たまたま小野田少尉の記事が目に触れた。
小野田少尉と言えば、戦争終結を知らずフィリピン ルバング島で「戦争」を続け、1974年に帰国したことでよく知られる。
といっても最近はピンとこない人の方が多いのかも。当時まだ幼すぎた私にとっても歴史上のことになっている。
いまも御健在。日本になじめずブラジルに農場を開いたが、そこでの生活に関する奥様の講演を地元のホールでやったときにスタッフとしてお手伝いをしたことがあった。残念ながらご当人とはお会いしたことはない。
wikipediaによると、なんでも、命をかけなければならない場面で必死になったとき、突然夕闇でも明るく見え、遠くの葉の葉脈もくっきり見えるようになったという。事実なら立派な超能力だが、誰しももちうるのだろうか。
その小野田少尉、ルバング島での生活中ラジオを入手し、各国の日本語放送を聞いていたというのだ。大阪万博も知っていたというので驚いた。それでも敵を騙す偽の情報と終戦を信じなかったらしい。
以下、週刊ポストのアーカイブから14年前の記事。
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小野田元少尉はジャングルの中で大阪万博開催を知っていた
終戦後もフィリピンのルバング島で“戦争”を続け、1974年に帰国した小野田寛郎元少尉。ジャングルの中で終戦すら知らずにいた「浦島太郎」のような存在と思われがちだが、実は終戦後の日本の様子を驚くほど詳細に知っていたという。ジャーナリスト・山根一眞氏との対談で当時の様子を語っている。(週刊ポスト1997年3月28日号より)
小野田 私はね、日本で戦後、何が起こっているかはだいたい知っていた。ラジオを聴いてましたから。
山根 ラジオを聴いていた?
小野田 住民のオールウェーブのトランジスタラジオ奪って。
山根 どんな放送を?
小野田 北京放送の日本語放送とかですよ。
山根 1960年代から70年代にかけて、北京放送はしきりに「アメリカ帝国主義は……」とやってました。
小野田 そういうのを聴けば、やっぱりアメリカは、と思いますよ。でも、文化大革命が始まってからは、放送内容が全然面白くなくなったですね。
山根 ほかには?
小野田 BBCとABC。
山根 イギリスのBBCの日本語放送は確かシンガポールで中継していたから、電波が強かった。ABCはカワセミの鳴き声で始まるラジオオーストラリア。あの日本語放送も人気があった。
小野田 モスクワ放送もラジオピョンヤンも。
山根 日本の放送は?
小野田 ラジオジャパンを聴いてましたよ。
山根 聴いていた!
小野田 新幹線営業開始も大阪の万国博覧会も知ってました。
ただし、終戦については「偽の情報で敵をだますのは諜報戦術としてはふつうのことです。偽の新聞をつくることだってする」(小野田氏)と、最後まで完全に信じることはなかったようだ。
Posted at 2011/04/04 22:37:20 | |
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