本当にどうでもいい話。
自分は幼い頃から納豆ご飯が大好きだった。今も好きだが、かなり幼い頃から好んで食べていた。
大概母親が刻んだネギを入れてくれていたように思う。
何かの入れ物にかき混ぜられたものが食卓におかれ、ご飯に載せて食べていた。
ある日、夕飯の準備をしている母親がいる台所へ行くと、納豆を準備していた。
その時自分は驚愕した。なんと、納豆にあの黄色く辛い『辛子』を入れていたのだ。
「辛子なんか入れちゃダメ!」
当時はかなり幼い子ども故、きつい香辛料はあまり口にできない頃。辛子なんかとんでもなかった。
しかし母親は
「辛子を入れないとおいしくない」
と、私の抗議も聞かずに入れてしまった。
言われてみれば確かに少しぴりぴりするけれど。
まさか、自分がいつも食べている納豆に、あの辛い辛子が入っていたとは!
それに全く気付かずに食べていた。
そのことがとてもショックだったことを覚えている。
それ以来、辛子の辛さをあまり恐れなくなっていった。
まあ、少しだけ大人に近付いた訳だ。
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そういえば、幼い私を兄が母親といっしょになって『味盲』などと馬鹿にしていた。状況はよく分からないが、味からその食べ物がなんであるかを言えなかったかららしい。誰もが生来持つ「あまい」「からい」「しょっぱい」「苦い」などの味覚に問題があったわけでは決してない。
幼い子どもの味の識別能力は当然低い。様々な食経験を経て複雑な味の識別能力は高まるのであって最初から優れた識別能力を持っている人間はいない。魚の名称を味で言い当てるのは、かなり難易度が高い。
味盲と言われたのは、甘いか辛いかとか、食べ物に塩が入っているかとか砂糖が入っているかとか、どんな食材が使われているかと言う問題でもない。料理になっている状態で、原型の食材の名前を聞かれたと言うことでもないようだ。
食べた物の名前を聞かれて答えられなかったと言うことのようなのだ。特に滅多に口にしない食べ物をだ。
教えてもらってもいない食べ物は答えられるわけがない。なぜかうちでは食べ物の名前を教えられることが希だった。そのため、結構大きくなるまで名前を知らなかった食べ物というのが結構あった。伊達巻きなんてみたことがあっても名称を知らず、小学校中学年ぐらいにテレビで名前を知った。はんぺんも親からは教わっていない。これもCMで知った様な気がする。がんもどきなんて名称と物体が一致したのは高校生を超えていたように思う。(ちなみに、「ちくわぶ」なんて家ではみたこともなく、大学を卒業してから初めて知った。) 食材や料理の名前なんてごくわずかにしか知らなかった。そんなことだから、幼い自分が答えられる食べ物の名前など極めて限られていた。
類例としては、幼い頃に連れて行かれた場所の、その地名を聞かれることがあげられる。
とても幼い自分は荷物のようにただ連れて行かれただけなので、どこへ行くとかは一切聞かされていない。にも関わらず後に「○○に行ったの覚えてる?」とシチュエーション抜きで地名だけで聞かれる。答えられないと「どこに連れて行っても覚えてない!」などと嫌味を言われるのだ。
聞かれる度にいろいろな場所の光景は浮かぶが、それがどこであるのかは知らないのだから答えられるわけがない。
春の七草を教えてもらったこともないのに、突然聞かれ、「この子は春の七草も言えない」と言われたことも覚えている。
そして間違ったり答えられないと怒られるので、ますます萎縮して答えられなかった。
そんな具合に、幼い頃の自分は、よく大人の能力と比較されダメ人間扱いされていた。
子どもを育てていると、子どもが「子ども」であることにいらだつ場面もあるだろう。大人なら当然のことを何も考えずに子どもに要求して傷つけている場面というのは、結構あるのかも知れない。
Posted at 2014/07/18 20:15:30 | |
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