2019年06月08日
日本の没落を最近はひしひしと感じるようになってきた。
バブル崩壊後しばらくまでは、あまり構造的な問題を理解していなかったのでまだ復活の余地があるような気がしていたが、理解が進むほどに、最近ではまず無理だろうと考えるようになった。
政策的な問題、伝統的に抱える問題、それらによって醸成されている将来可能性の低さ、既に積み上がりすぎてしまった問題をとらえるに、もはや戦中の日本と大差ないほどのヤバさがあり、破綻しかあり得ない状況にあること、その状況に深く関与してきた政財界は破綻を早める動きしかしていないこと(百歩譲っても、具体的に未来を見据えて日本の復活を目指した動きがない。グローバル化に基づいた利己主義を貫いている)を考えると、これから起きてくる大きな試練に耐えられない。
年金支給水準見直しも選挙後に繰り延べされ、予算委員会も100日近く開かれず、自公政権が問題を追及される場面を選挙前には一切晒さないいつもの手に出ている。
年金では足らないと政府が明言した問題は、賃金水準の低下、実質賃金の低下と相まって政治責任への関心に向かいつつあるが、広がりななければ自公政権が承認される選挙になりそうだ。
選挙後に自民党支配が盤石になってしまえば、あとは憲法改正、誰も止められないしくみの「自民党案による緊急事態条項」の追加に向かっていくのであろう。そうなればもう誰も時の政権に刃向かえない体制が作れることになる。
**
今日では一部を除き、労働者は低待遇で雇用され、裁量労働性で残業の概念がなくなり、昇給もほとんど望めなくなり、40代で解雇される方向に固まりつつある。
以前「同一労働同一賃金」を政権側が言ったとき、欧米と異なり、日本でのこれまでの経緯から「正社員の待遇悪化」しかあり得ないと書いた。まさに今そう言うことが起こりつつある。
正社員になったとしても200万円未満の年収という求人が散見されるようになり、退職金もない求人も多い。今の政治体制が維持されれば解雇もいずれ今より遙かに容易になるはずだ。非正規と正規の差はどんどんなくなりつつあり、総非正規化しつつある。正社員になることは保証のある就職を意味せず、労働は人を豊かにするためのものではなく、資本家による搾取のためのものであることが一般的になってきた。
解雇されての再雇用では待遇の悪化は避けられず、肉体労働が中心となり、その日暮らしがせいぜいになるだろう。
歳をとり働けなくなったら、富裕層以外は野垂れ死にか自死しかない社会に向かおうとしている、
年金はもともと制度欠陥があって少子高齢化には全く対応できず、そのための対応は全くと言っていいほどなされずに来て、既に大ボリュームの団塊の世代が年金受給を受ける状況になってきた。それを補うはずの年金運用はリスク資産につぎ込まれるようになり、無謀な高値での株価押し上げに使われ、ハイリスク状態にある。世界的な経済危機が起これば、年金が制度的に実質破綻するのはほぼほぼ間違いない(同時に無謀なETF買いを続けてきた日銀も破綻状態になる)。受給年齢が引き上げられ、受給額は下がり、保険料支払い義務期間が延長され、実際に受給できる可能性が下がり、老後の資金どころか生活圧迫の要因にしかならなくなってきている。
正社員になることを求めても、年金による老後の生活の安定を求めても、どんどん無意味になりつつある。
人による労働は、一部のハイポテンシャルな能力を要求される仕事を除けば多くがAIなどを用いた機械に代替可能で、人が必用なのは微妙な柔軟性が求められる単純労働だ。機械で個別多様な事象に対応するには多くのデータと高度な制御を要求されるが、そういう部分は人の能力で吸収しやすく、機械よりもローコストで柔軟性がある都合のいい資源となり得る。
たとえば、謝罪は人間がやって初めて謝罪となることが多い。こう言う分野では人が重宝されるだろう。ただし、機械よりローコストな運用資源として。
いずれ、お金に働かせ、自身はほとんど働かずに優雅な生活を謳歌できる貴族階級と、ローコストに機械で代替が難しい領域を中心とした肉体労働者階級の二分が明確になる社会がやって来そうだ。高度な教育の機会が無ければ、高度なテクノロジーに関わる事も難しく、身分が固定化されていく。
政府は本来、冨の再配分による福祉を通じた社会安定を図る存在だが、搾取を容認している日本のような政府がその方向を突き進めば、大雑把には中世以前の構造に近いものになっていくのだろう。
グローバル化は植民地主義とよく似ている。
**
最近面白いtweetを見た。
選挙制度は民主主義の根幹と考えられがちだが、共産党一党支配の中国にも、独裁制の北朝鮮にも選挙はあると。
運用が真の民主主義に則っておらず、単なる形式になっている訳だ。
選挙制度があるだけではダメで、市民の代表が選挙として立ち、選べること。選挙の意味が浸透し、政治を我がこととして考えられる市民が多くを占めることが重要だ。
しかし、異常に高い供託金、なされない政治教育、これらに伴う市民代表の欠如と職業世襲政治家の台頭、低い投票率が示すのは、日本では選挙制度が民主主義のしくみとして機能していないと言うことだ。
日本人は遙かな過去から天皇制を当然のものとして受け入れてやって来た。実態は天皇制を利用し、征夷大将軍に任じられることによって他者が実権を握る支配構造が続いている。
戦後天皇は象徴天皇となり、一切政治に関与できなくなっている。しかし実権を他者が握る構造はそのままで、名目の天皇の他に実質天皇としてアメリカが位置し、征夷大将軍として自民党が据えられて実権を握ってきたと言える。名目天皇の政治支配は天皇独裁を防ぐためのものであったはずだが、そもそも天皇制は利用され続けたもので、民主主義が機能しなければ、利用する側の暴走を防ぐしくみは不十分なままだ。
(自民党がアメリカの支持と援助によって元A級戦犯らによって作られ、戦後政治を握ってきたことでもわかるだろう。政治家らによってマッカーサー神社が作られようとしたことは、戦後日本におけるアメリカの地位、位置づけをよく現している)
日本人にはおそらく、自民党こそが将軍家のような正当な権力の継承者であると肌でとらえられているのだろう。
民主主義は市民の代表を据えるものであるが、日本では民主主義に基づく選挙が事実上機能しておらず、低い投票率と小選挙区制によってほぼ自動的に自民党政権が承認され続けている。
その無条件承認の元で、いまや三権分立も一層機能しなくなり、上層部の取り込みや放送免許を質にとる等の支配によって報道の権力監視も機能していない状況にある。
年金問題はまさに今生きる人の生死に関わる問題で、政治に対する意識にやや火をつけつつあるが、これがどうなっていくかが分水嶺になる可能性が高い。
ただ、これまでの政治にNOを突きつける結果となったとしても、日本の行く先には困難しかない。
破綻は免れることが難しく、それを回避しつつ、欧州並みの近代国家としての体制を整え、経済を立て直していくことは容易ではない。
明らかなのは、このままいけばひどい未来しかないだろうと言うことだ。
Posted at 2019/06/09 00:08:42 | |
トラックバック(0) |
政治・行政・マスコミ | 日記