最近ずいぶん広まっていると感じるのが「お疲れ様」という挨拶だ。
以前の日本では、挨拶は時間や状況に合わせて使い分け、さらに立場(上下関係)に合わせて使い分けていた。「おはようございます」「今日は(寒いですねなどが省略されている)」「さようなら」等々。
これはかならずしも言語化されたものとは限らず、特に目上に対しては会釈をすると言った非言語的挨拶が主流(古い時代には、目上から目下に声をかけるまでは目下から声を発してはならないというルールがあったらしい)であったようだ。
ところが最近では挨拶は多くの場面で「お疲れ様」系のいくつかのバリエーションへと単純化されて来ている。朝最初の挨拶が「お疲れ様」であったり、メールの冒頭の決まり文句として「お疲れ様です」と来たりするのが普通になってきている。
某証券会社の投資戦略部部長は、ほとんどの書き物で時間に関係なく「お疲れ様です」を使っている。完全に定型化された挨拶である。
「おつかれさま」という言葉自体は「いたわり」の意味を持っている。本来は休憩など一仕事終わった状況とか、仕事が終わっての別れの挨拶で使われてきた言葉だ。ところが最近では一切の状況と関係なく使われるようになってきている。ただ、これは会社組織で広まり、アルバイトなどから一部低年齢層にも広がりを見せている過程にあって、必ずしも一般化されているとは言いがたい。
そのため、ネット上の質問サイトなどにも
「お疲れ」「お疲れ様です」という挨拶
学生です。よく知り合いの社会人の方や友達、後輩に対して、会った時や帰る時に「お疲れ」とか「お疲れ様です」と言うのですが、一部の人にはおかしいと言われて困っています。
もちろん、何かやったあとに帰り際に「お疲れ様でした」というのはよくありますよね?でも、「お疲れ様です」とあいさつすると、今はそうでもないのですが「いや別に疲れてないよ」と返され、じゃあなんて言えばいいんだ?と混乱しました。後輩にも、一部ですが「いやあ、別に疲れてないですけど」と癪に障る言い方をされ、「こっちは挨拶してんだよ!」と思いました。今でも友達がある人に「お疲れ様です」と電話越しに挨拶すると「お疲れー、疲れてないけど」と言います。悪気はないと思うんですが、じゃあそういう人たちには「こんにちは」とか言えばいいのでしょうか?それともそもそも会った時に「お疲れ様」という用法は日本語としておかしいのでしょうか?
Yahoo!知恵袋 |
という具合に、意味通り取るものと、意味が希薄化された便利な挨拶言葉として使用する者がいることでのトラブルが生じている様子が見える(日本語として正しくない使い方であるから、嫌味で「疲れてない」と返しているものもいるし、「お疲れさま」を「ろくに働いてない」という嫌味と受け取るものもいる)。
ネット上でも時間や状況を問わずに使われるようになってきたこの挨拶に対する違和感を表明するものはいくつも目にするし、むしろ以前調べたときよりも多くなってきている。
google 朝 お疲れ様
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しかし、いつから便利な挨拶言葉へと変化したのだろうか。
一部には、深夜も働く三交代制などの職場で、朝の退勤者に対する挨拶として使われたからだというものもいるし、ホテルや民宿などではお客を迎え入れる挨拶として時間を問わず妥当な場合もある。
しかし、どうも私が知る限り、ビジネスマナー教育が大元である様だ。
以前からビジネスの場面で上司に対する言葉遣いとしての「ご苦労様」「お疲れ様」問題があった。
「ご苦労様」は労をねぎらうものであり上から下へしか使えない。そのため上司へ「ご苦労様」は使うべきではなく、いたわりの言葉としては「お疲れ様」をつかうのが失礼のない無難なものであると教育していた。この時点では「目上にご苦労様は失礼だ」という話でしかなかった。
しかし、「お疲れ様が無難な挨拶」と言うことが強く印象づけられ続けたために、やがてビジネスの場面では上下の区別なく適用範囲が広い「お疲れ様」が正しい挨拶とされ、それが拡大解釈されて時間や状況を構わず使える「正しい挨拶」として広まった様だ。
実際、この問題への反論として「ご苦労様が不適当なのだからお疲れ様を使って何がいけないのか」というのが必ず出てくる。本来二者択一ではないのに、そこにばかり注意が向けられた結果と思われる。
