カーゴ・カルトというのは、ミラネシアなどにみられる信仰で、島にやって来た白人の模倣を行う特徴的な行動がある。
彼らの理解では、近代文明における文明の利器は神が作ったもので、自分たちのために作られたものを白人が神とのつながりを作ることで不当に占有したとするらしい。
太平洋戦争の時の再現をし、空港などの施設やヘッドホン、通信機などの物品を藁などで模倣製作するだけでなく軍隊などの行っていた行動を模倣することで、また輸送機がやって来て文明の利器をもたらすことを期待するものだそうだ。
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ここまで書けば、よく似ているように思われるだろう。東京オリンピックや大阪万博招致に。
高度経済成長の中でのこれらは、多くのものをもたらしたように見えた。近代的な新幹線や高速道路が整備され、競技場や施設が建設され、経済的にうるおいもあった。
だから、もう一度オリンピックや万博を行えば、日本の停滞を吹き飛ばし、かつてのような成長を取り戻せる、という期待、言わば信仰があるように見えるのだ。
しかし、当時と現在は全く前提条件が違う。朝鮮戦争やベトナム戦争の特需とそれらの戦禍からの回避を起爆剤に人口が増え成長していた当時に対して、人口が減り縮小しているのが現在だ。
イベント需要は一部には利益をもたらすが、近年のオリンピックの多くがそうであるように需要を失うことで景気後退に移行するだろう。投資の世界では常識だ。
逼迫する財政を今存在し拡大する貧困解消や将来投資である教育に向けず、大資本だけがうるおい、政府は借金を積み増し、過大で赤字を垂れ流す負の遺産ばかりを残す結果になりそうだ。
「世界一カネのかからないオリンピック」と言っていたはずが、いつの間にやらこれでもかこれでもかと言うぐらいにふくれあがり、まさにオリンピックにこじつけて他人の金を使い放題にしているようにしか見えない。関連企業には莫大な金が回るが、必要とされる膨大な人員をボランティアでまかなおうという冨の不分配を当然とする姿勢には恐れ入る。
震災復興予算でも、お金があることをいいことに関連の薄いことに流用されているが、たかりの構図でしかないだろう。
オリンピック招致にかこつけて、都内のそこら中に都の予算で石原都知事の顔写真のポスターが貼られていたことを忘れない。
税金は、少数のものの利益のために理由をつけて利用されつづけている。
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実態は一部の利益のためだけにしか見えないが、漠然と期待を膨らまされている。
形だけ真似すればかつてのような栄華を取り戻せるというのは、まさにカーゴ・カルトのようなものだ。因果が転倒している。
因果が転倒していると言えばリフレ理論だ。通貨発行量を増やしても需要のない中でお金は回らないため経済は上向かず、富の偏在と貧富の拡大、スラグフレーションしかもたらしていない。通貨発行量の増加がもたらす円安は為替コストが物価として跳ね返るだけで物価上昇分が国内の利益にはならない。円安はGDPの10%台でしかない輸出企業に益をもたらすだけ。そんなことは明らかだったが、一部の【カーゴ・カルトのような信仰】が政策として行われ続けている。
政治の中枢を宗教カルトが握っている日本であるから、こんなことになっているのかも知れない。
Posted at 2018/11/24 11:50:09 | |
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