに賛成した。
第二次大戦後の資本主義社会は、オウエン、フォード、ケインズの流れを汲む、「労働者に十分な収入と、無理のない労働環境」を実現することを選択した。この方針は大成功をおさめた。数十年経って、ソ連が崩壊すると、この「修正資本主義」は、共産主義より優れた結果を出すことが示された。
ところがソ連崩壊後、妙なことが起きる。イギリス、アメリカ、そして日本で、所得税、相続税、法人税の見直しが起きた。これらはいずれも、資本家(お金持ち)に有利な制度変更だ。高所得者への税率が引き下げられ、相続税が引き下げられ、株主への配当を手厚くする前準備としての法人税引き下げ。
これらの税制改革は、「お金持ちが資金を他国に移したら資金不足に陥って大変」と不安を煽られて実現した。お金持ち優遇をしないと国として成り立たない、というのが理由。
ただ、もう一つの側面があるように思われる。「共産主義への恐怖」が失われたためではないか、と。
ソ連を初めとする共産主義国の連鎖崩壊は、あまりにみっともない形だったので、共産主義への失望が世界に広がった。また、修正資本主義により、労働者は資本家と戦う理由もなく、労働運動は低迷するようになっていた。資本家は、共産主義を恐がらなくなった。全財産を没収される心配がなくなった。
共産主義への恐怖がなくなり、自分の資産を奪われる心配から解放されてみると、「なんで労働者にこんなに高い給料払わなきゃいけないんだよ」という不満が湧いてきても不思議ではない。「大株主でこの会社の支配者なのに、なんでこんなに税金を払わなきゃいけないんだよ」。
そうした資本家の不満が、所得税、相続税、法人税の見直しにつながったと考えると、いろいろつじつまが合う。共産主義が怖くなくなったら、資本家は、労働者に利益の分け前を渡すのが惜しくなってきた、と考えると分かりやすい。
「共産主義への恐怖」がない以上、資本家が「全財産を没収されることはない」とタカをくくっている以上、オウエン、フォード、ケインズらが形成した「修正資本主義」に戻ろうとする力も弱い。資本家には、「修正資本主義」に戻らねばならない明確な理由はないからだ。
課題は、「修正資本主義」も老朽化し、綻びが見えていたこと。道路を公共工事で作っても、景気が以前のようにはよくならなくなっていた。報酬が消費に結びつかないし、ほしいものはほとんど手に入れた豊かな社会では、ケインズのいう乗数効果も表れにくかった。
だから、現代の日本が抱える課題は2つ。現代日本で大きな政治力をもつお金持ち(資本家)が、共産主義が復活するのでもない限り、「修正資本主義」に戻そうとは考えにくいこと、よしんば「修正資本主義」に戻しても、昔のままではうまく機能しないこと、だ。
裕福な人たちに、「利益を独り占めしようとするな、多くの人に分配せよ」と説得できるか。「修正資本主義」でありながら、地球環境に配慮し、浪費型生活を改めつつ、それなりに楽しく暮らせる社会は実現できるのか。この二つを解決することが求められているように思う。
このように考えていくと、「AIが人間から仕事を奪い、路頭に迷わせる」という主張は、AIをスケープゴートにし、資本家に攻撃の矢が向かないようにする、カモフラージュ論だと考えた方が正確かもしれない。事実、戦前より機械が発達したはずの戦後は、雇用が守られたのだから。
なぜ戦前は、労働者が苦境に立たされ、戦後は労働者に有利な環境が確保できたのか。資本主義国が、資本家に利益を独占させない社会に変わったからだ。利益を労働者になるべく手厚く分配する社会システムを選択したからだ。
ならば、AI時代にも、同じ選択をすればよいはずだ。
雇用を奪うのは、機械でもAIでもない。金持ちに手厚く配分し、庶民に利益を分配しようとしない社会システムに原因がある。
「共産主義への恐怖」がない時代に、新しいスタイルの「修正資本主義」を構築できるのか。我々の世代の責務だといえる。
ShinShinohara
農業研究者。 有機質肥料活用型養液栽培を開発。 日本の食料問題について調査を続ける。政策提言を積極的に行う。
著書
「子どもの地頭とやる気が育つおもしろい方法」
https://t.co/5p2FgQrz6L
「自分の頭で考えて動く部下の育て方」
https://t.co/6ek4cpCeWR
ソ連崩壊後、妙なことが起きる。イギリス、アメリカ、そして日本で、所得税、相続税、法人税の見直しが起きた。
「共産主義への恐怖」が失われたためではないか
この視点がよい。
資本主義は資本家が利益の最大化をするしくみであり労働者は搾取される。共産主義で労働者が利益を分配するしくみとは対立する。
しかしながら、労働者の待遇を改善することで資本主義でも労働者の満足度を上げることができ、共産主義化しなくてもよいのでは無いか。
我々は共産主義国の内部の堕落、崩壊を見ていて、共産主義は人間の本性とは相容れないのではないかという感想を持っている。修正資本主義が適切なのではないかと考えがちだ。
だが、共産主義が倒れたことで起きたのは、再度の資本家の利益最大化であると。
これは当然のことで、安売りを仕掛けてライバルを駆逐したあと、独占した市場で値上げして儲ける大企業のやり方と同じだ。
冷戦終結後の世界は、資本家が世界の富を独占する世界になったと言うことだ。
それでもアメリカなどの富裕層は多額の寄付を行うし、奉仕活動にも熱心だ。我々により多くの課税をせよと呼びかけたりもする。
それに引き換え日本の富裕層は欲の皮を突っ張らし、極限まで利益を搾り取りため込むことをやめない。
宗教的な背景、民主主義の浸透度の違いなど挙げられることはいくつもあるのだろうが、いずれにしても日本の状況は明らかに旧時代的な搾取である。しかも国を挙げてのだ。
戦後,反共の防波堤としての役割を与えられた日本は、共産主義を毛嫌いすることをすり込まれてしまったのではあるが、異常なまでの共産主義アレルギーは実のところは戦前から続いた富裕な支配層こそが労働者の権利拡大を阻みたい張本人であったからではないかと思われる。
共産主義を叩き、労働組合を叩き、そこそこの満足で手懐け、解体し、力を失わせる。
その結果、今日の日本では共産主義を悪と考え、労働者自身が労働者の権利に関心を持たず、自ら資本家と同一視して資本家の利益の最大化を率先して図ろうとする社会が現出してしまったのではないかと。
政府のとってきた国民・労働者に不利な様々な政策も、ろくに吟味も反対もすることなく、「必要なことだ」「仕方が無いことだ」と勝手に自らの立場ではなく企業や国の立場を慮って賛成して来たではないか。
権利を主張することを叩き、弱者を叩き、自己責任だと納得し。
日本人に対してはたびたび肉屋を支持する豚という形容がなされてきたが、さらに率先して我が身を投げ出す豚であってきたわけだ。
闇雲に資本主義は絶対的な善だと信じ、搾取に応じている。
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冷戦後の世界、特に日本に於いて、富裕層・資本家に対する淘汰圧をどう発生させるかが非常に大きな課題であると言える。
何しろ、共産主義のようなライバル、資本家の立場を危うくするものは存在しなくなった。
市民は教育のレベルから既にかなりコントロール下にあり、マスコミはとうの昔に政府広報と化している。ネットも支配されつつある。
政治を支配する富裕な資本家を脅かす何かが存在しなければバランスは取れない。
さて。
Posted at 2019/07/15 07:37:37 | |
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