自分はどういうわけか、始めて見た印象とその後が一致することが多い。
初めて会う人も、その時に感じた「こういう人だろう」という洞察は、その後も訂正する必要がないことが多い。それ故に、この人は「まずい人」と思えば、初期から極力関係を持つことを避けてしまったりもする。洞察そのものが正しいことが多い上に相手を避ければ余計に関係がまずくなるのだが、結果はそう変わらないと思っている。
ただ、人に対する印象は、多くの経験や、心理学的な洞察の上に立っているので、理解ができる。
しかし、不思議なことに、場所に対する最初の印象も、多くの場合正しい。
転校先の中学は、病身で母親に伴われて学校へ挨拶に行ったときにものすごくマイナスを感じたが、その後本当にひどい目に遭った。
受験で訪れた高校は、そこで生活する自分を感じ、妙に印象がよかった。決して第一志望ではなかったが不思議なことにその高校に進学することになり、他では困難な貴重な経験をする機会となった。もちろん全てがよかったわけではないが、トータルはプラスが上回る。
大学もまた一歩足を踏み入れるなり好印象で、「自分はここにくる」ことを強く感じた。担任からは「お前は受からない」ようなことを言われ、実際自分の能力と感性を育てることばかりでろくに受験勉強をしなかった割には現役でうまいこと滑り込んだ。いいことばかりではないものの、自分の能力を生かす機会を得た。大学4年次は、人生の中でもかなり充実した時間を送った。私学のWだのKだのを無目的に目指して入学しても、おそらく相当苦しんだだろう。
その後、一つ目の仕事先である私学高校は余り印象がなかった。若干マイナス程度。実際過ごしたのは1年だけだった。
二つ目の仕事先については、場所を聞くだけでとてつもなく「マイナス」を感じた。地域的に幼い頃から「鬼門」とすら感じていた地域で、ものすごく不安があった。ただ、一つ目の理科室が物置状態だった仕事先に比べればかなりマシな設備(しかし、公立と比較してかなり劣る)で、給料も悪くないので頑張ってみた。しかし、1年目からかなりひどい目に遭い、その後も信じがたいシチュエーションで嫌なことばかりを経験した。
今住んでいる街についても、自分が住まいを求めたときに、広告に他には感じない明るい光と風を感じた。その後、実際に住まい、自分の能力のかなりを生かして人生でもっとも充実した時間を送る機会を得た。
不思議なぐらい、場所に対する印象もその後と一致している。
思えばピアッツァという車についても、その存在を明確に意識したときから全く他と異なる印象で、予感はあった。たまたま高校時代の同級生が乗っていて譲り受けたと言うのも偶然なのか必然だったのか。欲しいから買ったのか、運命のように吸い付けられたのかよく分からないぐらいだ。
以前、宝くじにあたった人は売り場にスポットライトが当たっているのを感じたと言っているという話を書いたが、何となく分かる気もする。
時期でも何か感じることがある。2006年からの低迷期に入る直前にも明確な予感があった。だがそれが不可避であることも分かっていた。
単なる偶然なのか、経験に基づく洞察やカンなのか。
ともかくも先立つ「なにか」をかんじることがある。
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今年の春、突然「風」「明るい兆し」が感じられた。
当時は、仕事の問題のみならず、保険会社の悪質な対応の中事故の処理のゆくえがどうなるか見当もつかない頃だった。しかし、悪質である証拠を握ったり、訴訟も含めて検討を始めた頃でもあり、事故の件で多少道が見え始めた頃でもあった。このせいなのか判然とはしないが、何かのきっかけで突然目の前が開け、おだやかな風が吹いてくるように感じたのだ。
これが本当に活路を開くものなのかどうかは分からないけれど、実際その後風を受けて、ゆっくりにではあるものの確かによい方向に進み始めている。それまでよどんで見えていた世界がリアルに感じられている。
説明をつけるのは難しいのではあるが、この予感のようなものは過去において大概正しい。おそらくは、これから進める歩みには、充実を伴っているのだろう。
そう信じてみることにした。
Posted at 2012/09/22 13:17:57 | |
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