• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

Yuh_Fazioliのブログ一覧

2014年07月17日 イイね!

早稲田大学 ディプロマミル認定!



ディプロマミル(diploma mill)、または、ディグリーミル(degree mill)とは、実際に就学せずとも金銭と引き換えに高等教育の「学位」を授与すると称する機関・組織・団体・非認定大学のことである。それらの活動は学位商法(がくいしょうほう)とも呼ばれる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%97%E3%83%AD%E3%83%9E%E3%83%9F%E3%83%AB

 早稲田大学は、小保方氏の博士論文について、論文の不正を認めたが「草稿」であったため博士号取り消し規定に該当しないと発表した。
 おそらくは、同様な質の悪い博士論文が多数存在するため、言い逃れのような決着で収めようとしたのだろう。

 これでもう『早稲田の博士号』は研究者の間で博士号として認められなくなったも同様だろう。

 早稲田大学は学位を金で売るディプロマミルであるとの声が研究者などサイエンスコミュニティで多数聞かれている。

追記:
 弁護士が調査委員長をやっていたが、弁護士というのは法の抜け穴を使いながら、依頼者に最大の利益をもたらすのが仕事。詭弁も弄する。まさに今回の仕事はそう言うものだった。

 なお、これが最終決定ではないので、まだまともな判断が下る可能性があるが、このような報告を発表させてしまう時点で感覚に問題がある。

追記終わり。


博士号取り消し該当せず=「草稿提出」過失を認定-小保方氏の学位論文・早大調査委

 理化学研究所の小保方晴子研究ユニットリーダーが2011年に早稲田大大学院で博士号を取得した論文について、早大の調査委員会(委員長・小林英明弁護士)は17日、文章や実験画像の流用は誤って草稿が提出されたことが原因で、博士号の取り消し規定に該当しないとの調査報告書を公表した。
 報告書によると、博士論文には序章部分の流用や実験画像の間違いなどがあったが、この論文は小保方氏が11年1月に指導教授らによる公聴会に臨む前の草稿が誤って製本され、大学に提出されたものだった。
 調査委は小保方氏から「当時完成版として提出しようと思っていた」とする論文を提示され、流用などの部分を過失と認定した。(2014/07/17-17:44) 時事
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc&k=2014071700665


Posted at 2014/07/17 18:18:27 | コメント(0) | トラックバック(0) | サイエンス | 日記
2014年07月17日 イイね!

とうきょう

 自分は主に小学生の頃、目黒に住んでいた。

 親が転勤族だったのでたらい回しにされ、東京都杉並区を皮切りに兵庫県、愛知県、東京都目黒区、千葉県を経験している。

 どこも懐かしい。しかし、自分が一番愛着を感じるのは目黒かも知れない。
 子供時代を最も長く過ごした土地。目黒でも嫌なことはそりゃあったが、それでも一番良い街だった気がする。

 豊富なわき水のある目黒不動は、月に3回も縁日をやっていたし。小学校の校庭を使っての盆踊りは結構盛大だった。
 清水池で釣りをしたり、林業試験場跡の広大な森に分け入ったり、都会でありながら都会とは思えない経験ができる場所でもあった。
 社宅団地だったので、土地に余裕があり、土の面がたくさんあって、虫探しをしたりして遊んだりもできた。
 電子工作やアマチュア無線をやっていた自分には、秋葉原にすぐアクセスできるのが非常によかった。

 自転車ですぐいける範囲に大きな図書館が3つもあったのはとても良かったし。

 歴史もあり、文化もあり、とてもいい場所だったように思う。
 もちろん都会故空気は汚いし、無線機をつけても車のイグニッションノイズがすごかったり、星はあまり見えないし、生物もやはりそう多くはないし。そう言う不満は強かった。


 次に住んだのが千葉。千葉市の郊外だが、本当に何もなかった。図書館に行くのに自転車で30分ぐらいかかる。お店も遠いし種類も少ない。水田や畑は農薬で生物相は薄いし、森は針葉樹が主体でこれまた生物相が薄い。川はあったが洗剤で泡立っていた。森や畑周辺にはゴミが投棄されとても汚い。
 学校ではさんざん嫌な目に遭ったし。
 また、驚いたのは、50MHz帯の無線人口が極めて少なかったことだ。CQだしてもほとんどコンタクトがなかった。目黒では同じ中学でも何人もアマチュア無線を通じた知りあいがいたというのに。

