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Yuh_Fazioliのブログ一覧

2012年10月26日 イイね!

教員に進んでなりたがる若者がいるか?特に大阪府の場合

内田樹が、維新の会の政策によって大阪府の教員採用試験の志願者が減った件について書いていたので興味深く読んだ(文末に引用)。

 それに関連して。

 大阪府の公立学校教員採用試験で、平均倍率が史上2番目の低さだったとか。特に中学理科は2倍を切って追加募集を行うそうだ。

 教師が尊敬された時代はどこへやら。今の時代、体罰はもちろん、ヘタな言葉をかけようものなら「精神的体罰」「セクハラ」などと言われ、生徒にバカにされ、親からはクレームを付けられ、上司はろくに守ってくれない。特に公立では様々な報告書類の提出を義務づけられ忙殺され、部活動などで土日もろくに休めない。そこへ来て大阪府では制度的に親のクレームを受け付け「親のクレームの側に立つ」と公言しているそうで、更に更に厳しい監視とクレームを受け続ける環境に置かれることになる。そのうえ給与も減額される。

 そんな仕事を誰がやりたいと思うだろうか。
 不況下の公務員人気があっても。

 私が知る限り、教員はまじめで責任感が強い人が比較的多い(もちろん皆がそうではない)。特に公立の教員にはそれを感じることが多い。ちょっと問題が起こったりするとすぐ校長が責任を感じて自殺したりする(多くの場合マスコミによるメディアスクラムで押し潰されるのだが)。こども相手ばかりで世間を知らないが故に打たれ弱い面もあるが、校長といえども上から支配されるがんじがらめの組織であるが故に責任問題には特に弱い。それ故に問題を隠蔽したりすることもおこりやすい。私学は特に体面の問題があるし、内情はどこもブラックボックスだ。
 一昔前にはかなり破天荒だったり、暴力をふるいまくったり、サボりまくるような教員もいたようだが、いまはなかなかそう言う教員にはお目にかかれない。
 多くの教員は、生徒のためにと言われもしない仕事まで自分で作ってやる。土日も授業案・プリントづくり、テストづくり、採点等で終わっていく。いくら残業をしたところで一文にもならないのに。
(私学は少し雰囲気が異なるし、学校によって千差万別)
 
 どこの私学や自治体でも少なからずほとんど違法(あるいは本当に違法)な臨時採用教員雇用で現場を回しているが、大阪府ではその臨時枠を潰してしまった。臨時採用で食いつないでいるたくさんの教員の職を奪っただけでなく、元々人手が足りていない現場が回らなくなってしまっている。
 さらに雇用環境を悪化させ正規採用でも志願者が減る事態。


 ただでさえ教育は予算の草刈り場になりやすい。
 そこに人気取りのためだけの「維新の会」の政策によって、教育の現場が人材的に危機に瀕している。

 **

 もともと教育をサービス業という視点で見ることはできない。市場原理に任せれば金銭と効率、結果の評価、成果主義が優先されるが、そもそも教育の成果とは何か? 進学実績であるなら入試科目以外は切り捨てるしかない(私学は遙か以前からそうしているが、それによってどのような人材を育てているか?)。
 生徒の評価、親の評価もどのような視点でなされるかによってそのフィードバックは生徒自身にとって良くも悪くもなる。生徒に「こころよい」環境が本当にその人間を鍛え能力を育てることになるかどうか考えてみればいい。

 私学ブームが示すように、親の評価は進学実績に沿ったものになりやすく(それが将来のよい就職に寄与すると信じているが、どのような能力が育ち、どのような態度の人格が育成されるかについては根拠なく都合のよい期待しかしていないし、私学が偏った教育をしていることについて無視したがる)、生徒には客観的な評価は極めて難しい。結果として生徒や親におもねった教員ばかりとなり、教育も点数主義に陥りがちだ。真理を見抜き、自ら開拓できる人間を育てることとはほど遠い。

 人を育てることは市場原理を優先してなし得ることではない。優れた人材を育てようと思ったら、兎に角手間もかかるし時間もかかる。それは企業内教育でも同じであるはずだ。そしてなにより優れた考え方を持つ教育者の存在がないと成り立たない。私学でよく見られるように、大学受験で学ぶことをやめてしまったブランド大学出の温室育ちな受験勝者ばかりを集め、その教員が自らの評価を重視しながら小賢しく小手先のテクニックを教えて教壇に立つ状況でまともな教育ができるものだろうか。

 学校教育だけで対応できない入試のあり方自体が問題視されるべきだが、入るのに入試にしか通用しないテクニックを要求され、いったん入ってしまえば適当にやっても卒業できる大学が教育の縮小再生産を招いた。受験勝者が大学以降で何も学ばないままでも、唯一知る入試にしか通用しない知識やテクニックを切り売りして生きているのが一部の私学の現状であったりもするのだ。


 
 


人々が「立ち去る」職場について



内田樹 

2012年10月24日 12:55(BLOGOS)


