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Yuh_Fazioliのブログ一覧

2012年09月16日 イイね!

ナンキンハゼ、切られる[追記あり]



 先日お伝えしたナンキンハゼのひこばえだが、なんと除草作業で全て刈り取られてしまった。街路樹を除草作業で刈り取るとはバカじゃなかろうか。

 すでに千葉県企業庁から千葉市へ移管されているはずなので、除草作業は千葉市が行ったと思われる。千葉市に抗議しておく必要がある。

 まあ、またひこばえは生えてくる可能性はあるのだが。

追記
 管理事務所は「根が原因で枯倒した場合、ひこばえが生えても健全に成長しないので刈り取っている」と回答した。
 しかしながら、このあたりの数本の街路樹は皆若く、極めて強力なビル風が吹く場所にあり、台風のために特に風が強くて傾いたのであり、周囲の木も少なからず傾いている。管理事務所の論理では全て根に原因がある可能性があり伐採しなければならなくなる。

 「ひこばえの成長を待って、問題があれば伐採することを希望する」と伝えたが、返答はない。


 市の公園管理事務所のようなところは基本的に責任逃れを第一とする。木が傾いた原因はどうあれ、木が倒れる原因に根腐れによるものがあり、そうであればまた育ってもすぐ倒れる可能性があるので、そうしたリスクを避けるためにひこばえは伐採すべしと考える。

 要するに、倒れたときに責任をとらされることを避けるために、健全なものもとりあえず切るのである。

 責任逃れの論理によれば、この地域で台風による強風で木が倒れるなら、植え替えは検討しないのかも知れない。もともと予算がないのでやるつもりもなさそうだが。

 彼らは、切り株を残したままで、将来ひこばえが生えればまた伐採し続けるつもりなようだ。

Posted at 2012/09/16 20:37:36 | コメント(0) | トラックバック(0) | ひとりごと | 日記
2012年09月16日 イイね!

実証と交渉

 私は自然科学の人間である。

 自然科学とは、この自然界(宇宙全体)の真理を、証拠を元に論理的に解明する学問である。

 共有可能な論理的な証拠、根拠を元に仮説を示し、仮説への反証を乗り越えて、その確度を高めていくというのが自然科学における実証である。反証に対して感情的になることなく、反証自体の問題を探していく。もし自身の仮説に問題があれば取り下げる。クールで論理的な世界だ。嘘やハッタリが入り込む余地がない。それを入れるものは研究者としての立場を失う。


 一方、人間同士のことはそうクールには行かない。感情がまず第一に出やすい。ルールの取り決めもないのでただ相手への中傷に終始しやすい(科学的議論に感情を持ちこむ人間は、そもそも科学を理解していない。中傷などもってのほか)。
 そこで法律的手続きがあるが、法律も解釈の余地があったり、判断する人間によって左右される。学説なるものによっていくつかの解釈が論争中であったりする。決してスマートではない。

 民事訴訟という手続きによって論証を尽くして司法の判断を待つが、論証と言っても自然科学のような客観的な証拠ではなく、証言だの客観性の低い証拠だのを根拠にして裁判官に「より正しいそうなこと」を判断してもらうに過ぎない。嘘や偽の証拠をならべてもそれが通りうる。司法の判断は真実とは限らない。三審制は判断の誤りを正すためのしくみではあるが、そもそも根拠が曖昧な事柄を争う以上、真実が明らかになると言うよりもどちらが真実っぽく聞こえたかを判断してもらうに過ぎない。最高裁まで争っても真実が明らかになるとは限らない。


 司法の場で判断を仰ぐ以前は、交渉によるしかない。
 交通事故では多くが保険会社の示談サービスに委ねる。彼らの論理は決して真実を明らかにすることではなく、支出を抑えることであるので、奇妙なやり取りが多い。
 交渉においては相手の妥協を求める。そのために、事実を認める代わりに相手に事実を手放すよう求めたりする。

