2016年03月27日
自分はたまに地元音楽ホールのイベントでPAをやることがある。
まあ、職業でやっている訳ではないし、他に一緒にやれる人がいないのでほとんどの場合一人でやり、仕込みの時間もテストの時間もほとんどもらえないので、最小限で勘弁してもらっている。
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ホールが元々生音用に(特にピアノに焦点を当てて)そこそこの長残響に設計してあるので、電気音響には向かない。ホールに設置された幕で吸音して調節するのだけれど、使いにくいので電気音響系のバンドとかの人はほとんど使わなくなった。
まあ忙しくなったとか、人が確保できなくなったとか、いろいろあるのだろうけれど、練習だったらどこかのスタジオを使った方が遙かに便利なので、練習に使っている様子はほとんどなくなっている。
自分もバンドの演奏のPAはお手伝い程度でしか参加したことがない。
ただ、いろんなイベントを経験して分かったのは、素人に近いほど自分の音が聞こえないと演奏できないと言うこと。
電気音響を使う場合、ステージには自分の音を聞くための跳ね返りのスピーカーを設置する。
ところが地元のホールは200人規模でステージと客席は面一。演奏者用の面積を大きくとると客席が少なくなってしまう。跳ね返りスピーカーを設置しにくい。規模が大きくなるとスピーカーが足りない。
また、狭く残響が多いのでハウリングもしやすい。なので跳ね返りのスピーカーを設置できなかったり、音量が確保できなかったりする。
プロレベルの人だと、跳ね返りはなくてOKと言う人も多いのだが、素人になればなるほど跳ね返りで自分の音が聞こえないと演奏ができないという。丸二日間朝から夜までぶっ続けの音楽イベントをやったとき、様々なジャンル、様々なレベルの演奏者が参加した中で、この傾向は顕著だった。
へたくそほど自分の音が聞こえないと演奏できない。
経験や技能の差というのはこう言うところにはっきり出てくる。
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落語会にお付き合いしたこともある。プロの噺家が、お弟子さんを数名連れてやって来た。
トリの大物噺家さんは、人情噺か何か、すごく長い一席をやっていったのだけど、落語のくせにクスリとも笑うところがない。こちらは落語と言えば笑いが必ずちりばめられていると思っているので、かなりしんどいものがあった。
ま、それはともかく、この噺家さん、200名のホールをみて、
「私、マイクなしでやります。これぐらいの広さなら自分の声だけで充分届かせて見せます」
といってマイクでの拡声を拒否。マイクを下げさせられた。
ところが、いざはじまってみると聞こえるのは前の方だけで、後の方では何を言っているのかさっぱり分からない。
残響が強い空間というのは、生音系楽器演奏には向いても会議やスピーチ等には全く向かない。
噺家がプライドを前面に出して客のことを置いてきぼりにしたと言う、まああっては困るけれどありがちな話。
結局マイクで少しアシストしたのだったと思うが、よく覚えていない。
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邦楽の演奏会に何故か駆り出されてお手伝いさせられたこともある。
私の方はボランティアで、誰もいないというのでやむを得ず来ているのに、金で雇っている下働きのように扱われてえらい不愉快な思いをした。
間に入っている人が気が利かない人、どころか事実で無いことを平気で言いふらす問題のある人で(当時はそんなことは知らなかったけど)、当然音響・照明スタッフがお願いしてきてもらっているボランティアだなんてことは全然伝えもしない。だからそう言うことになる。
ま、それはそれとして。
ホールがホールなのでマイクで拾う必要もないぐらいに琴も尺八も充分響いている。
ところが、あの手の人はオープンエアの空間とか1000人規模のホールとかでしかやっていないから、電気音響のアシストをガンガン効かすのになれきっていて、ここでも大きな音に拡声しないと気が済まないらしい。
生音重視のホールなのだから、ホールの響きを使って生音を聞かせてくれれば良いのだが、もっともっとと音量を要求されて、せっかく響きが利用できるホールなのに、スピーカー音そのものの音ばかり聞かされるという、なんでこのホールでやってんだかわからないことになってしまった。