また、今では新人教育で全ての場で「お疲れ様」を使うよう指導しているという話を聞くし(しかも外部からの講師へわざわざ職場からそう指導するよう要請があってやむをえずやっているというケースもあるとか)、職場ではメールの冒頭の常套句として「お疲れ様です」を入れるよう指導しているという話も聞いている。
これが正しければ、本来日本語として正しい言葉遣いを教えていたはずが、大きく変質してしまった例と言えるだろう。(注)
日本語は多様な挨拶言葉を持ち、それを使い分ける文化を持つ言語である。効率化が優先される会社組織が、非効率に見えるその文化を揺るがせていると言うことなのかも知れない。
ただ、この挨拶を、正しい当たり前のものとして教育され受け入れてきた人たちは、猛烈に反発するようだ。冒頭の質問サイトは学生のものだが、会社組織の若い人が強い反発をして「お疲れ様は正しい挨拶だ」としてはばかることがない例を見てきた。「お疲れ様」は人をいたわる気持ちがあるからこれを使う事が無条件に正しいと考えている人はかなり多いようだ。
今回のエントリーを読んで違和感を持った人も多いかも知れない。
だが、今でも国立国語研究所では次のように言っている。
最近では,派遣会社の社員研修などで職場の常套(じょうとう)的なあいさつ言葉として,「お疲れさまです」を教えていると聞きます。朝会ったばかりの人やメールの書き出しに必ず使う,ということのないよう,状況を考えて場面により使い分けることが必要です。出先から戻った同僚に気持を込めて「お疲れさまでした」と言えば,疲れも癒(いや)されるということではないでしょうか。
独立行政法人 国立国語研究所 ことばQ&A |
会社組織にいない自分には、時間や状況を無視して「お疲れ様」を多用する様子は「会社組織独特の方言」に見える。しかも会社毎に使う使わないはかなり違う。それは一部の業界で時間と関係なく「おはようございます」というのと変わらない。
これは自分に限らず、会社組織にいない多くの人に共通している印象ではないかと思っている。何しろ、元来の日本語の使い方ではないのだから。
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以前、この件に絡んで調べていると、いろいろと面白い話が出てきた。機会があったら紹介したい。
(注)
ビジネスメールの常套句として定型化された奇妙なものに、「お世話になっております」がある。初めてやほとんど関係のなかった相手にも当たり前の様に使われている。商習慣のようなものだから気にするべきではないという話もあるが、TPOをわきまえられないマニュアル人間だと思われても仕方がない。
地元の活動で、某外資系IT企業勤めの、ずっと年上でこちらがお世話になる相手から「お世話になります」と冒頭に書かれたメールがきたことがあった。もしかしたら「お世話になっております」をTPOに合わせたと言うことなのかも知れないが、これも面食らった。
追記:
「お疲れ様」はかなり広範囲の会社組織で使われているのは間違いない。しかし、全く使わない会社もあれば、同じ会社でも支店、フロア、部署で使う使わないが異なっていることもあるとも聞く。
質問サイトなどで意味と関係なく使われている事への違和感を表明があると、それに対して「ご苦労様は不適当だからお疲れ様を使う」とともに「じゃあ挨拶しないのか?」というこれまた二者択一の反論が出てくる。意味に言及する場合も独自解釈で「今日もお仕事お疲れ様です」という意味だと言うものも出てくる。この挨拶言葉は相当に浸透していて、会社組織においてはごく当たり前のマナーであると信じられているようだ。
日中顔を合わせる仲間に対しての「今日は」はあまりによそよそしく、「お疲れ様」が仲間同士でいたわり合うのに適当で便利な言葉であることも人気の理由であることだろう。
ともかくも、朝一番の挨拶としては日本語の使い方としては不自然で、業界外からは奇異に見える。今のところTPOに関係ない使い方は業界用語的であることは間違いない。
Posted at 2014/05/25 12:27:55 | |
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