 たとえば、事故に遭った車両より低年式車や低グレード車ばかりで時価額を算出してこれしか認めないと主張する。その後、事故車両と同等な車両の時価額を認める代わりに過失割合を妥協しろとかと要求する。もちろん、過失割合の方も真実を検証した結果ではなく双方の言い値に過ぎないのが普通なので、真実の検証を元に過失割合を主張すれば、その時点で不利になる。

 結局のところ、相手がいくらまで賠償をする気があるかの腹の探り合いであって、探り合いをしながら相手に妥協を迫ることを彼らは交渉と称している。

 常識的には、客観的な証拠を並べれば相手も認めざるを得ないはずだが、どんな証拠を突きつけられても認めないこともするだろう。交渉においては相手が認めなければ何も進まない。早期解決を目指せば事実と異なる妥協をすることになる。このため交渉においては結局嘘やハッタリが有効になる。大きく出た方が有利に事を運べる。実にばかげている。

 保険会社同士の示談交渉ならお互いに相手のやり方を分かっているので、適当なところで妥結する。争いの余地がないケース以外はお互いの主張の間をとる結果になりやすい。

 ところが、人身の場合は被害者と保険会社の交渉になるので、何も知らない被害者が一方的に妥協させられる。そもそも保険会社の提示しか判断材料がないので妥協させられているという事実にすら気付かないことが大半だ。要求すれば多少増額されるのでそれで満足してしまうことも多い。
 遺失利益を増額させる代わりに過失割合を妥協させたりとかもよく行われる。

 納得がいかない人だけが本来の賠償額にたどり着き、代理人によってそれを要求する段階に進む。

 しかし、その先も交渉であり、訴訟となっても真実が明らかになるわけではない。ただ、一般的には個人が交渉するよりかなり有利な結果となる。それだけ個人はなめられている。
 それ故少しの交渉や訴訟で得られる賠償額が大きくなる交通事故は、一時期のサラ金の過払い問題同様、弁護士にとって楽に稼げる狩り場なのだ。

 **

 人間同士の争いごとは、決してスマートには決着しない。職業的な交渉人が交渉を楽しんだり生き甲斐を感じたりする向きもあるようだが、私のような自然科学の人間にはそうした立証と事実からほど遠い「駆け引きゲーム」はばかげているように写る。

 ただ、嘘やハッタリベースでのたたき合いを前提としている人間同士の争いに、事実ベースで論証する自然科学的な考え方を持ちこむとその時点でかなり不利になる。正直に証言し、客観的な判断をしてから交渉に臨めば不正直な主張を行う相手との妥協をせざるを得なくなる。 
 客観的な視点で証拠を並べて主張するという考え方は、司法の場の立証で役に立つのみであることを知っておく必要がある。法廷闘争は結局アピール中心の駆け引きでしかない。客観的な立証だけでは勝つことはおぼつかない。
 
 正直者は馬鹿を見るのが人の世なのである。 

 
Posted at 2012/09/16 09:28:43 | コメント(1) | トラックバック(0) | ひとりごと | 日記
2012年09月16日 イイね!

近所の方が亡くなった

 少し前に近所の方が亡くなった。

 高校生の娘さんのあるまだまだ若い方だが、ガンでしばらく前から自宅で療養されていた。長くはないとも聞いていた。昨年お見かけしたときにはかなりやせられていた。

 娘さんが参加されているジュニアコーラスのお手伝いで何度かお仕事を一緒にさせて頂いたり、その前には同じ合唱団で歌っていたこともある。それほど親しいわけではないが、よく知っていて、何度もお話しさせて頂いた方だ。

