自分は主に小学生の頃、目黒に住んでいた。
親が転勤族だったのでたらい回しにされ、東京都杉並区を皮切りに兵庫県、愛知県、東京都目黒区、千葉県を経験している。
どこも懐かしい。しかし、自分が一番愛着を感じるのは目黒かも知れない。
子供時代を最も長く過ごした土地。目黒でも嫌なことはそりゃあったが、それでも一番良い街だった気がする。
豊富なわき水のある目黒不動は、月に3回も縁日をやっていたし。小学校の校庭を使っての盆踊りは結構盛大だった。
清水池で釣りをしたり、林業試験場跡の広大な森に分け入ったり、都会でありながら都会とは思えない経験ができる場所でもあった。
社宅団地だったので、土地に余裕があり、土の面がたくさんあって、虫探しをしたりして遊んだりもできた。
電子工作やアマチュア無線をやっていた自分には、秋葉原にすぐアクセスできるのが非常によかった。
自転車ですぐいける範囲に大きな図書館が3つもあったのはとても良かったし。
歴史もあり、文化もあり、とてもいい場所だったように思う。
もちろん都会故空気は汚いし、無線機をつけても車のイグニッションノイズがすごかったり、星はあまり見えないし、生物もやはりそう多くはないし。そう言う不満は強かった。
次に住んだのが千葉。千葉市の郊外だが、本当に何もなかった。図書館に行くのに自転車で30分ぐらいかかる。お店も遠いし種類も少ない。水田や畑は農薬で生物相は薄いし、森は針葉樹が主体でこれまた生物相が薄い。川はあったが洗剤で泡立っていた。森や畑周辺にはゴミが投棄されとても汚い。
学校ではさんざん嫌な目に遭ったし。
また、驚いたのは、50MHz帯の無線人口が極めて少なかったことだ。CQだしてもほとんどコンタクトがなかった。目黒では同じ中学でも何人もアマチュア無線を通じた知りあいがいたというのに。
唯一良かったのは、地下水をくみ上げて田んぼに流しているところにはホタルがいたことだ。他にはいないので、周辺ではここだけかも知れない。もっともそれを知ったのは大学生になってからだったが。
あんまり考えたことはなかったが、目黒との格差はあまりに大きかった。
高校は千葉市内だったが、大学は2時間もかけて東京の西側にある国立大に通っていた。
就職は新宿や港区と言った東京の真ん中で、東京のサービスを多く利用しながら生きてきた。
結局、東京にどっぷり浸かって生きてきたわけである。
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いま住んでいるのは埋め立て地に作られた幕張新都心の住宅地区で、建物で街をデザインするという試みがなされた実験都市。建築科ではかならず都市開発の例として学ぶであろう業界ではよく知られた街だ。
とても美しい街だし、それなりに便利にできている。最近では巨大なイオンモールもできて、サービスも充実している。巨大な公園に隣接しているし、海岸もごく近い。幕張メッセやマリンスタジアム(ネーミングライツで別の名前がついているが)も徒歩圏内。
本物の自然と言えるものが欠落してはいるが、この中にいる限りは便利だし、千葉という地域の一部と言うよりまったく別の特殊な空間にいる感覚がある。文化だの歴史だの文教施設だのと言うことを別にすれば、ある意味東京より過ごしやすい。
しかし、文化的な部分は新造都市であり、その地盤も文化的なベースの弱い千葉である(県立中央図書館ですらひどく貧弱で私はひどく落胆した)。どうやっても東京とその西側には遙かに及ばない。
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最近、その千葉が千葉であることを強く意識することがあった。職場の催しで千葉駅近くのホテルを借り切ってのパーティーがあったのだが、ホテルの従業員にがっかりした。立食バイキング形式で、テーブルの上の空いた皿などを下げに来るのだが、かなり年のいった女性がぶっちょう面でやっている。そうかとおもえば男性従業員どうしがおしゃべりをしていたり。従業員教育はどうなっているのかと。財閥系のチェーンホテルではあるのだが。ホテル内も設備的に見劣りがするし。
都心のホテルではおよそそんな状況は見たことがなかったし、千葉でもディズニーリゾートあたりだとホテルはアルバイト従業員が多いとは言えしっかり教育されている。もっともあそこは『千葉県浦安市』でありながら東京の飛び地みたいなものだが。
よい人材は給与が良く名の通っている東京の企業に集まってしまう。給与水準で劣る千葉では、人材面で後れを取ってしまうのだろう。結局千葉で受けられるサービスは、東京で受けられるものとは差が大きい。
私立学校をみてみても、東京と千葉では随分違うと実感する。千葉の私学はそれぞれにレベルの差はあっても何か共通する匂いがあって、東京のそれとは違う。
おそらく、千葉を埼玉やその他の東京周辺に置き換えても同じような感覚があるだろう。
東京は、地方から来た人や東京郊外からの人が昼間の人口を構成している。にも関わらず、地方や郊外とは全く違う。ここに様々なものが集中し、高いレベルのものが形作られている。
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京葉線沿線に住んでいると、見えるものは海浜幕張の幕張新都心、南船橋のららぽーと、東京ディズニーリゾート、そして東京そのもの。逆方向は一旦遠回りして『蘇我』を経由しないと『千葉』にたどり着けないこともあり、千葉中心市街へアクセスすることはほとんどない。だから、『千葉』を意識することはあまりなかった。

最近その千葉市中心市街に足を踏み入れることが増え、千葉というのはこう言うところだったのだなと実感することが多くなった。正直なところ、『東京の影響を半端に受けたイナカ』なのだ。そういえば、千葉市の中学に転校したとき、生徒たちが異様なまでに『東京』に反感と嫉妬を持っていたのをおぼえている。
まるで歴史を捏造するかのような千葉城がその中途半端な立ち位置を象徴しているのだろう。城下町としての繁栄の歴史はない。明治以降、東京の補完をするために発達してきた経緯がある。軍事施設は多かった。
もちろん、千葉市以南、以東、以北はまた違うだろう。佐倉あたりは東京と適度に離れているためか、独自の文化をはぐくんでいるようだ。東京と距離が近すぎる千葉市あたりとは様相が異なっている。
自分は東京で生まれ、子供時代は最も長い時間を東京で過ごしてきた。大学生、社会人となっても東京の文化の中で過ごしてきた。
小学生時代を過ごしていないので、千葉の歴史を学ぶ機会もなかった。学んだのは東京の歴史だった。自分にとって東京はあまりに当たり前の存在だった。
自分はあくまで東京の人だったんだなと、今頃になって気がついたわけだ。