大阪府教委は23日、来春採用の府内の公立学校教員採用試験で、平均倍率が4倍で史上2番目の低さだったと発表した。

中学理科では倍率が2倍を切り、府教委は「水準に達する人材が確保できなかった」と異例の追加募集を行う。

大阪維新の会の主導で厳しい教員評価などが盛り込まれた条例の施行後、初の採用試験。大阪府では橋下前知事時代から給与カットが続き、小中学校教員の平均基本給が全国平均より月約2万8千円低いことも響いた可能性がある。(朝日新聞、10月24日)記事によると、中学理科の倍率は大阪が1.9倍、京都は3.85倍、兵庫は3.1倍。東京は(中高共通枠なので単純に比較はできないが)5.44倍。条例施行によって、大阪府の教員応募者が激減することは当然予測されていたはずである。

絶えざる査定と格付け圧力にさらされ、保護者からのクレームに対して行政は原則として「保護者の側に立つ」と公言している就業環境である。このような事態になることは高い確率で予想されていたはずである。雇用条件が全国平均よりはるか低いレベルにまで引き下げられ、首長や議会や教委がきびしく教育活動を監視し、保護者たちが教員にクレームをつけることそのものを制度化し、産業界が要求する「グローバル人材」の効率的な育成をうるさく求められるような職場環境に進んで就職したがる若者がいるだろうか。ふつうに考えればわかるはずである。

維新の会の橋下代表は府知事時代から、反撃するだけの力のない「敵」を選び出しては、そこに攻撃を集中させるという手法で、「既得権益を享受している層を叩き潰す」風景に溜飲を下げる選挙民たちのポピュラリティを獲得してきた。短期的には愉快なスペクタクルだったかも知れない。

だが、そのようにして叩き潰されたセクターの中には「士気が高く、使命感のある人たちが安定的に供給されなければ、システムそのものが停滞する」ものも含まれていた。教員もそのようなセクターの一つである。

そこに人が来なくなった。

維新の会が教育行政を統括している限り、この流れは止らないだろう。能力の高い教員志願者たちは、大阪よりはるかに条件のよい就職先を探して、近県に散らばるはずである。わざわざ監視や恫喝や罵倒が制度化された職場を選ばなければならない理由は誰にもないからだ。

府教委が率直にカミングアウトしているように、今年の志願者には「水準に達しなかった」ものが例年よりも多く含まれていた。来年以降この傾向が回復するということはあるまい。あるいは「異常に低い倍率で教員試験に合格できる大阪府は今が狙い目だ(それに府知事や市長がいずれ代れば、こんな条例は廃止されて教員の待遇はふたたび好転するはずだ)」というようなクールな計算をする若者たちが集まってくるのかも知れない。だが、彼らにしても維新の会の教育行政方針に賛同したわけではない。むしろ「こんな非常識な条例がいつまでも保つはずがない」という条例の短命についての見通しによって進路を選択するのである。

同じような「立ち去り型サボタージュ」は維新の会がこれまで攻撃の標的にしたすべてのセクターで起きる可能性がある。 職員基本条例によって政治活動を規制され、組合活動を抑圧された府市の職員たちが、これまで以上に高い士気と創発性を発揮するだろうという見通しに私は与しない。「公務員は勝手にさせると、仕事をさぼり、不当に利得をむさぼる」という公務員観に一面の真理があることを私は認める。

だが、それを前面に掲げて、公務員を監視と査定の対象にした場合に、組織のパフォーマンスが向上するということはありえない。人間には「好きにやっていいよ」と言われると「果てしなく手を抜く」アンダーアチーブタイプと、「やりたいことを寝食を忘れてやる」オーバーアチーブタイプに二分される。このどちらかだけを作り出すということはできない。

そして、ブリリアントな成功を収めた組織というのは、例外なく「『好きにやっていいよ』と言われたので、つい寝食を忘れて働いてしまった人たち」のもたらした利益が、「手を抜いた」人たちのもたらした損失を超えた組織である。「手を抜く人間」の摘発と処罰に熱中する組織はそれと同時にオーバーアチーブする人間を排除してしまう。必ずそうなる。「手を抜く人間」を際立たせるためには「全員を規格化する」以外に手立てがないからである。

だが、それが成功した場合でも、達成されるのはせいぜい全員が定時に来て定時に帰り、労働契約通りの仕事しかしない組織が出来上がるというだけのことである。そのような組織が高いパフォーマンスを達成し、創造的な事業を始めるということは原理的にありえない。維新の会はこれまでそのようにして「現場の自由裁量を許すことによってのみ発揮される潜在的な組織の力」を潰してきた。みごとな手腕だったと思う。

だが、壊すだけ壊しただけで、「新しいもの」はまだ何も生まれていない。

これから生まれるかどうかについても私は懐疑的である。
Posted at 2012/10/26 13:54:32 | コメント(1) | トラックバック(0) | ひとりごと | 日記

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