 決して否定的なものの見方をしない、とても優しい方だった。

 当初亡くなったと言われても通夜に参列しても実感がなかったが、比較的身近な方が亡くなっただけに考えるほど少し辛い思いがある。

 **

 まだ高校生の娘を残して逝かねばならない気持ちを考えると、さぞや心残りであったことだろうと思う。

 自分は独り身故今のところそうした心残りはないが、自分の能力を全く活かせない職業(正しくは職場)選択をしたおかげでここにはかなり心残りがある。

 非正規採用の教員をやっていたおかげで(妨害工作もあり)キャリアと呼べるものを積み上げる機会はなかった。
 一方、職場外ではかなりそうした能力を発揮して認められては来たが、職業的に実証のない能力を売り物に転職することは難しい。むしろボランティア的な実績は営利企業にとっては相容れない。

 様々な職種の方と仕事をする機会があったし、対企業、対役所の交渉事、事業の運営、時に一線級の音楽家、時に大人数の子供たちと実に様々なことをこなして実績も作ってきた。また、社会の様々な問題と立ち向かってきた。全力で取り組み達成する生活は実に心地よかった。
 子供の頃からひたすら経験値をあげることを重視して来たおかげで、その値は決して低くはないだろう。

 ただ、理想主義的な発想が強いために、私的な利益を追求することをよしとせず、そうした者と組みすることもまたよしとしなかった。
 それ故公益的なボランティアをいくつもやってきたが、そうした活動には必ず中傷や攻撃がついて回る。他の理由もあり最近はそうした活動を控え気味だ。

 そんなこともあって最近は、積み上げてきた能力と知識、経験は生かす場がない状態だ。リアリティから遊離している私学進学校講師という職業的には全く役立たない。ばかげているが、高い科学的知識や能力、社会的経験はむしろ邪魔でしかない。


 最近は保険会社や弁護士を相手に大立ち回りをやっているが、内心実は結構楽しかったりする。物理シミュレーションを行い、証拠を集め、訴訟基準での人損・物損損害額を算出する。それらを元に様々な仕掛けを講じて論理的に追い詰めていく作業は実に面白い。特に弁護士相手になってからは、先手を打って遠慮なしにやっている。

 これまで、個人的利益のために私を敵に回した京大数学科卒の人間とか、某新聞社営業系お偉いさんとか、手強そうな相手に完勝している。相手に明らかな非と嘘があり、自分に非がないので絶対に負けない(注)。全てのカギは、嘘の証拠をいくら積み上げられるかだ。巧みに工作をしても必ず嘘にはほころびがある。嘘には嘘を重ねるので矛盾が拡大する。一つ一つ紐解いていって一気に攻撃に転じる。その方法も相手に応じて様々だ。
 もっとも、完勝したからと言って彼らは決して反省はしないので、自己保身のために周囲に嘘をばらまいて逃げていくだけなのだが(それを真に受けるものも多く、将来トラブルを生む種になる)。しかし、事故に関しては判決と賠償金という形で相手に公的な負けを認めさせられるのが大きく異なる。

 
 ただ、事故の件もいずれ決着がつく。そうすると、また自分が全力で取り組めるテーマがなくなる。そうなると、リアリティのない世界での相容れない日々だけになりかねない。これはリアルで経験値を上げてきた自分には正直かなりしんどい。


 今死んだら、かなり心残りを抱える。

 自分がどう生きていくかは、まだまだ開拓の余地がある。

 近所の方が若くして亡くなり、そのことが残りの人生をどう生きるかを自分に問い直すきっかけになった。

 


 全く論理が通じず自己正当化しかしない人間だけは始末に負えない。何が何でも相手が悪く自分が正しいとしか考えないので、あらゆる証拠、根拠は意味を持たない。こういう人間相手には社会的にプレッシャーをかけるしかないが、そうなったところで本人は社会が悪いと思うだけだ。

 また、何らかの権限を持っている人間は、自己保身のためにその権限を行使することを躊躇しない。もっともタチが悪い。上司によるパワハラなどはありふれている。そんな人間に権限を与えている職場の構造自体に問題があるので、本質的な改善はないだろう。さっさと辞した方がいい。

 

Posted at 2012/09/16 00:39:53 | コメント(0) | トラックバック(0) | ひとりごと | 日記

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