 唯一良かったのは、地下水をくみ上げて田んぼに流しているところにはホタルがいたことだ。他にはいないので、周辺ではここだけかも知れない。もっともそれを知ったのは大学生になってからだったが。

 あんまり考えたことはなかったが、目黒との格差はあまりに大きかった。


 高校は千葉市内だったが、大学は2時間もかけて東京の西側にある国立大に通っていた。
 就職は新宿や港区と言った東京の真ん中で、東京のサービスを多く利用しながら生きてきた。
 結局、東京にどっぷり浸かって生きてきたわけである。

 **

 いま住んでいるのは埋め立て地に作られた幕張新都心の住宅地区で、建物で街をデザインするという試みがなされた実験都市。建築科ではかならず都市開発の例として学ぶであろう業界ではよく知られた街だ。
 とても美しい街だし、それなりに便利にできている。最近では巨大なイオンモールもできて、サービスも充実している。巨大な公園に隣接しているし、海岸もごく近い。幕張メッセやマリンスタジアム(ネーミングライツで別の名前がついているが)も徒歩圏内。

 本物の自然と言えるものが欠落してはいるが、この中にいる限りは便利だし、千葉という地域の一部と言うよりまったく別の特殊な空間にいる感覚がある。文化だの歴史だの文教施設だのと言うことを別にすれば、ある意味東京より過ごしやすい。

 しかし、文化的な部分は新造都市であり、その地盤も文化的なベースの弱い千葉である(県立中央図書館ですらひどく貧弱で私はひどく落胆した)。どうやっても東京とその西側には遙かに及ばない。

 **

 最近、その千葉が千葉であることを強く意識することがあった。職場の催しで千葉駅近くのホテルを借り切ってのパーティーがあったのだが、ホテルの従業員にがっかりした。立食バイキング形式で、テーブルの上の空いた皿などを下げに来るのだが、かなり年のいった女性がぶっちょう面でやっている。そうかとおもえば男性従業員どうしがおしゃべりをしていたり。従業員教育はどうなっているのかと。財閥系のチェーンホテルではあるのだが。ホテル内も設備的に見劣りがするし。

 都心のホテルではおよそそんな状況は見たことがなかったし、千葉でもディズニーリゾートあたりだとホテルはアルバイト従業員が多いとは言えしっかり教育されている。もっともあそこは『千葉県浦安市』でありながら東京の飛び地みたいなものだが。

 よい人材は給与が良く名の通っている東京の企業に集まってしまう。給与水準で劣る千葉では、人材面で後れを取ってしまうのだろう。結局千葉で受けられるサービスは、東京で受けられるものとは差が大きい。

 私立学校をみてみても、東京と千葉では随分違うと実感する。千葉の私学はそれぞれにレベルの差はあっても何か共通する匂いがあって、東京のそれとは違う。

 おそらく、千葉を埼玉やその他の東京周辺に置き換えても同じような感覚があるだろう。

 東京は、地方から来た人や東京郊外からの人が昼間の人口を構成している。にも関わらず、地方や郊外とは全く違う。ここに様々なものが集中し、高いレベルのものが形作られている。
 

 **


 京葉線沿線に住んでいると、見えるものは海浜幕張の幕張新都心、南船橋のららぽーと、東京ディズニーリゾート、そして東京そのもの。逆方向は一旦遠回りして『蘇我』を経由しないと『千葉』にたどり着けないこともあり、千葉中心市街へアクセスすることはほとんどない。だから、『千葉』を意識することはあまりなかった。

 最近その千葉市中心市街に足を踏み入れることが増え、千葉というのはこう言うところだったのだなと実感することが多くなった。正直なところ、『東京の影響を半端に受けたイナカ』なのだ。そういえば、千葉市の中学に転校したとき、生徒たちが異様なまでに『東京』に反感と嫉妬を持っていたのをおぼえている。
 まるで歴史を捏造するかのような千葉城がその中途半端な立ち位置を象徴しているのだろう。城下町としての繁栄の歴史はない。明治以降、東京の補完をするために発達してきた経緯がある。軍事施設は多かった。
 もちろん、千葉市以南、以東、以北はまた違うだろう。佐倉あたりは東京と適度に離れているためか、独自の文化をはぐくんでいるようだ。東京と距離が近すぎる千葉市あたりとは様相が異なっている。

