2014年04月23日
学校ごとに違うが、5月から6月にかけて教育実習生を受け入れる学校が多いだろう。
教育実習と言えば、以前の勤務校で奇妙なことがたびたびあった。
同じ内容の授業を他の教員と組んで担当しているとき、その組んでいる教員に実習生がつくと、なんとその実習生が作ったプリントをつかって授業をやらされるのだ。
しかも、内容を説明されることもなく、おそらく実習生はなにかしら教具をつくってそれとセットのプリントにしているのに、プリントのみで。しかもどうかすると授業当日机の上に置いてある。
見ても何をどうしたいのかわからない、本当に素人そのもののプリント。満足に指導をされておらず、丸投げ状態ではないかと思えるようなもの。不十分な理解や間違いも当然のように含む。
そんなもので授業をやらされるのだ。たまったもんじゃない。まともな授業にならないから生徒も不満を持つ。どうかすると実習生がつかないことに不満を持っていたりする上に、訳の分からない授業をされるのだから、大いに不満を持たれる。しかし、いかんともしがたい。事前に内容が分かっていればこちらでプリントを作ってもいいのだが、それも分からないし、内容が離れてしまうのもまずい。そしてなにより
「公平にするために、同じ授業は、同じプリントでやらなくてはいけない」
という大原則がある。勝手に自分のクラスだけのプリントを作ることが禁じられているのだ。実習生のプリントで授業をやらされるのもこれが理由らしい。
これは、時々自分の担当クラスだけ特別なプリントを配ってスタンドプレーに走る教員がいたり、同じ授業なのにプリントが違うことで生徒が不満を持つことがある(女子校は特に不公平感を訴えやすい)ことが根本にあるのだが、それを教育実習生のプリントに当てはめるって……。
実習生のプリントで授業をやらせるのは学校の方針ではなく、教科の方針らしい。他教科の教員や主任に話したらめちゃくちゃ驚いていた。そりゃそうだろう。常識的には現職教員が実習生のプリントで授業を強制されるなんて、まずあり得ない。普通は責任を持って教員が組んでいる教員用にプリントをつくり、実習後に実習クラスにも配布してやり直す。あるいは実習生が全クラスを担当する。
この教科の論理では、「プリントが同じなんだから平等だ」というわけだ。
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平等とは何かという議論で、
「肉食動物と草食動物両方に平等に肉をやる」
のように、異なる対象に何もかも同じにするのが本当の平等とは限らないというのが常識的な理解だろう。が、ここではもっとひどい形式的な平等を行っていたわけだ。
実習生のプリントでは内容になにかしら問題があるだけでなく、授業の組み立て方が分からず授業にならないのだから、授業を受ける生徒の方はたまらない。
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ただでさえ他人が作ったプリントはやりにくい。
授業は自分で組み立て、プリントは単にまとめるだけのものならあまり問題ない。
説明がびっちり載っていて、ストーリーに沿って穴埋めをするだけのプリントはとてもやりづらい。
教員なら自分の経験や自分の知識からやりやすい説明の仕方があるものだが、一歩たりともプリントを外れることができないようにつくられているので、自分の授業ができず本当に苦しいのだ。その上、クセの強いプリント、本質的な考え方の間違いのあるプリントはどうにもしようがない。内容の間違いだけなら訂正で済むのだが。
授業は自分でプリントを作っている方が遙かにやりやすい。やらされている側はただでさえやりにくいだけでなく、生徒も「あの先生は自分でプリントを作らず、作ってもらってばかりいる」などと不信感をぶつけてくることもある。
やりにくいプリントと変なルール。こういうものはセットになりやすいのも、何となく理解できる。特に人が変わりにくい私学は、いったんできあがった個性的なルール、個性的な環境が熟成されやすい。
職場を変わると本当にこれがよく分かる。
Posted at 2014/04/23 19:54:28 | |
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ひとりごと | 日記
2014年04月23日
職場が新しいところになり、車で20分という近さ。
で、ピアッツァで通っていたら、
「ああっ!ダッシュボードが割れてる!!!!」
ピアッツァオーナーにはおなじみの、後期型宿命のダッシュボードの割れが拡大し、新たな箇所にも発生。今日ぴしっ!かなんか音がしたのはこれか!!
普段は地下駐車場で陽の光を避けている車なのに、外にさらしているからなあ……。
SVXに乗り換えるか……。
Posted at 2014/04/23 18:43:42 | |
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PIAZZA | 日記