そもそも邦楽は日本のすかすかな建物や野外空間で演奏するので、響きを利用した演奏なんかやらないのが普通だろう。西洋音楽が残響を前提にしているのと大きく違う。
だったら、音響のアシストもいらないはずだが、そうはならないらしい。
実はこのホールではできないはずの営利のコンサートであったりして、二度とこのホールでやる事はなかったけれど。
だいたい、どういう名目でコンサートができたのかよく分からない。一人は地元の人だけれど、他は外の人で、地元団体ではなく、定期利用サークルでもないので、そのままでは使用する権利のない人たちだ。
無許可の有料コンサート(公民館なのでチャリティ名目以外では有料コンサートはできない)であったことがばれたことがあり、もう二度とホールを使う事はなかったけれど、それを「住民団体が私物化していて、邦楽だから差別してホールを使わせない」などとふれて回られるというとんでもないことをされた。
ついでに、この人は、私が深く関わった、子どもたちを100名以上集めてのストーリー仕立ての音楽系イベントに手を上げて参加してきたのだけれど、その後、無許可でそのイベントの名前を使ってホールを借りていたことがあった。
要は倫理観がおかしい人だから、なんどでも自分のために嘘をつくのだろう。
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ハンドフルートという、両手を組んでオカリナのような楽器として演奏する方法がある。
そのハンドフルートとキーボードのチャイルドフッドというDUOがいる。テレビにも何度か出ているのでみたことがある人もいるかも知れない。その二人組のピアノ/キーボード担当が昔から地元のいくつかの合唱団の伴奏をしていることもあってよく知っている。
で、そんな彼らの演奏の音響も何度かやった。
ハンドフルートは結構大きな音が出るが、楽器に比べれば決して大きな音ではないので拡声を要求され、とある理由で跳ね返りスピーカーとの間でハウリングが起きると言う大失敗をしたことがある。
全部一人でやって仕込みの時間も充分もらえないからああいう事故やミスも起きるのだけれど、さすがにプロで、全く動じず演奏を続けた。えらいものだった。
彼らの演奏には何度か音響で参加したけれど、最初にやったときは事務所の人に洞窟のようなリバーブをと要求されえらい深いリバーブをかけさせられた。二度目の時には事務所が変わっていて、その関係者(マネージャーではなかったようで、一体どういうポジションの人か不明)が本番最中にリバーブをかけ過ぎみたいなことを言ってきた。そんなこと、リハで言ってくれ。今更ころっとかえるわけにはいかない。
このDUOが1500人クラスの地方の音楽ホールで演奏するとき、手伝いを頼まれたことがあるのだけれど、このときは地元の音響さんたちがセッティングした所に、最近契約したばかりのレコード会社のエンジニアがあとから乗り込んできて、PAブースを占拠してしまった。全く聞いてない話である。
地元の音響さんたちは楽器の音を鳴るべくピュアにアシストする方向でセッティングを作っていたのだが、そのエンジニアは自分が好きなように音を作りまくり、原音と全く不自然な違う音にして悦に入っている。ピアノが電子楽器のよう……。
レコーディングエンジニアなんてそんな人が多いのだろうか。
自分の作品を作っているという気持ちが相当前に出ていて、演奏は単なる音源、ぐらいの感覚なのかも知れない。
地元の音響さんたちはさぞや不愉快な思いだったことだろう。
ちなみに、事務所から多少の日当は出たのだけれど、高速代とガソリン代でほとんど消えてしまった。まあ勉強になったからいいけれど。
なお、市主催のコンサートで、バブル時に作った千葉の地方都市にまったく不釣り合いな、水田の間の道を進むと突如現れる大ホールが会場。
当然さほど名のとおっていないハンドフルートDUOのチケットが1500枚も地元で売れるはずもない。
苦労してなんとか格好をつけていたようだ。
まあ、地方都市にありがちなこと。巨大な音楽ホールを作るなんて身の丈に合わないことをやると、ずっとツケを払い続けることになる。作ってしまった以上、稼働率が低ければ問題になる。直営コンサートを組むけれど、遠くからでも人が来る有名な人ばかり呼べるとは限らない。
千葉市だと、お笑い芸人のライブをやったりなんかもしている。
バブルの影響は大きく、気が大きくなって日本中で大音楽ホールを作ってしまい、どこも苦労しているようだ。