 自分は東京で生まれ、子供時代は最も長い時間を東京で過ごしてきた。大学生、社会人となっても東京の文化の中で過ごしてきた。
 小学生時代を過ごしていないので、千葉の歴史を学ぶ機会もなかった。学んだのは東京の歴史だった。自分にとって東京はあまりに当たり前の存在だった。

 自分はあくまで東京の人だったんだなと、今頃になって気がついたわけだ。


 





Posted at 2014/07/17 14:15:46 | コメント(0) | トラックバック(0) | ひとりごと | 日記
2014年07月17日 イイね!

日航123便の謎

 先日、BTRONのことをググっていて出てきたのが、あの墜落事故を起こした日航123便に17名のBTRON関連技術者が乗っていて亡くなったという話。BTRONと言えば、アメリカ側がその存在を脅威に感じ、自らのソフト流通業への影響を感じた孫正義による通産省への働きかけもあって事実上潰されてしまった純国産パーソナルコンピューター用GUI OS。それ故にあの事故はアメリカ側が起こしたのではないかという陰謀論があるとか。

 その123便の事故について、事故調査委員会の報告に不自然なところがあるらしい。

 何より、その原因とされた尻もち事故修理ミスによる後部圧力隔壁の破壊は、状況と合わないというのだ。

 ここではあまり細かなことは挙げないが、本来なら隔壁破壊が起きた時当然生じる急激な減圧と、断熱膨張による急冷(霧の発生)、外気流入による気温低下、酸素不足が、生存者の証言によればその高度で生じるものとしてはあまりに小さすぎるらしい。また圧力差により様々なもの(人も含め)が機外へ吸い出されてしまっておかしくないが(そうした事故他複数例ある)それもおこっていない。にも関わらず垂直尾翼を吹き飛ばしたとは考えにくい。更に、機長らクルーは酸素マスクを使用していないこと、当然行うべき緊急降下も行っていないことからも、隔壁破壊は考えにくいらしい。

 後部圧力隔壁の破損から考えられることと生存者証言との不一致のあたりはかなり同意出来る。

 では何が垂直尾翼を破壊したのかと言う疑問が生じるが、これについてはよく分からない。諸説についてはググって頂きたい。

 自分としてはなんとも言いがたいことばかりだが、こういう話があるというのは初めて知った。

Posted at 2014/07/17 09:09:06 | コメント(0) | トラックバック(0) | ひとりごと | 日記

プロフィール

「梅雨、日本周辺にしかない独特の気候なのだ。おかげで日本人は紫外線の影響を受けにくくなっているし。悪いことばかりではない。」
何シテル?   06/15 10:04
愛車 黄色いピアッツァのHP http://piazza.ciao.jp/piazza_web/index.html ↑プロバイダーを変更して再開! ...
みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2014/7 >>

  12 34 5
6 7 8 9 1011 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 2223242526
27 2829 3031  

ブログカテゴリー

リンク・クリップ

YUHの気ままなままに 
カテゴリ:ブログ
2018/01/31 06:12:14
 
常識はずれのPIAZZA達の隠れ家 
カテゴリ:Piazza
2012/11/17 07:31:43
 
須関裕子のブログ 
カテゴリ:Music
2011/02/26 18:38:37
 

愛車一覧

スバル アルシオーネSVX スバル アルシオーネSVX
 はじめてのSVXは追突事故によって、わずか1年半で乗り換えることになってしまいました。 ...
いすゞ ピアッツァ いすゞ ピアッツァ
 社会人になりはじめて手に入れた車です。 PIAZZA XE Handling by L ...
BMW 3シリーズ セダン BMW 3シリーズ セダン
実家最後(予定)の車。 私がメンテナンスしてます。 →私が相続し維持することにしました ...
その他 その他 その他 その他
写真の置き場です。
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation