2015年11月07日
なんとなく使い方が分かってきたAfter Effect。
いろいろな例を見ていると、標準だけではできないことも多いが映像効果を加えるには非常に優れており、プラグインを入れると相当な映像演出ができるようになるものだと分かる。
今どきの商業用の写真(静止画像)のほとんどはPhotoshopなどの画像加工ソフトで手をいれられているが、動画制作でもAfter Effect(や同様のソフト)なしでは成り立たないぐらい多用されているようだ。
この種の映像効果ソフトは、何もないところから複雑なモデリングをしなくても何となくそれらしい3D映像が作れてしまったりする。エフェクトの種類を選択してパラメーターを設定するだけで映像効果として水面だの稲妻だの炎だの、まるで本物みたいなそれらしいものを作れてしまったりする(物理モデルシミュレーションなものもあるが、いろいろなものを組み合わせて無理矢理それらしく見せているものもある……物理的にそれはヘンだろうと感じたりするが、素人目には分からない)
アニメ制作でもかなり多用されている。凝った映像が多いオープニングやエンディングは、短期間で見栄えのする効果的な映像を制作するために端々に使われている。以前なら不可能だった映像表現が、アナログな手法で多くの資料や豊かな経験を組み合わせてものすごい時間をかけて作るより遙かにすごい映像が、短時間でごく簡単にできてしまったりする。
たとえば、鳥の羽毛単体はアニメーション用の絵として描くとなかなかふんわりとしたリアルなものを描けないし、アニメーションとして動かすのも大変に難しい。これはきわめて高度な表現に属するだろう。羽毛をテーマにしたアニメーションだけで作品が成立しただろう。しかし、デジタルエフェクトなら本物を見まごうような羽毛を3D空間の中で数の制限もなくいくらでも自由自在に動かすことができる。
いまや映像制作とは、素材を組み合わせて加工することと勘違いしてもおかしくないぐらいだ。映像制作の分野でも時折他人のデザイン物等の無断流用が問題になるが、ネット等で拾ってきて加工すればいいという安易な姿勢が広まっているためだろう。デジタル化が進んだ中で育ってきた今の40代前半~30代以下は最初からコピペが当たり前の世界にいる。おかげで盗用を盗用と感じる感覚が薄いようだ。他人の制作物は単なる素材としてしか映っていない可能性がある。
指摘は本稿の目的ではなかったが、国家レベルのイベントに絡んでデザイン盗用が問題になった件も、背景にはデジタルコピペ文化があるのかも知れない。デザイナーの年齢は40代前半で、まさにデジタルコピペ文化に乗っかってきた世代である。
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Adobeのクリエイティブツールやプラグインは高価だが、プロとアマチュアが同じソフトを使って映像を作り上げるのが当たり前になりつつあるというのはなんだかすごい話だ。
昔ならデジタル処理はアマチュアには手の届かないものだったのに、素人でも素人向けのツールで簡単に効果が加えられるし、プロ向けツールもそこそこのお金を出せば簡単に手に入る。
昔は高速で高価な専用の演算装置なしには成り立たなかったが、いまや高速な演算を行うハードが当たり前の様にポータブルゲーム機やスマホにすら搭載されている。
ただ、デジタルで簡単に何でもそれらしくできてしまうと言うのは、パラメーターをいじるだけで創作モドキをするという、道具に頼り切ったことにすぎない。最初からこれしか知らなければ、表面的なものしかできない。入り口がどこからなのかは、制作物の奥行きを左右する。
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クリエイティブな分野はデジタルで生産性が上がり、ツールさえあれば短時間でそれらしいものが作れるようになってしまった。一見すごい立体映像で、これをモデリングし、プログラミングして動かす昔の様なやり方ではとてつもなく時間とお金と能力を必要とするが、いまや映像効果ソフトとプラグインで比較的短時間に簡単にできるようになった。使い方さえ覚えれば驚くような表現も簡単にできる。
そうしてツールに頼り切ってできてきた安易な作品と安易な制作者が市場を占めてしまうので、本物が真価を発揮する以前に生き残れない。デジタル化の悲劇はここにも色濃いように感じる。
とは言え、それはコンピューターを使ったデジタル処理に限らない。本当に真価を問われるとがった分野以外では、表面だけよければ大方の人には本物との区別は付かない。そう言う中で積み上げてやって来た人間が機会を得られないことはありふれている。
本当に能力が高く積み上げてきた人間は、とがった世界にいなければどうにもならない。
Posted at 2015/11/07 09:45:02 | |
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