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今回このエントリーを書こうと思ったのは、音響のエンジニアが職業難聴になっていることが多いという話を聞いたからだ。
特にロック系のコンサートは、大音量が当たり前で、お客も一時的、ないしは恒常的な感音性難聴になることがよくある。音響スタッフは日常であるから、聴細胞の感覚毛をすり減らして難聴になってしまう。
おかげで、音響スタッフが自分で気付かないうちに、やたらに音量が上がってしまっていることが多いらしい。
実際、なんでここまで音量を上げるのか疑問に思うことがある。
逆に、そう言うやり方をするのが音響だと思われてしまうと、ホールの響きを活かして電気的な拡声を最低限に抑えるなんてやり方は理解されない。
どこぞの邦楽グループのように、大音量でないと満足しなくなってしまう。
私は極力爆音には関わらないようにして来たし、そう言うオペレートはしないようにして来た。
どうしてもそういうことに関わらねばならないときは、音を小さくする耳栓でもするつもりでいる。
Posted at 2016/03/27 19:32:29 | |
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音楽 | 日記
2016年03月27日
昔、ちょっとした癒し系イラストを描いていた頃、筋ジストロフィーの方からイラストの依頼を頂いたことがある。
以前書いたイラストと似たイメージでここをこうして、という注文で、「恋人」のために描いて欲しいという。
筋ジスでもう先が長くないことが分かっている方で、すこしでも役に立てるのであればと言うことで依頼を受けて描いてみた。
対価は一切なし。
それからそう時間が経たないうちにその方は亡くなられたとのことで、主治医だった方や家族の方などがその方のHPの保存をすることにした等とHPに掲載された。
さらにその後、主治医の方がその筋ジスの方に関する本を書かれるとのことで、イラストを載せていいかと問われ、了承した。これももちろん対価はなしで、出版社から献本を4冊頂いた。
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その時、とても不思議に感じたのは、筋ジスの方の感覚である。何か、他人は自分のために何かをしてくれて当然という感覚を何度も感じた。話の流れ自体、イラストを描いてもらえて当然のようなものになっていた。
筋ジストロフィーは筋肉が萎縮し、体を動かすこともできなくなり、多くが若くして亡くなる。
ご本人も、現在の医療では逃れられない運命を受け入れながら、生きていた。
子供時代に発症し、社会経験もなく、ある頃からはずっとベッドの上だけの生活で介助なしには何もできない生活だ。
その生活の中で、つねに他者から与えられることが当たり前になっていたのはおそらく間違いないだろう。
普通の人よりあるかにはやく確実に死が訪れるが故、介助なくしてはいきられない病を持っているが故に、他者との関係が対等ではないものになるのはやむを得ないのかも知れない。
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なんでこんなことを思い出したかというと、乙武氏の件があるからだ。
彼は生まれつきの障害を持ち、生きてきた。その中でかなりの奔放さがあったように思われる。
健常者から障害者になったわけではなく、生まれつきの障害で、失うことを経験したわけではない。
両親の成育の結果なり両親から引き継いだなりの性格・前向きさを持って生きてきた。しかしそこはつねに介助をする人がいることが前提で、それが故の特殊な他人とのあり方の感覚ができていたことは多分あるのだろう。
乙武氏には、介助なしには生きられないとは言え、現実には死を直視する必要が全くない。彼にとっては一生介助者がつき続けるのが当然なのだ。
どの程度までかはともかく、自ら志願してくるものも何人もいただろう。
その中での、常に誰かに世話をされることが当たり前の中で生きてきた彼の、他人との関係性は、常人のそれとは随分違っていても何ら不思議はないだろうと、私は思う。
奥さんとの関係性も、普通の夫婦という感覚ではまず読み解けないだろうと思う。
Posted at 2016/03/27 14:07:33 | |
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ひとりごと | 日記